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密約

 ウォール伯爵家の家紋入りの馬車に揺られること数十分。御者の手を借り馬車から降りたレベッカは、白亜の豪邸を見上げ呆けていた。


 宮廷貴族のタウンハウスが建ち並ぶ一角のさらに奥。門扉のはるか遠くにのぞむ白亜のお屋敷と、前方に設えられた見事な庭園にも驚いたが、エントランスに到着し間近に豪邸を見上げれば、その規模の大きさに言葉を失うほかなかった。


 タウンハウスでこの規模なのだ。貴族社会におけるウォール伯爵家の立ち位置の高さがうかがえる。


「シャロン男爵家御息女、レベッカ様でございますね?」


 白亜の大豪邸を見上げ呆けていたレベッカに黒のお仕着せ姿の男性が声をかけた。


 片眼に丸眼鏡をかけ、グレイの口ひげを生やした男性は、柔和な笑みを浮かべ美しい立ち姿で佇んでいる。


「はい。シャロン男爵が娘、レベッカと申します」


 レベッカがデイドレスの裾をつまみ礼をとれば、ロマンスグレーの髪の紳士もまた、腰を折り礼を返す。


「わたくしは、ウォール伯爵家が執事ルーベルと申します。本日は、主人の申し出を快くお受けくださり感謝しております」


 右手を胸にあて深く礼をとる執事の男を見てレベッカは心の中で悪態をつく。


(なにが、快くよ。逃すつもりなんて、これっぽっちもなかったくせに)


 頼んでもいないのにシャロン家の門扉に横づけされたウォール伯爵家の家紋入り馬車を見たときの気鬱感を思い出し、レベッカは心の中で舌打ちをする。


 しかし、心の中で悪態をついていようとも、表情に出すほどレベッカは馬鹿ではない。綺麗な笑みを顔にはりつけ執事へと相対する。


「いえいえ、こちらこそウォール伯爵様直々のご招待、シャロン家一同名誉なことと感激しておりますわ」


 オホホホと手に持った扇子で口元を覆い、嫌味を内に隠した賛辞を言っても執事の態度は変わらない。


(さすがね……、そんじゃそこらの貴族家とは違うということかしら)


 宮廷貴族家に仕える使用人は、貴族との間に確固たる地位の差があるにも関わらず、新興貴族というだけで見下し横柄な態度を取る者も多い。それは、宮廷貴族が新興貴族を貶める現状が、使用人の認識までをも歪めているに他ならない。


 レベッカは、ニールズ伯爵家への初訪問時の扱いを思い出し、苦笑を浮かべる。


 あの時は散々だった。指定された時間に訪問したにもかかわらず、お茶の一杯も出ず何時間も放置されたのだ。そして最終的にお茶のカートを押し現れたのがニールズ伯爵本人だった。そんなことまで思い出し、レベッカは苦笑いを浮かべる。


(ニールズ伯爵家でまともなのは、おじさまだけって……、どういう了見よ)


 家を取り仕切る夫人を早くに亡くしたと言っても、あれでは家紋の面目丸潰れではないか。


 執事の態度一つとってもウォール伯爵家は新興貴族との接し方を心得ている。裏を返せば、オーランド王国における新興貴族の重要度を理解しているとも取れる。


 高すぎるプライドから宮廷貴族家が忌避する事業を担い発展させ、莫大な富をオーランド王国にもたらしているのは新興貴族なのだ。


 もちろん、シャロン家もオーランド王国の医薬の発展に多大なる貢献をしてきた貴族家の一つである。しかし、その事実を認知している宮廷貴族家がどれほどいるのか。


 ため息混じりにそんな事を考えていたレベッカに執事が声をかける。


「レベッカ様、主人がお待ちでございます。ささ、こちらへお入りくださいませ」


 執事がエントランスの扉を開け入邸を促す。レベッカは、これから対峙する大物に思いをはせウォール伯爵邸へと足を踏み入れた。





「シャロン男爵家のレベッカ嬢だね?」


 執事に案内され入った客間からは伯爵邸の内庭が一望でき、目にも鮮やかな花々が咲き誇っている。しかし、今のレベッカには美しい庭園を眺めるだけの心の余裕はない。

 ティセットが置かれたテーブルをはさみ、対面の椅子に座る銀髪の男の意味深な笑みが、レベッカの恐怖心をあおる。


 精果草の毒が巻き起こしたアレやコレやを、目の前の男が覚えていたなら自分の立場は危ういものになる。ウォール伯爵の心の奥底に潜む『欲』が『女性の脚を愛でること』だとは、絶対に知られたくはないだろう。

 

 ウォール伯爵の秘密を知ったことで口封じに殺される自分を想像し、レベッカは身を震わす。


「そんなに怯えないでよ。獲って食おうなんて考えてないからさ」


 困ったように眉を下げ綺麗な笑みを浮かべる銀髪の男を見ても、レベッカの警戒心は解かれない。


「はぁぁ、困ったな……、じゃあ、お礼だけは言わせてくれる? 刺客に襲われたとき、君がいなかったら間違いなく俺は死んでいた。君の適切な処置があったから助かったと言っても過言ではない」


 たかが男爵令嬢に躊躇いなく頭を下げる男を見て、レベッカの心に衝撃が走る。


(こんな風に感謝の言葉を聞くのはいつぶりかしらね……)


 悪女といわれ、悪徳男爵家の娘と言われ、蔑みの言葉しか投げられたことのないレベッカにとって、彼の言葉は衝撃だった。


「――本当に感謝している」


 そう言って銀髪の男は、立ち上がるとレベッカの前へと歩みより、彼女の手を取り片膝をつく。その流れるような所作に見惚れた一瞬、レベッカが気づいた時には手の甲に口づけを落とされていた。


「きゃっ!! なにをしますの!?」


「やっとしゃべったね」


 悪戯が成功した子供のように無邪気に笑う男の瞳から目が離せない。吸い込まれそうなほど深い藍色に自分が囚われ、時が止まる。呼吸をするのも忘れ見入っていたレベッカの頬を優しく男の手がなぞった感触に、やっと我にかえった。


「揶揄いましたわね!! わわわ、わたくし帰らせていただきます!」


 急に込み上げてきた羞恥心と怒りからレベッカは男の手を振り解き扉へと向かう。しかし、ドアノブへとかけた手が扉を開けることはなかった。


 扉に手をつきレベッカの退路を塞ぐ男の行動に恐怖心が煽られる。そして、頭上から響いた低い声にレベッカの心臓が大きく跳ねた。


「レベッカ嬢……、申し訳ないが、あなたを帰すことは出来ないんだ」


「か、帰さないって……、いいえ、わたくしは帰ります。なにがなんでも帰ります!」


『さっきの感謝の言葉はなんだったの!?』と思えるほど態度を豹変させた男に怒りもわくが今はそれどころではない。なんとか男の腕から逃げようともがくが力の差は歴然。いっこうに変わらない状況に焦りだけが募っていく。


「は、離してください! わたくしは帰ります!」


「いいや、帰さない。秘密を知った君には、俺の願いをきいてもらう」


 耳元で言われた『秘密』という言葉にレベッカの心臓が嫌な音を立て跳ねる。その秘密が何を指しているかは明らかだ。


(あの日のことを覚えているのね……)


「ウォ、ウォール伯爵様――――」


「レベッカ。ウォール伯爵ではない。エリアスだ」


 耳に落とされた重低音にレベッカの喉がヒッと鳴った。


(この際、何でもいい。シラをきり続ければ逃げられるかもしれないわ)


 レベッカはわずかな望みにかけ、すっとボケることにした。


「エ、エリアス様……、秘密とは何のことやら、わたくしにはわかりかねます」


「ふふふ、知らないふりはよくない。精果草に精通しているシャロン男爵家の娘が、その花の中毒症状をしらないはずないよね。そして、その毒を緩和する方法を」


 銀髪の男が放った言葉にレベッカは息をのむ。


(なぜ知っているの。『欲』のことを……)


 エリアスと名乗った銀髪の男は、シャロン男爵家と精果草との繋がりを知っている。皆が知る過去の事件だけではなく、現在の精果草との繋がりをも。


 世襲制が認められていない男爵位であるにも関わらずシャロン男爵の位が祖父から父へと受け継がれた背景には、精果草の存在が大きい。


 父の代で発展した精果草の医療転用。少量の精果草をある特殊な方法で精油化し、痛みのある患部に塗布すると、強力な麻酔効果を示す。その作用を医療転用したことでオーランド王国の医薬は著しい発展を遂げた。


 しかし、精果草の持つ媚薬効果と常習性を懸念したシャロン男爵家は、精油の精製法を王家に献上する代わりに、精果草の管理独占権を得たのだ。


 今や精果草の精油がなければ、オーランド王国の医療は立ち行かない。だからこそ、王家はシャロン男爵家を無視出来ない。しかし、その事実を知る者はごくわずかだ。しかも、王族に近しい中枢の者しか知らぬ事実をエリアスは知っていた。


(しらばっくれるのは無理かもしれないわね)


 レベッカは一つ大きなため息を吐き出し覚悟を決め背後を振り返ると、笑みを浮かべるエリアスを睨む。


「はぁぁ、わかりました。無駄な押し問答は時間の無駄ですね。エリアス様のおっしゃる秘密が、精果草による中毒症状の一つ、『欲』に関することであるなら、ご安心ください。他人への口外は致しませんから」


「今の言葉を俺が信じるとでも? あの秘密はレベッカにとっては脅しの材料になるだろう?」


「ふふふ、脅しの材料になるものですか。悪女と名高いシャロン男爵令嬢の言葉を誰が信じるというのです」


「ははは、確かに。悪女と言われる君より、宮廷貴族である俺の言葉を信じるだろうね。『ウォール伯爵は、女性の脚に執着する変態です』って君が言っても誰も信じない。それが事実だとしても……」


 扉へとレベッカを囲うように両手をついたエリアスに至近距離から見下ろされ、レベッカの心臓が早鐘を打つ。恐怖に飲まれそうになるが、なんとか堪えレベッカは反撃に出た。


「エリアス様の秘密はわたくしにとっては、何の価値もありませんの。だから、わたくしが『お願い』を聞く必要はありませんわね」


 ニッコリと綺麗な笑みを浮かべたレベッカは、スカートの裾をつまみ辞去の挨拶をする。


「では、エリアス様。ごきげんよう」


「くくく、君への『お願い』は口止めじゃないよ。そんな意味のない契約を結ばせるために、わざわざ呼び出したりしないよ」


 心底おかしいとでも言うように笑うエリアスを見上げ、レベッカの頭は混乱していく。


(口止めが目的じゃないなら、何が目的よ……)


 エリアスを見上げたまま動くことの出来ないレベッカの肩がつかまれ、引き寄せられる。そして、耳元でささやかれた『お願い』にレベッカは絶句した。


「レベッカ。君の脚を愛でさせてくれないだろうか……」


「ななななっ――――、はぁぁ!?」


 あまりの事にレベッカはエリアスを突き飛ばす。しかし当のエリアスは彼女の反応を予想していたのか、渾身の力で突き飛ばしたはずなのによろめくこともなくニヒルな笑みを浮かべ立っている。その立ち姿が美しく、様になっているものだからレベッカの怒りはさらに煽られた。


「エリアス様……、馬鹿にするのも大概になさいませ」


「馬鹿にしているつもりはないよ。精果草の毒に精通している君なら知っているだろ? 『欲』の代償のことを」


「――まさか!?」


「その、まさかさ……」


『欲』の代償については祖父から託された日記帳に書かれていた。その『代償』のせいで、祖父の想い人だったリシャールは死んだのだ。しかし、『代償』に関しての情報は極端に少ない。それは精果草の中毒となり生き残った者がいないことに起因する。


「どうやら俺は、レベッカ、君の脚を愛でなければ『欲』が満たされず死ぬ運命らしい」


「しかし……、『欲』を満たすのは、わたくしの脚でなくてもよいのではありませんの」


「残念ながら、君の脚でなければ俺の『欲』は満足出来ない。君の見事な回し蹴りが心を捕えて離さないみたいだね」


 ははは、と笑うエリアスを見てレベッカの顔が真っ赤に染まる。


(まさか、あの回し蹴りを見られていたなんて……)


 刺客からエリアスを助けなければよかったと後悔しても後の祭りだ。もう二度と関わらないと心に誓うがレベッカの悪い癖が頭をもたげる。


 祖父の日記帳には、『欲』の本質を暴くことでのみ『代償』を消すことが出来ると書かれていた。『代償』を患う被験体を間近で観察出来る機会などそうそうない。


 そんなレベッカの葛藤を見抜いたのか、エリアスが悪魔の囁きを落とした。


「見返りに君の憂いを一つ解消する手助けをしようか」


「憂いですって?」


「あぁ、君はニールズ伯爵子息との婚約破棄を狙っている。あの外面だけで中身空っぽのセインとの、ね。そのために悪女を演じているのだろう。違うかい?」


 真実をついた言葉に、レベッカは息をのむ。


(この男は、私が悪女を演じていることにも気づいているの!?)


「しかし、今のままでは王命で決められた婚約を破棄することは出来ない。だが、その方法を俺は知っている」


 ニタっと笑うエリアスにレベッカの心臓が跳ねる。


(婚約を破棄する方法……、そんなモノが本当にあるなら、絶対に欲しいわよ)


 セインとの婚約は、宮廷貴族と新興貴族の溝をなくすための王命による婚約。それは表向きであって、裏には別の目的が隠されている。国の医療に欠かせない精果草の入手、管理を一手に担うシャロン男爵家の王家への忠誠を試すために仕組まれた婚約話なのだ。


 この婚約話をシャロン男爵家が受け入れねば、精果草の管理独占権は破棄される。


 セインとレベッカの婚約の裏には、王家にシャロン男爵家が刃向かえぬよう首輪をつける目的が隠されていた。だからこそ、レベッカからの婚約解消は許されないのである。


 そのため、セインから婚約を解消させるために嫉妬深く、傲慢な女を演じている。己の評判を落とすことで、ニールズ伯爵家からの婚約破棄をレベッカは目論んでいるが、上手くいかないのだ。


 逆に、今の状況を逆手にとられセインの株だけが上がっている現状が、レベッカには歯がゆくて仕方がない。


 しかし、婚約解消したいがために嫉妬深い悪女を演じていることは、両親、家族、親しい友人も知らない事実だ。それを赤の他人に見抜かれた。


 俄には信じがたい事実に、レベッカは目の前の男へと胡乱な視線を投げる。


「エリアス様、おかしな話ですわ。わたくしは、セイン様との婚約破棄を望んでおりません。セイン様を心よりお慕いしておりますもの」


 レベッカは、持っていた扇子を顔の前で広げ、目線だけで抗議の意思を示す。しかし、そんなレベッカの視線にも、エリアスはクツクツとおかしそうに笑う。


「確かに、側からはそう見えるだろうね。ただ、君をずっと見ていればわかるよ。壁の花と化していた君が、いつも決まって終盤になるとセインの取り巻き令嬢に食ってかかっているとか。フィアンセを見下ろす目が、誰よりも死んでいるとかね」


「はは……、ははは……、ご冗談を」


「冗談ではないよ。レベッカ、君は隠せていると思っているようだけど、セインのこと、大っ嫌いでしょ」


 悪戯な笑みを浮かべ、断言するエリアスにレベッカもこれ以上、嘘を重ねる意味がないことを悟る。


「はぁぁ、そうですわね。エリアス様の仰る通り、わたくしはセイン様が大っ嫌いでございますわ。あの似非偽善者から、本当に婚約を破棄出来る方法があるなら、是が非にでも知りたい。それが、わたくしの本心です」


「くくく、似非偽善者か……。やっと、本心を言ってくれたね。――では、俺と密約を結んでくれる、そう解釈していいかな」


 スッと近づいてきたエリアスに、口の前で広げていた扇子を落とされ、顎を掴まれ上向かされる。至近距離から見下ろされ、レベッカの喉がゴクリと鳴った。しかし、この場の主導権を握るため、ニヒルな笑みを浮かべ仕掛けてくるエリアスの策に堕ちるほど、レベッカは弱くない。


 レベッカはエリアスの目を真正面から見据え、艶然と微笑み言葉を紡ぐ。


「いいえ、誰もエリアス様と密約を結ぶとは言っておりませんわ。そもそも、セイン様との婚約解消方法を教えてくださっておりません。解消方法を知りもしないのに、密約を結ぶほどわたくしは愚かではございませんのよ」


「くくく、やはり一筋縄ではいかないか。さすが、シャロン男爵の娘だな」


 可笑しそうに笑うエリアスを見つめ、レベッカは単純に驚いていた。その笑顔があまりに無邪気で、毒気を抜かれてしまう。


「エリアス様……、父をご存知なのですか?」


「あぁ、知っている。以前、一緒に仕事をしたことがあってね」


 それ以上の言葉はなかったが、何かを思い出したかのように細められた瞳の優しさにレベッカの胸が跳ねる。


 社交界で噂される父の評判はレベッカの悪女演技の影響もあり、下がる一方だ。それを常日頃、心苦しく感じていたレベッカにとってエリアスの言葉は、父の本質を理解した上で出た言葉とわかるからこそ、嬉しくてたまらなかった。


「――さて、婚約解消方法だったね。女性には酷かもしれないが……、精果草に携わる家門のご令嬢なら、問題ないかな。一緒についてきてくれる?」


 差し伸べられた手を見て、レベッカは首をひねる。


「えっと……、どこへ?」


「それは、着いてからのお楽しみということで」


 逡巡しているレベッカの手を掴み、エリアスが歩き出す。そして、レベッカがエリアスのペースに乗せられていたと気づいた時には、どこかへと向かうウォール伯爵家の馬車が動き出した後だった。

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