つかみ取る未来
「数十年ぶりか……、エリアスよ」
謁見の間の上段に鎮座する二つの玉座。国王と王妃のために設えられた煌びやかな玉座にいるのは、オーランド王国国王のみだ。髪色と同じ豊かな金色の口髭をたくわえ、眼光鋭くエリアスを見据える目尻には深い皺が刻まれている。
どっしりと構えた姿は貫禄があり、ただ椅子に腰掛けているだけで相手へと威圧感を与える。六十歳を超えてなお衰えぬ威厳こそ、賢王と名高い所以なのかもしれない。
「陛下におかれましては……」
「よいよい、久方ぶりの再会だ。固苦しい口上はいらぬ。エリアスよ……、ずっと逃げまわっておったお主が自らわしに会いに来るとは、何ぞ心境の変化でもあったか?」
くくく、と笑みを深め、嫌味とも取れる言葉を並べる父王の挑発に乗るほど馬鹿ではない。
「父王に会いに来るのに、心境の変化が必要でございますか? 単純な話ですよ。今の己の立場を変えようと思いましてね」
「お主の立場? 第二王子であるな。あぁぁ、貴族社会の認識はウォール伯爵であったか」
「えぇ、そうです。今や、私が第二王子だと知る者はごくわずか。そう仕向けたのは陛下、貴方さまでございます」
「そうであるな……、お主の母、リリアーヌが死んですぐにウォール伯爵家へと追いやったのは、わしだ。ただ、ウォール伯爵を継いだのはエリアス、お主の意思ではなかったか?」
ちょっとした反抗だった。
ウォール伯爵家で母の祖父母に育てられた少年期を経て青年期へと入った頃、第二王子として王宮へと戻るように勅命が下ったのだ。
母の死後、一切音沙汰もなかった父王からの勅命。すぐに第二王子という立場を利用するための呼び戻しだと気づいた。
もちろんエリアスは必死に抵抗し、そして勝ち得たのがウォール伯爵としての立場だった。しかし、払った代償も大きかったのだ。
ウォール伯爵として認知し表向きは第二王子としては扱わない。その代わり、王家直属の暗部を取り仕切ること。実質の飼い殺し宣言だ。
あの日以来、王家の影として動いてきた。表では処理出来ない案件を王家の名の元にさばいてきた。――――そして、自我を失った。
レベッカと出会わなければ、あのまま自我を失った空虚な人生を歩んでいただろう。王家の操り人形として。
「確かに、ウォール伯爵となったのは私の意思です。ただ、過去史を遡れば、王位継承権を持つ王子と爵位、両方を持つ者もいたはずです」
「くくく、確かにな。王位継承権を放棄せず爵位を叙爵した王族もいる。しかし、そもそもお主は第二王子としての立場が嫌で伯爵位を望んだのではなかったか?」
「えぇ、その通りです。ただ、それが間違いだと気づいたのです。今の曖昧な立場では全てを奪われてしまう。搾取されないためには確固たる地位と権力が必要なのだと理解しました」
「ほぉぉ……、逃げまわっていたお主から地位と権力などという言葉が出てこようとは。くくく、国の至宝を手中に納めたいと?」
「はい、国の頭脳と呼ばれしシャロン男爵家の姫を」
「はは、姫か。確かに今やレベッカ嬢の価値は計り知れない。精果草の解毒薬開発に成功するとは……、他国がこぞって欲しがるよの」
「えぇ、今回の精果草の事件ですが、裏で暗躍していたのはカルマン帝国の第二王子です。奴が単独で動いていたのか、それとも帝国上層部からの指示だったのかはわかりません。ただ、レベッカ嬢を異様に欲しがっておりました。早々に圧力をかけて来るでしょう。陛下は、国の至宝たるレベッカ嬢をどうするおつもりか、考えをお聞かせください」
頬杖をつき思考を巡らしているのか沈黙する父王を見つめ、エリアスの背に緊張が走る。
ここが正念場なのだ。こちらの有利に事を進めるには慎重に言葉を選ばなければならない。怒りで悪手を選んでしまった過去の自分には戻らない。
「外交の駒となろう。ただ、放出すれば我が国の害となる恐れもある。エリアス、お前ならどうする?」
「私なら……、囲い込むことを選択します。女性だからと、その才を認めない今のオーランド王国に未来はない。優秀な人材は他国に流出していく一方です。今回のレベッカの功績によって、根強く残る男尊女卑意識を変えさせる。それが、私の答えです」
「くくく、男尊女卑意識を変えさせるか……、やはりお主は、リリアーヌの息子だな。護られることを良しとしないリリアーヌそっくりだ」
昔を懐かしむように細められた父王の瞳に優しい色が宿る。ふっと緩んだ空気感に、エリアスの心が揺れる。
(なんで、そんな優しい目をして俺を見るんだ……)
愛する妻を死に追いやった息子と、毛嫌いしていたのではないのか?
だから、ウォール伯爵家へ追いやったのではないのか?
エリアスの頭の中を疑問符がクルクルと回る。
「エリアスよ、お主の望みを申してみよ」
謁見の間に響いた厳かな声に、思考は断ち切られ身が引き締まる。
今は動揺している場合ではない。
エリアスはスッと顔をあげると、父王を見つめ朗々とした声で己の望みを告げた。
「陛下、私は第二王子として表舞台に立つことを望みます。そしてシャロン男爵令嬢との婚約を正式に認めてもらいたい」
「エリアス……、やっと理解したようだな。搾取されないためには、より高い地位と権力が必要になるということを」
「はい、もう逃げることをやめましたから。父である貴方からも、王妃からも」
「そうか……、王妃はまだあきらめておらぬのか。至らぬ父ですまぬ」
ポツリ吐き出された父の言葉に目を見張る。スッと下げられた頭の意味を今やっと理解し、エリアスの心は言いようのない感情で散々に乱れる。
ずっと嫌われていると思っていた。
愛する妻を死に追いやった憎き存在と疎ましく思っているのだと。
しかし、その考えが思い込みだったとしたら。
エリアスは父王に聞かずにはいられなかった。
「陛下……、ウォール伯爵家へと追いやったのは、私の命を守るためだったのですか?」
しばしの沈黙の後、父王は重い口を開いた。ウォール伯爵家へと追いやったあの日の真実と、冷たい態度を取り続けた意味を。
幼いエリアスが湖に落ち、母リリアーヌが死んだ夜、父王は母を見舞いに訪れていた。
身体を心配し数日は休養するように言った父王に母は笑いながら『大丈夫』と言ったそうだ。その翌朝に母は死んだ。
父王の目の前で可憐なダンスステップまで踏み、元気だとアピールしていた母の突然の死。すぐさま、暗殺の可能性を考え調べたが、次々と関係者が死に結局、真相は闇の中へと消えてしまった。
母の死の調査が打ち切られ、母の死が正式に事故死と発表された頃、今度はエリアスの命が狙われ始めたという。
確固たる証拠はないものの王妃の関与が浮上し、このまま王宮に留まらせるより、ウォール伯爵家へと出奔させた方が安全との判断がなされ、母の喪が明けると同時に伯爵家へと預けられたのだ。
「王妃は執念深い女でな、リリアーヌが生きていた頃は嫌がらせが日常茶飯事だった。しかし、リリアーヌはわしに護られることを良しとしない女で、よく衝突したよ。まぁ、リリアーヌも気が強くてな、王妃に負けじと挑んでおったわ」
昔を懐かしむように笑う父王の姿に心がふるえる。言葉の端々に感じる母への愛が、消えてしまった過去をよみがえらせる。
側妃宮の最奥。
母が眠るあの霊廟はかつて家族団欒の場所だった。美しい青空の下、敷物の上に寝転がり空を見上げていた。右手は滑らかで優しい母の手、そして左手は固くゴツゴツとした力強い父の手に握られ、青い花畑の中、真っ青な空を見上げる。言葉もなく穏やかな時間だけが流れていく。そんな幸せに満ちた記憶が脳裏に浮かぶ。
俺は……、父王に愛されていたのだろうか。
「ただな、リリアーヌが死にお主を無条件に護る存在はいなくなった。幼いエリアスに待つのは王妃からの熾烈な仕打ち。わしがお主に手を貸せば、嫉妬深い王妃の行動はさらにエスカレートする。だから突き放すしかなかった」
父王の声に後悔の色が浮かぶ。
「……ただの言い訳だな。事情はどうあれ、お主に辛く当たったのは事実よの。王妃もあきらめておらんようだし、結局、わしの至らなさの結果よ。エリアスに恨まれても致し方ない。エリアスの望み、すべて叶えようぞ。ただ、シャロン男爵は頷かんだろう。あの男は、誰よりも娘を愛しておる。お主が第二王子である限り、首を縦に振らんぞ」
「何度だって頭を下げますよ。門前払いされようがあきらめるつもりはありません。それに私はシャロン男爵の弟子ですから」
「はは、上司でもあり弟子でもあるか。今回の事件、情報の出処はシャロン男爵からであったな。あやつめ、ニールズ伯爵家との婚姻にすぐ首を縦に振ったのは、いずれ破棄されるとわかっておったからか」
「えぇ、師匠ならやりかねません。ただ、誠意を尽くせば応えてくれる御方でもありますから」
「エリアスよ……、まだまだ甘いな。娘の結婚の事となれば話は別と、切り捨てるのが男親というものよ。わしは今だにリリアーヌの父から嫌われておるからな」
かっ、かっ、かっ、と豪快に笑う父王の話を聞き、妙な納得感が芽生える。
『だから、祖父は父王の思惑通りにならないと言った自分に嬉々として協力したのか』と。
「肝に命じておきます」
数十年ぶりにわだかまりが解けた親子の会話が続く謁見室は、優しい空気に包まれていた。




