別れの時
「とうとう、完成したんだな。精果草の解毒薬が」
「えぇ、やっとよ。エリアス様の力が無ければ出来なかった。本当に感謝しております」
レベッカは出来たばかりの青色の液体を小瓶へと移し、エリアスへと手渡す。小瓶に入った液体を陽にかざせば、青色が光に反射し虹色に輝き出した。
青い花が解毒薬の鍵になるとわかってから数ヶ月、何度も何度も試行錯誤を重ね、やっと完成した解毒薬。これを、真っ先にエリアスに渡したかった。
『欲』の本質がわかり『代償』から解放されたエリアスに、この解毒薬はもう必要ない。でも、どうしても彼に渡したかった。
あの日、あの時……、第二王子の住まう離宮でエリアスに出会わなければ、精果草の解毒薬は完成しなかった。
七色に輝く解毒薬は、二人の絆。
欲を満たす必要がなくなったエリアスには、もうレベッカという存在は必要ない。
エリアスとの関係も終わる。ただ、この解毒薬がある限り彼の心から『レベッカ』は消えない。それは最後の悪あがきだ。
心に宿る憐憫に気づかぬふりをしてレベッカはエリアスへと笑顔を向ける。
「これで万が一、精果草の中毒になっても大丈夫ね!」
「ははは、そう何度も毒にやられてたまるか。まぁ、お守りがわりにもらっておくけどね」
「肌身離さず持ってなさいよ!」
「あぁ、ネックレスにでもしようか。レベッカも一つどう?」
「ふふふ、じゃあ一つお願いしようかしら」
二人の笑い声が、レベッカの研究棟に響く。
(ここにエリアスが来ることも、なくなるのね……)
薬草の匂い、コポコポと湯を沸かす音、色鮮やかな液体が入った試験管、見慣れた光景の中にエリアスがいる。ただそれだけで、日常が特別な空間へと変わる。
いつしか青い花を届けてくれる日を待ち焦れるようになっていた。
二人だけの空間に会話はない。
レベッカは研究に没頭し、エリアスは研究部屋の一角に置かれた椅子に座り本を読む。
心地よい静けさの中、穏やかな時間が流れていく。
そんな夢のような時間も終わる。
あふれ出しそうになる涙をこらえ、レベッカはエリアスに背をむける。最後くらい笑顔で別れたい。
「エリアス様、その後事件に進展はありましたの?」
わざと明るい声を出し、レベッカは問いかける。
「そうだね。正直なところ成果はない。あのオークション以来、奴らも目立った動きをしていないし、警戒しているのだろうね」
淡々と話していても、言葉の端々から落胆の色は感じられる。いくら解毒薬の開発に成功しても、精果草密売の黒幕が捕まらなければ根本解決にはならない。唯一の情報源だったメイナードからの連絡もなく、生きているのか死んでいるのかもわからない。はっきり言って手づまりなのだ。
テーブルに置かれた試験管を見つめ、レベッカは思考を巡らす。試験管に入っている赤色の液体を抽出するだけでも、かなりの量の精果草が必要になる。それなのに、闇オークションでは濃縮液を大量に売買していたのだ。しかも、体内へと直接投与出来る注射器という型で。
オーランド王国の医療水準では不可能な濃縮液を注射という型で用意出来る国など限られる。しかも、大量に。
「ねぇ、エリアス様。この赤い液体は精果草の濃縮液なんだけど、この量を作るだけだって手間と時間がかかるのよ。それを闇オークションでは大量に捌こうとしていた。あれだけの量を短期間に作ろうとするなら、それなりの製造施設が必要になる。精果草の密売には隣国の、しかも王族に近しい人物が関わっている。違う?」
「ご名答、たぶんそうだろうね」
「そうだとすると、隣国はオーランド王国の混乱を狙っている。そして、後々は手中に……」
「……、そこまではわからない。レベッカ、憶測でしかないことを無闇に口にするものではないよ。口は災いの元というだろう。とくに、国同士の問題に発展しそうな話は、ね」
今までの付き合いや言動から、エリアスはオーランド王国の暗部に近い部署にいるのではないかとレベッカは考えていた。
表で処理出来ない貴族や王族を取り締まる暗部のことをレベッカも父から聞いたことがある。エリアスが暗部に所属しているのであれば、より情報の扱いには慎重になる。
(これ以上は、踏み込まれたくないのね)
エリアスは暗に言っているのだ。解毒薬さえ手に入ればレベッカは用済み。ここでお別れなのだと。
「じゃあ、そろそろ帰るよ」
椅子から立ち上がり軽く身支度を整えたエリアスが扉へと歩いていく。その背を見つめるレベッカの心には空虚な悲しみだけが広がっていく。
精果草が完成した今、エリアスがここへ来る理由はない。だけど、レベッカは聞かずにはいられなかった。
「エリアス、次に会えるのはいつ?」
二人の間に落ちる沈黙が、彼の心の内を吐露しているようで辛い。
「いつかな……、また連絡するよ」
『もう連絡なんてしないくせに』という言葉が心の中で響き消えていく。
初めからわかっていたこと。
エリアスにとって、レベッカは命を繋ぐための道具でしかない。それ以上でも、それ以下でもないのだ。
そんなことわかっていた。
でも、心が納得しない。
あの背に追いすがれば、あなたは振り向いてくれるの?
捨てないでと叫べば、あなたは私の手を取ってくれるの?
愛していると叫べば――――
無理ね。きっとエリアスは振り向いてはくれない。彼の背が、それを物語っていた。
(もう、終わりなのね……)
エリアスが扉を開け出ていく。パタンと閉じられた扉を見つめ、崩折れる。
レベッカは口元を両手で覆い、漏れそうになる嗚咽を必死に耐える。
あと少し。あと少し……
エリアスにだけは聴かれたくない。
もう、限界だった。
静寂に包まれた部屋に慟哭が響き渡る。
あふれ出した涙を拭うこともせず、レベッカは声をあげ泣き続けた。




