欲望を宿し瞳
(一か八か、やるしかない!)
カートにのっていた銀製の盆の持ち手を左腕にはめ、そして右手に熱々の湯入りポットを持ち、レベッカは黒装束の男めがけ渾身の力を込めカートを蹴り出した。
ガラガラと派手な音を立て突進していくカートに、黒装束の男が一瞬の隙を見せる。それを見て取り、レベッカは全速力で走り出した。
ガラガラと派手な音を立て突き進むカートへと男達の視線が逸れる。その一瞬の隙をつき、右手に持ったポットを黒装束の男めがけ投げつけた。
宙を舞うポットの口から熱湯が弧を描き黒装束の男へと浴びせられた。突然の襲来に黒装束の男がよろめく。その隙を逃さずレベッカは、身体を滑り込ませ、男の足を払った。
地面へと倒れ込む男だったが、どうやら黒装束の男の身体能力も並外れていたようだ。地面に手をつくと、身体を反転させ、すぐさま体勢を整える。
次の瞬間には、右手に短剣を持った男がレベッカ目掛け突進してきた。
振り上げられるナイフにレベッカは躊躇することなく左手を掲げる。宙を切り裂き迫るナイフだったが、それがレベッカの肌を切り裂くことはなかった。
キーンッと耳障りな音をあげ、レベッカの掲げ持った銀製の盆にナイフの刃先が当たり弾け飛ぶ。それと同時に繰り出した回し蹴りが、男の顔面にクリーンヒットし、その衝撃で黒装束の男が地面へと叩きつけられた。
回し蹴りを繰り出した瞬間にこぼれ落ちた艶やかな赤髪が月の光を浴び妖しく輝く。
(女だと思って、油断したわね)
明らかに、最後の斬撃は手加減していた。流石に、見ず知らずの令嬢を殺すのは偲びなかったのだろう。
地面へと倒れた男を眺めながら、そんなことを考えていたレベッカだったが、事態はまだ終わってはいなかった。背後で響いた剣と剣がぶつかる斬撃の音にハッとする。一瞬の間の後、身体を反転させたレベッカは駆け出した。
二人の男の剣と剣がぶつかり、その反動で二人の身体がわずかに離れた瞬間を見逃さず、取っ手に腕を通し盾にしていた盆を手に掴み、回転をかけ飛ばした。勢いよく飛んでいく盆は、黒装束の男に打撃を与えることはできなくとも、勝利のキッカケにはなる。
突然飛び込んできた銀の盆に、銀髪の男との距離を詰めようとしていた黒装束の男が瞬時に反応し、距離を取る。その間に、銀髪の男を庇うように前へと立ったレベッカへと黒装束の男が問いかけた。
「貴さま、何者だ?」
「見ての通り、通りすがりの令嬢ですが」
「ただの令嬢が、暗殺者並みの強さであるわけがない。赤髪……、赤髪の女。まさか!? ……これ以上の深入りは、こちらの首を絞めるな」
「私は構いませんわよ。あなたと戦って、勝つ自信はありますもの」
口から出まかせだ。
目の前に対峙する男が、この暗殺集団のボスだということはわかる。纏うオーラが違う。
それなりのスピードで放った盆を的確な判断で、完璧に回避し、なおかつレベッカの攻撃が当たらないギリギリの距離を取った男の技量は、先ほど地面へとノシタ男とは違う。
しかし、ハッタリというものは、時として己の実力を見誤らせる効果をもつ。
「くくく、そうか。面白い女だ。では、交換条件だ。私たちを見逃す代わりに、その銀髪の男の命は助けてやろう」
「命を助ける? いったい、どういう意味な――――」
その時、背後でドサっと音が響く。反射的に背後を振り返り、驚きに息を呑んだ。地面へと倒れ込んだ男の顔が真っ青に染まり、苦しそうなうめき声が上がる。慌ててしゃがみ込んだレベッカは、瞬時に理解した。
「毒ね……」
「ご名答。この小刀には、毒が塗ってある。少量の毒でも、全身に回れば死に至らしめることの出来る猛毒だよ。交換条件は、その毒の種類を君に教えることだ。シャロン家の娘なら、毒の成分が分かれば解毒も可能だろう。その男が毒を受けてから数分。もう時間はないぞ」
対峙する男が、なぜ自分の正体を知っているのか疑問が浮かぶが、今はそんなことを考えている余裕はない。
解毒は一分、一秒を争う。銀髪の男が毒を受けて数分。もって、あと数十分というところだ。
(迷っている暇はないわ!)
「さっさと、毒の成分を教えて、ここを立ち去りなさい!」
「くくく、話のわかるお嬢さんでよかったよ。その毒の成分は『毒虫』さ。しかし、その毒虫は、『毒消草』を食べると、無毒化される。お嬢さんの作った万能薬。ははは、私たちもよくお世話になっているよ。――さて、退散しようか。レベッカ嬢、またどこかで会おう。あぁ、そうそう、もう一つ。その男に使った毒は毒虫だけではないよ。では、また」
「えっ!? ちょっと、待ちなさい!」
レベッカの静止の声を無視し、のされた仲間をヒョイっと抱えた男が消える。
「厄介な奴に、好かれてしまったようね」
レベッカの呟きは、シーンと静まり返った回廊に響き消えていく。しかし、感慨に耽っている場合ではない。
レベッカは瞬時に行動へ移した。
倒れている男を振り返り、ザッと身体の状態をうかがえば、銀髪の男の呼吸は荒く苦悶の表情を浮かべている。唇は赤黒く染まり、顔色が青ざめていくのを見つめ、レベッカの顔に焦りの色が浮かんだ。
(不味いわね……)
毒を受けてどれだけの時間が過ぎたかわからない。しかし、男の状態を見れば、一分、一秒をあらそうのは明白だ。
レベッカは刺された傷口の当たりをつけると、持っていたナイフで銀髪の男の服を切り裂いた。想像していたより傷口は浅い。
「痛みますが、我慢してくださいね!!」
聞いてはいないであろう男に声をかけ、レベッカはためらうことなく傷口に口をつけ吸い上げた。途端に男の口からくぐもったうめき声があがるが無視だ。毒が全身に回る前に出来るだけ吸い出す必要がある。男の血で唇が真っ赤に染まるが、そんな些末なことを気にしている余裕はない。
(この毒消しが効くかはわからなけど、やってみるしかないわね)
内ポケットから取り出した小瓶には茶色の粉が入っている。毒消し草と呼ばれる植物の葉を乾燥させ、すり潰し粉末状にしたものだ。少量の水と練り合わせれば塗り薬にもなる万能薬。しかし、これを飲ませたことはない。
レベッカは地面に転がったポットをつかみ、茶色の粉末を入れたカップにお湯を注ぐ。
「これは薬です! 飲めますか!?」
声を張り上げ男に呼びかけるが、反応が薄い。徐々に浅く弱くなっていく男の呼吸を見てレベッカはためらいなく薬湯を口に含み、男の唇に口づけた。
ゆっくりと男の口内へと注ぎ入れた薬湯が嚥下されるのを横目に確認し、レベッカはもう一度薬湯を口に含み口づける。何度も何度も繰り返す内に、カップの中の薬湯はすっかり無くなっていた。
(あとは、この男の生命力にかけるしかないわね)
荒かった息づかいが徐々に落ち着き、深くゆっくりとした呼吸へ変化していく。それを見てとり、レベッカもまた安堵のため息をこぼした。
「山場は超えたようね……」
銀髪の男の顔には血の気が戻り、苦悶の表情も浮かべていない。穏やかな吐息を聴き、レベッカは考える。
このまま回廊に放置するわけにはいかない。刺客が戻ってくるかもわからない状況で、銀髪の男を残し助けを求めに行くことも出来ない。
「……どこか、休ませる場所はないかしら」
ザッと辺りを見回せば、いくつか扉が見える。あれだけの戦闘があったにも関わらず、未だ人の気配がない。第二王子の伝染病が原因だとしても、人の気配がなさ過ぎではないか。
(まるで廃屋のようね。まさか誰も住んでいないなんてこと……)
手入れが行き届いた庭木に、ほこりひとつない回廊を見て自分の考えの突飛さにレベッカは頭をふる。
(……ありえないわね)
「――――、うっ……ん……、君は……」
突然耳に入ってきたかすれ声に、銀髪の男へと視線を落とす。
「お気づきになられましたか?」
額に手をあて宙を見つめる男を見下ろし声をかけるが、反応が薄い。焦点が合わず視線を彷徨わせる男に、レベッカは手を貸し上体を起こさせた。
本来であれば危険な状態を脱したばかりの男を動かすのは得策ではない。しかし、誰もいない回廊に長く留まるのも危険だった。
「立ち上がれますか? どこか身を隠せる場所に移動しないと危険です」
レベッカの問いに男の手が動き、一つの扉を指し示す。レベッカは男に肩を貸し、立ち上がらせると彼の指し示す部屋へと向かった。扉をあけ中へ入ると、そこはベッドと小さなテーブルセットが置かれた簡素な部屋だった。
(使用人部屋かしら?)
王族の居住区にしては貧相な内装にレベッカの頭には疑問ばかりが浮かぶ。人の気配がない離宮に、綺麗に保たれてはいるが、使用している形跡がない使用人部屋。違和感ばかりがレベッカの目につく。
(本当に、第二王子殿下は、この離宮にいるのかしら……、まぁ通りすがりの令嬢が気にすることではないわね)
レベッカは頭をふり、頭の中から浮かんだ疑問を追い出す。今はそれどころではない。
引きずるように男を運び、ベッドへと横たえる。目をつぶり、荒い呼吸を繰り返す男の容体は先ほどより明らかに悪くなっている。無理矢理移動させたことで、容体が急激に悪化したのかもしれない。
自分一人の力では限界を感じたレベッカは、一か八かの賭けに出ることにした。銀髪の男をこの部屋に一人残すことに不安はある。しかし、早く医師に診せ適切な処置を受けねば命に関わる。レベッカの本能が男の危機的状況を訴える。
レベッカは本能に従い、苦しそうにうめき声をあげる男の耳元に顔を寄せ声をかけた。
「人を呼んできます! 少し離れますが、すぐ戻りますので!!」
レベッカが安心させるため、最後に男の手を握った時だった。握った手が強く引っ張られ、気づいたときには男の身体の下へと囚われていた。
「えっ!? ……ちょっ……なに……」
自分の置かれている状況が理解できない。
熱に浮かされたように赤い顔をして、『はぁ……、はぁ……』と荒い呼吸を繰り返す男に見下ろされている状況に思考が追いつかない。抵抗らしい抵抗もできずシーツへと縫い付けられた両手が、レベッカの恐怖心を煽る。
見上げた男の深い藍色の瞳がギラっと光り変化していく。その様を見つめ、レベッカは刺客の男が言った言葉を唐突に思い出した。
『その男に使った毒は毒虫だけではない』
(くそっ!? 精果草を使ったのね……)
金色へと変化していく男の瞳を見つめ、レベッカの中に焦りだけが募っていった。




