表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/30

醜い感情

 上気した頬に、荒い呼吸。そして、時折り苦しげにうめく姿は、普段のセインとはかけ離れている。

 金色に輝く瞳を見つめ、レベッカの頭に最悪のシナリオが巡った。


「では、役者もそろったことだ。本題に入ろうではないか。レベッカ、君に復讐の機会を与えよう」


 残忍な笑みを浮かべるメイナードの様子にレベッカの喉が鳴る。精果草の急性症状は、耐えがたいほどの性衝動。檻に囚われている時点で、次に起こるであろうことは想像出来る。


 レベッカと同じように檻に入れられていれば、普通の令嬢なら恐怖で発狂するだろう。己の貞操が危機にさらされているのだ、精神が疲弊してもおかしくはない。しかし、レベッカは冷静だった。


 ニタニタと不穏な笑みを浮かべ、ギラついた目で己を見るメイナードの言葉を、レベッカは静かに待つ。


「いやに冷静だな。まぁ、いい。レベッカ、君は己の立場にずっと不満を抱いてきた。悪女と罵られ、社交界に居場所はない。本来であれば、味方になるはずの新興貴族の令嬢にすら、ニールズ伯爵子息と婚約したことで敵視されるようになった。その裏で、この男はレベッカの悪評を使い、己の株をあげようと画策した。違うかい?」


「違うもなにも、その通りよ。だから何だっていうの。精果草の事件が明るみに出るのは時間の問題よ。あなたが私をガウェイン侯爵家へと導いたのが何よりの証拠だわ。どうせ、侯爵に全ての罪をかぶせ隣国に逃げるつもりなんでしょ」


「さすがレベッカだ。王家が動き出した今、さっさととんずらするに限る。まぁ、すべてが明るみに出る頃にはカルマン帝国が関わった証拠は全て消えているがな。メイナードという男が、この国にいた証拠と共にな」


 やはり想像した通りだ。

 ガウェイン侯爵は、全てを闇に葬り去るための餌に過ぎない。メイナードにも、カルマン帝国にも精果草事件の責を問うことは出来ないのだ。

 レベッカが追求出来るのはここまで。精果草の事件は、たかが男爵令嬢がどうこう出来る範疇を超えてしまったのだ。

 自分の手で解決したかったという想いが、レベッカの心に悔しさを募らせる。

 だからこそ、メイナードの思惑通りにはならないと、レベッカは固く心に刻む。


「そう、あなたの存在事態が消えるのね。せいせいするわ」


 悪態を吐き捨てそっぽを向くレベッカの態度に、メイナードが心底おかしいとでも言うように笑う。


「あぁぁ、本当残念でならないよ。気の強い女は良い。ただ、この話を聞いてもレベッカは、あの二人を許すことが出来るかな?」


 メイナードがガラス越しのロジャー侯爵令嬢を指さす。


「どうして、あの女はあんな格好をしているのか? シュミーズ一枚の姿。想像は出来るはずさ」


「何が言いたいのよ!」


「はっ、ロジャー侯爵令嬢は、ニールズ伯爵とお楽しみのところを拉致して来たのさ。実に貞操観念のゆるい令嬢のようでね、侯爵令嬢という立場を利用して、様々な男と情事を重ねていたようだ。レベッカを阿婆擦れと蔑み噂を流し、そこにいる男と一緒に楽しんでいた。おおかた、バーキン伯爵令嬢を焚きつけロッキン公爵家の茶会で恥をかかせたのも、裏でその女が操っていたんだろうな」


 予想はしていた。

 婚約者がいながら、他の女とセインは浮気をしているだろうと。しかし、彼に想いはなくとも長年の裏切りを他人の口から聞くのは正直つらい。しかも、浮気をしていた者たちと顔を合わせている現実が、嫌でもレベッカの神経を逆なでする。


「レベッカ、君の心を散々傷つけて来た者たちに復讐をしたいと思わないかい?」


 メイナードの言葉が甘い毒となり、心を蝕んでいく。


「俺の手を取るなら復讐の機会を与えよう」


「復讐の機会?」


「あぁ、そこにいるニールズ伯爵子息をあの女の檻へと放り込む。タガが外れて獣と化した恋人でも、あの女は受け入れることが出来るのか? 見ものだと思わないか? まぁ、君の婚約者とは遊びだったようだし、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がると思うがな」


「では、メイナード、あなたの手を取らなければどうなるのかしら?」


「くくく、俺の手を拒否するなら、そいつをレベッカの檻に放り込むだけさ」


「そう……」


 やはりセインを連れて来たのは、レベッカへと脅しをかける目的だった。


(違うはね、私の復讐心を利用するためね)


 レベッカは鎖に繋がれうなり声をあげる己の婚約者へと視線を投げ、心が凪いでいることに気づく。


 セインに対し怒りの感情がないわけではない。浮気相手と陰で逢瀬を重ね自分を嘲笑っていたかと思うと腹立たしい。


 ただ、それだけなのだ。


 もし少しでも彼に対して恋心があったなら、二人のことを許せなかっただろう。でも、セインには恋心もなければ未練すらない。彼が誰と浮気しようが心は全く傷まない。

 これがエリアスなら話は別だ。振られたというのに、エリアスとロッキン公爵令嬢が抱き合っている姿を想像するだけで、腑が煮えくりかえるほどの嫉妬にかられてしまう。


(ここに囚われているのがエリアスだったら、私はメイナードの手を取っていたわね)


 レベッカは胸元で光るペンダントトップを握りしめ覚悟を決める。


「私の嫉妬心を煽りたかったのでしょうけど、お生憎さま。何を提示されたって、メイナード、あなたの手を取ることだけはしないわ」


「そうか……、残念だが仕方ない。檻の中で己の選択を後悔するんだな」


 冷え冷えとしたメイナードの声が響き、無情にもレベッカの檻へと獣と化したセインが入れられた。


 金色の瞳に欲望を滲ませ、セインがレベッカを見る。苦しそうにうめく姿に理性は残っていないのだろう。間合いを取りセインと向かい合ったレベッカにも緊張感が漂う。


(肉食獣にロックオンされた獲物の気分ね)


 うなり声をあげるセインは肉食獣そのもの。すでに正気を保ててはいない。だからこそ、こちらにも利がある。


 理性を失っている者ほど御しやすい。


 日々、兄たちと共に鍛錬を欠かさないレベッカは、普通のご令嬢とは違う。剣の扱いはもとより、体術も会得している。

 騎士ならまだしも、剣の扱いもままならない貴族の坊ちゃんに負けるような柔ではない。

 そして胸元に忍ばせたペンダントトップが、起死回生の切り札となる。


 レベッカは握ったペンダントトップを引きちぎり、先手必勝とばかりにセインめがけ走り出した。


 狭い檻の中、あっという間にセインとの距離が縮まる。野生の本能か、眼前に迫ったレベッカへとセインが手を振り下ろした。しかし、レベッカがセインの手に捕まることはない。

 迫る手を巧みに避け、鉄格子を蹴ったレベッカは反動を使いセインの背後へと身を翻し首へと手刀を叩き込む。反動をつけて振り下ろした手刀でも、女の力では限界があった。気絶させることは叶わず、膝をつかせるのが精一杯だ。しかし、こちらにまだ勝機は残っていた。


 効くかどうかはわからない。

 でも、やらなければ自分がやられる。


 レベッカの決断は早かった。

 ペンダントトップの安全装置を解除すると、目の前で膝をつき、まだ荒い息を吐くセインを羽交いじめにする。そして、ペンダントトップから突き出た針を彼の首筋めがけ突き刺した。


 セインの瞳孔が開く。金色に染まった瞳から涙がこぼれ落ち、次の瞬間、強い力でレベッカは突き飛ばされていた。


 投げ飛ばされた反動で背中を鉄格子へとぶつける。しかし、レベッカが痛みを感じることはなかった。


 叫声をあげセインが地面を転がる。

 もがき苦しみ床に爪を立て血を吐くセインの姿は、死にゆく獣のようで胸が痛い。

 毒を制する薬には副反応がついてまわる。その毒が強ければ強いほど、その副反応も強くなり、今、セインの身体の中では、激烈な痛みが荒れ狂っていることだろう。その痛みに耐えねば、彼に待つのは死だ。


 あとは本人の生きたいと願う意思にかかっている。


 レベッカは両手を胸の前で合わせ、神に祈る。


(どうかお願い!! 元に戻って!!!!)


 どれくらいの時間祈っていただろうか。高みの見物と静観していたメイナードの言葉にレベッカは我にかえった。


「ほぉぉ、やはり解毒薬は完成していたか」


 苦しげなうめき声をあげていたセインの呼吸が落ち着いてくると同時に耳に入った言葉に怒りを覚える。


「どこまでいっても下劣な人ね! 人の命をなんだと思っているの!!」


「あぁぁ、そういった精神論は不用だ。無意味だからな」


 容赦なく神経を逆撫でするメイナードの言葉に怒りが沸くが、冷静になれと己に言い聞かす。

 状況は好転したが、いまだ檻の中。決して優位に立っているわけではない。


 レベッカは慎重に言葉を続ける。


「まぁ、いいわ。あなたがどんな手を使っても私から解毒薬のレシピを聞き出すことは出来ない。命を粗末にし、命を弄ぶような男になんて、死んでも教えないわ! それにね、あなたは気づいていないようだけど、もうすぐ援軍が到着するわ。あなた達の思惑通りに事は進まないのよ」


「はは、嘘を言うな。今夜、第二王子の私兵が動いていないのは確認済みだ。男爵家如きに、何ができる? はったりを言ったところで状況は変わらない。レベッカ、いい加減あきらめて、俺の手を取れ」


「シャロン男爵家をなめないことね。なぜ、最後の最後であなたを研究棟に招いたと思っているのよ」


「どういう意味だ?」


「私があなたに疑いを持っていなかったと、どうして言いきれるのかしら?」


「なに?」


 レベッカの言葉にメイナードが初めて動揺を見せる。彼はきっと疑いもしなかったのだろう。

 ミシェルを使い同情心を抱かせ、彼女を助けたいと手を尽くす健気な男との認識をレベッカへ植えつけた。疑われているなどと、微塵も考えていない。その慢心がつけ入る隙を生みだしたと、今の今まで考えてもいなかったのだろう。


(万が一に備えて予防を張っておいてよかった。母ならなんとかしてくれる。あとは、シャロン家お抱えの荒くれ者集団が来てくれれば……)


 レベッカは呼吸を整え、時間かせぎの策を考える。


「ずっと疑ってはいたのよ。あの闇オークションの夜からずっと。だって、あんな都合良く火事が起こるなんて、こちらの計画が主催者側に漏れていたとしか考えられない。そして、仲間の中でそんなことが出来るのはメイナード、あなただけよ」


「くくく、闇オークションを最後にとんずらしてもよかったんだが……、欲張るもんじゃねぇな。どうしてもレベッカ、お前を手に入れたかった。その結果が、これか。しかし、お前が疑っているようには感じなかったがな」


「出来れば疑いたくなんてなかったわよ。ミシェルを助けたいと言ったあなたの言葉が、私を騙すための嘘だなんて信じたくなかった。だから、賭けに出た。母は、人の出入りにとても厳しいのよ。精果草の件もあるけど、商売柄かしらね。必ず、連れて来た相手の素性を徹底的に調べ上げるわ。人の出入りに神経をとがらすシャロン家へと、母への相談もなしに知らない男を連れ込んだらどうなると思う? しかも、娘は連れ込んだ男と一緒に夜出かけて行ったのよ。母の取る行動は一つね」


「俺たちの後をつけさせたということか……」


 レベッカはニッコリと笑みを浮かべる。


「ガウェイン侯爵家へと強行する可能性は高いわね。商人同士の繋がりは、時に貴族の地位をも脅かすものよ。正攻法がダメでも、やりようはいくらでもあるわ」


「くく、はははは。実に惜しいな。慢心は隙を生むか……、それはレベッカ、君にも言えるのではないか?」


 メイナードの言葉と共に心臓がドクンっと鳴り、その反動で倒れ込みそうになった。

 今まで生きてきた中で経験したことがないほどの熱に襲われ、胸をかきむしる。立っていることも出来ず膝をついたレベッカはしぼり出すように言葉を吐き出した。


「なに……、を、した……の……」


「やっと効いてきたようだな。レベッカ、君が気絶している間、俺たちが何もしないわけないだろう。遅効性の毒、それも精果草の毒さ」


 メイナードの言葉がすぐには理解出来ない。精果草の毒が遅効性だなんて聞いたこともない。


「うそ、言わな……い、で……」


「今さら、嘘をついてどうなる。君の知識が全てだと思わないことだ。カルマン帝国の医療は、この国より遥に進んでいる。毒の発現を遅らせることは元より、持続時間も変えることが出来る。精果草は実に使いやすい毒でね、あとは解毒薬の開発のみ成功していない状態なんだよ。だからこそ、君の知識が欲しかったが致し方ない」


 身体中を荒れ狂う熱がレベッカの思考を奪っていく。瞳孔は開き目が霞む。滲んだ視界ではメイナードの顔すら判別出来ない。


 知識ではわかっていた。しかし実際には、想像を絶する渇望が身体を支配する。

 喉の渇きにも似た『欲』が心を蝕み、出口を探し身体の中を荒れ狂う。その耐え難い飢えこそ、精果草の『欲』だと理解したところで、自分ではどうすることも出来ない。


 欲しい。

 この飢えを満たしてほしい。


 無意識に伸ばした手は誰へと向けられたものだったのか。


 満たされない渇望にレベッカが咆哮をあげた時、扉を叩く音と共に微かに聴こえた愛しい人の声が心をふるわす。心の中で荒れ狂う飢えがわずかに満たされるのを感じながら、レベッカは悟ってしまった。


 欲しくて、欲しくて……

 でも、手にすることの出来ない人。


 拒絶されてなお、愛し続けた人。


「――――、エリアス」


 あぁぁ、私の『欲』は満たされない想いへの渇望なのね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ