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家族の優しさ

「レベッカ、いい加減にしなさい!! なんですか、その姿は!! もう何日お風呂に入っていないの。臭いったらありゃしない!!」


 研究棟の一室、仮眠のためだけに存在する殺風景な部屋に響き渡った母の怒号に、布団にくるまりベッドの上で小さくなっていたレベッカの身体は、数センチ跳ね上がった。


 エリアスに振られ、食事も摂らず研究棟に引きこもって三日、母の堪忍袋の緒が切れたらしい。


 無理やり布団を引っぺがされ、風呂場へと強制連行されたレベッカは、頭から容赦なく湯をかけられ、洗濯物よろしく母手ずからゴシゴシと髪と身体を洗われていた。


「男に振られたからって何ですか!! くよくよ泣くくらいなら、自分磨きに精を出しなさい。男の一人や二人侍らすくらい己を磨き見返してやんさない!!」


 母の言葉とともに湯を頭からバシャっとかけられる。何にでも豪快な母らしい慰め方に、レベッカはクリスと笑った。


(男の一人や二人か……)


 セインとの婚約はまだ破棄されていないというのに、レベッカが男に振られたと気づいている。


 婚約者がいながら他の男に目移りしたことを責めるのではなく、男に振られたくらいで引きこもる己の弱さを叱咤する母には感謝しかない。


 何年経っても、何歳になっても自分は母には勝てないなと、母の懐の深さに感謝しつつ、レベッカは容赦ない叱咤激励を甘んじて受ける。


「まぁ、レベッカの気持ちもわかるしね。あなた、あの青い花を持って来ていた彼に恋していたんでしょ?」


 レベッカは母の言葉にコクンと頷く。


「レベッカの初恋かしらね」


「初恋?」


「初恋だったんでしょ、銀髪の彼が」


「……、よくわからない」


 嘘だ。エリアスが初恋だったとわかる。


 一緒にいるだけで胸が高鳴り、会える日を心待ちにしてしまう。身体が浮いてしまうんじゃないかと錯覚するくらいに心が弾む。


 セインには感じたことがない幸福感を恋と呼ぶなら、エリアスがレベッカの初恋だったのだろう。


「ふふふ、何言っているの。銀髪の彼に会う日は何度も鏡を見て髪をとかして、それで気づかない方がおかしいわよ」


「私、そんなに分かりやすかった?」


「えぇえぇ、分かりやすかったわよ。だからセイン様との結婚をレベッカは望んでいないと気づけたんだけどね」


 眉尻を下げ、優しい笑みを浮かべる母の顔を見上げる。


「ごめんなさいね。ずっとシャロン家のために我慢していたんでしょ?」


「だって王命だもの、断れないってわかっていたし」


「そうね、王命に背くのは難しいわ。場合によっては反逆罪を課せられる可能性だってある。――でもね、レベッカの幸せに代わるものなんてないのよ」


「えっ?」


「たとえ王命だろうと関係ないわ。レベッカが望まない結婚なんて絶対にさせない」


「でも、それじゃシャロン家は王命に叛いたと取り潰される可能性だってあるのよ。シャロン家の悲願、精果草の研究だって」


「それが何だというの? 精果草の研究? あなたの幸せを犠牲にしてまで成すことではないわ。それはお爺さまも望まない」


「でも……、お父さまは」


 ニールズ伯爵家の婚約が決まった時、誰よりも喜んでいた父の顔を思い出し、胸が苦しくなる。


「お父さまは許さないわ。私が結婚したくないって言ったら、きっと失望する」


「ふふふ、レベッカもまだまだね。ジェームスの態度も問題だけど……、あの人は誰よりもレベッカ、あなたの幸せを願っているわ」


「そんなの信じられない」


 レベッカが研究に没頭することを誰よりも疎み、いい顔をしなかったのが父ジェームスだ。


 レベッカと顔を合わせれば、やれ裁縫だ、やれ礼儀作法だと口うるさく言っていたのは母ではなく父だったのだ。


「ふふふ、本心を上手く隠してしまうところは親子よね。じゃあ、私とジェームスの馴れ初めでも話しましょうか」


 母がパン屋の看板娘として家業を手伝っていた頃、その店に客として通っていたのが父ジェームスだった。


 平民にしては身なりの良い青年が毎日のようにパン屋へと通ってくる。しかし、看板娘だった母に話しかけることもなく、ジェームスは毎日パンだけを買っていく。そんな二人の関係が大きく変わったのは、母へと舞い込んだ貴族家からの婚約話だったという。


 子爵家からの結婚の申し出に平民だった母の実家が断われるはずもなく、母の意思は無視され婚約話は進んでいったという。


 泣く泣く子爵家からの申し出を受け、看板娘を辞め子爵家へと花嫁修行に行くことを決めた日、初めて母は父ジェームスへ声をかけた。


 別れの挨拶のつもりだった。

 しかし、母から子爵家子息との婚約話を聞いた父の行動は早かった。意にそぐわぬ結婚話をあらゆる手段を使い叩き潰したのだ。


 当時、まだ平民だった父が子爵家の息子から婚約者を略奪した。そんな噂が、大きな波紋となり平民街を駆け抜けたという。


 子爵家の弱味を握り、えげつない方法で陥れたのではないかと、噂は尾ひれ、背びれがつき広がっていった。そして、その噂を誰も否定しなかったことで、母と父の結婚は略奪婚と大いに囃し立てられた。

 

「あの人ったらね、ずっと私のことが好きだったみたいなのよね。でも、女性を好きになったこともなかったから、どう接していいかわからなかったんですって。その結果が数年に渡る無言の日々だなんて馬鹿よね」


 ふふふと笑う母の顔は幸せに満ちている。心の底から父ジェームスを愛しているとわかる姿を見て、羨ましくもある。


 略奪婚と言われようと、二人の結婚は幸せに満ちていた。愛し、愛され、お互いを必要とし夫婦となる。平民と貴族の違いはあれど、娘の結婚相手は親が決める世で、愛に満ちた結婚が出来ることは奇跡に近い。


 貴族の結婚では、それは顕著だ。

 好いた相手と結婚した貴族は一握り。夫婦のほとんどが政略結婚の末結婚し、そこに二人の意思は存在しない。


「だからね、ジェームスに限ってレベッカの意思に反して婚約話を進めるなんてあり得ないの。自分は恋愛結婚したくせに、愛する娘には政略結婚を押しつける。そんな鬼畜じゃないわよ。きっと、ニールズ伯爵家との婚約話には何か裏がある」


 父はあまり自分の仕事については話たがらない。王からの勅命で、隣国との交渉にあたる仕事についていると聞いたことはあるが、詳しい内容まではわからない。精果草関連の事柄ということ以外は。


「――だからね、レベッカ。嫌なら嫌と言えばいいの。もうすぐジェームスも帰って来るわ。あと数週間かしら。その時に自分の本心をちゃんと話しなさい。セイン様と結婚したくないってね」


 パチンとウィンクする母を見て、レベッカの心の中に言いようのない光のようなものが灯る。


 私は言っても良いのだろうか……

 セインと結婚したくないと。


「私……、結婚したくない。セイン様とは結婚したくないの!」


「やっと言ったわね、あなたの本心を」


 ギュッと抱きしめられ母の香りに包まれ鼻がツンと痛くなる。あふれ出した涙を母がそっと拭い、柔らかな笑みを浮かべてくれる。


「はい。レベッカへ手紙よ」


 手渡されたのは表書きも差出人も書かれていない真っ白な封筒。不思議そうに母を見上げれば、悪戯な笑みとぶつかった。


「ふふふ、誰からの手紙かしらね。もしかしたら銀髪の彼からの手紙かもしれないわ。あっ! そろそろ昼食の支度しなきゃ」


 レベッカの濡れた髪をガシガシと拭いていた母が背を向け扉へと歩いていく。


「しっかり髪は乾かしてから、その手紙を見るのよ。それと、ご飯も食べること。一発殴るにも力が必要でしょ」


 力拳をつくり鼓舞する母の優しさにレベッカの心にも火が灯る。

 

 もう一度会って、エリアスへ想いをぶつけよう。

 どんな結果になろうとも前には進める。


 レベッカは立ち上がり、母へと深々と頭を下げた。


「母さん、ありがとう」


「ふふ、いいのよ。がんばんなさい!!」


 手を振り部屋を出ていく母を見送り、レベッカは手元に残された封筒を開ける。


 手紙の差出人はレベッカの期待する人物ではなかった。しかし、メイナードからの手紙に、彼の無事を知ることが出来、レベッカは安堵のため息を吐き出す。そして、手紙に書かれていた重要な情報に身が引き締まる。


 次の闇取り引きの日時と場所が、その手紙には書かれていた。


 精果草の解毒薬が完成した今、次こそは失敗しない。この情報をエリアスに伝え、ニールズ伯爵とガウェイン侯爵を捕え、この事件を終わらせる。


 事件が解決した暁には、この想いにも決着をつける。綺麗さっぱり振られて、前に進めばいい。最後に一発殴って、自分の道を。


 レベッカは急ぎ支度を整えると手紙を手に家を飛び出した。


 しかし、もう一度エリアスに会える喜びに浮かれていたレベッカは気づいていなかった。メイナードからの手紙の違和感に。

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