嫉妬
「ふふふ、こんなところにいたのね」
上品な小花柄のデイドレスを身にまとった女性を見たエリアスの様子が変わる。背後にいてもわかるくらい、彼が動揺していることがわかる。
「アイリーン……、なぜここに」
美しい笑みを浮かべ佇むアイリーンへとエリアスが一歩を踏み出す。
彼へと伸ばした手が宙を切る。
離れていくエリアスとの距離にズキズキと胸が痛み出した。
アイリーン・ロッキン公爵令嬢。王太子殿下の婚約者で今回の茶会の主催者。彼女の情報がクルクルと頭の中を巡るが、何の意味もない。
心の中に広がっていく感情の意味をレベッカは理解していた。こんなドス黒い感情に気づかされるならエリアスへの恋心になんて気づかなければよかった。
エリアスに触らないで。
彼に話しかけないで。
そう願ってもレベッカを裏切り二人の世界は続いていく。
「エリアス、あなた昔からこの場所がお気に入りだったわね。でも、ご令嬢をお連れするには、ちょっと準備不足よ」
パンパンと手が汚れるのも気にせず、エリアスの服につく土埃を払うアイリーンは、とても優しげな笑みを浮かべている。そして、そんなアイリーンのお節介に、困り顔を見せながらも応じているエリアスからも気心の知れた相手に対する気やすさが感じられた。
まるで恋人同士のようなやり取りにレベッカの胸の痛みは激しさを増していく。
(アイリーンとエリアスは、どんな関係なの? 恋人同士? でも、アイリーンは王太子殿下の婚約者よ)
レベッカの頭の中を疑念がクルクルと回る。そして、シレイナに言われた言葉を唐突に思い出す。
『エリアスには、想い人がいる』
親しげな様子からも、エリアスの想い人がアイリーンである可能性は高い。
「本当、ダメな子ね。エリアス、彼女を紹介してくれるかしら?」
「あっ……、あぁ。彼女は……、友人のレベッカ嬢だ。シャロン男爵家の……」
アイリーンの言葉で、今やっとレベッカの存在を思い出したのだろうか。
エリアスの態度に、レベッカの心に広がるドス黒い感情が激しい炎となって燃えあがる。
(惨めな想いだけは、したくない)
レベッカは笑みを消しデイドレスを摘むと、カーテシーをとる。
「お初にお目にかかります。シャロン男爵家のレベッカと申します。この度は、素敵なお茶会への招待、ありがとうございます」
「やっぱり、あなたがレベッカさんだったのね。お会い出来て嬉しいわ」
小走りで近づいて来たアイリーンに両手を握られ、邪気のない笑みを返されてしまえばレベッカはどうすることも出来ない。
(悪意を向けられた方がよっぽど楽よね。公爵令嬢で、性格も良いなんて……、私に勝ち目なんてないじゃない)
心の中に降り積もる黒い感情が、レベッカを卑屈にさせる。
「おい! アイリーン。距離のつめ方!! レベッカが困っているだろう」
「もう、エリアスは黙ってて。こんなところに素敵なご令嬢を隠すような子は、知りません!」
親しげに交わされる二人の言葉の応酬に、レベッカの心が黒く染まっていく。
エリアスの顔を見るのも辛く俯いたレベッカは絞り出すように声を出す。
「アイリーン様、わたくし用事を思い出しましたの。申し訳ありませんが失礼させて頂きます」
アイリーンの手を振り払い駆け出す。背後からエリアスの呼び止める声が聞こえたが止まることは出来ない。
エリアスだけには、こんな泣き顔見られたくない。
レベッカは脇目もふらず、前だけを見つめ走り続ける。むき出しの腕や手に小枝があたりすり傷をつくるが、痛みすら感じない。
どれくらいの時間走り続けただろうか、ふと気づいた時にはロッキン公爵家の広大な敷地内で迷子になっていた。
「迷子になるほど、広大な自宅って……、何よ、それ……」
辺りを見回しても道らしい道はなく、生い茂った木々の中、人の気配もない。聴こえるのは鳥の囀りだけ。ひとりぼっちになってしまった寂しさから、レベッカは膝を抱え座り込む。
このまま誰にも発見されず死んでしまうということはないだろう。母には、ロッキン公爵家のお茶会に参加すると伝えてある。帰宅しなければ、公爵家に掛け合ってくれる。
それに、あんな別れ方をしたのだ。エリアスもアイリーン公爵令嬢も、茶会会場にレベッカの姿が見えなければ探してくれる。
「それは、期待しすぎね。今頃エリアスは、愛しの令嬢と二人、楽しい時間を過ごしているのよ。私のことなんて忘れて……」
自分で言って傷ついているなんて馬鹿みたい。
腕に残った小さなすり傷や切り傷よりも心の痛みの方が強い。ジクジクと痛む胸を押さえ、レベッカは膝へと顔を伏せる。
「初恋だったのかな……、でも失恋しちゃった」
次から次へと流れていく涙が、ワイン色のドレスに染みを作っていく。
もう我慢出来なかった。
心を蝕む悲しみを吐き出すように声をあげて泣く。泣き続けて、泣き続けて、涙が枯れた頃、遠くで自分の名前を呼ぶ声が耳に入った。
声だけで誰かわかってしまう。
それほどまでに心揺さぶられる存在なんて、今までいなかった。だからこそ見つかりたくない。
こんな惨めな姿、エリアスだけには見られたくない。
レベッカはふらつく身体を叱咤し一歩を踏み出す。しかし、数歩も行かないうちに力強い腕に抱き止められていた。
「放して、放してよ!!」
「落ち着け、落ち着けって。どうしたんだよ。急に走り出すし」
「関係ないでしょ! 私がどこへ行こうが、何をしようが、あなたには関係ない。もう放っておいて!」
レベッカはエリアスの腕から逃れようともがく。しかし、さらに強い力で抱きしめられ、それ以上どうすることも出来なくなった。
そもそも、エリアスの言動に怒る資格なんて自分にはないのだ。ただ、利害が一致しただけの関係。恋人でも、家族でも、ましてや婚約者でもないのだから。
「エリアス様、私のことは気にせず、アイリーン様のところへお戻りください」
丁寧な口調で紡がれるレベッカの言葉にエリアスの身体が強張る。その言葉はレベッカが出来る最大限の拒絶だった。
「レベッカ……、君が何を勘違いしたかはわからない。だけど、アイリーンとの間に男女の関係なんてない。ただの幼なじみに過ぎないんだよ」
「ふふっ、別にいいわ。私たちは、ただ利害が一致しただけの関係。エリアス様が誰に想いを寄せようと、誰が恋人だろうと、私にとやかく言う権利などありません」
「それなら、俺がレベッカを好きだと言っても、いいってことだよな!!」
「えっ!?」
グイッと腰を引き寄せられ、気づいたときには唇を塞がれていた。クチュという淫靡な音を響かせ唇が離れていく。レベッカは、その様子をただ見つめていることしか出来なかった。
「詰ってくれたっていい、殴ってくれたっていい。ただ、これだけは信じて欲しい。いい加減な気持ちでレベッカにキスしたわけじゃない」
ギュッと抱きしめられ、耳からエリアスの鼓動が聴こえる。トクトクトクと早まる心臓の音に、彼もまた緊張していることがわかった。
会う度に嘘なのか、本心なのかわからない態度を取るエリアスの言葉を信用していいかもわからない。ただ、見上げた先に見た、苦しげに細められた瞳が胸を切なく痛ませる。
レベッカはエリアスの背へと腕をまわしギュッと抱きつく。フワッと香った嗅ぎ慣れた香りに、レベッカの瞳に涙がにじんだ。
「レベッカ、このままでいいから聞いてくれる? 君に俺の母の話をしたことはなかったよね。俺の母は、ロッキン公爵夫人の妹だったんだよ」
エリアスの母が死んだのは、彼が五歳の時だった。
「継承権争いに巻き込まれた俺は命を狙われるようになり、一時期ロッキン公爵家へ預けられた。その時からの付き合いなんだよ、アイリーンとは。アイリーン……、ロッキン公爵令嬢とは姉、弟のような関係で、それ以上の気持ちなんてない」
アイリーンとエリアスが口にするたびに胸が痛む。彼の言葉は本当なのだろう。ロッキン公爵令嬢とエリアスはただの幼なじみであって恋人同士ではない。それは正しいことなのだろう。
ただ、幼なじみだから恋心がないとは言えない。
伯爵でしかないエリアスに、公爵令嬢と王太子の婚約を潰すだけの力などない。
アイリーンに想いを寄せようと、あきらめるしかないのだ。恋心を隠し、愛する彼女と王太子の結婚を見届けるしかない。
エリアスの心にはアイリーンがいる。それが真実なのだろう。
「エリアス様、ごめんなさい。突然、ロッキン公爵令嬢が現れて混乱してしまっただけなの」
レベッカは泣き続ける心を隠し、エリアスの胸へと頬を寄せる。耳から聴こえる心音は落ちついている。嘘を信じたと、ホッとしているのだろう。
エリアスにとってレベッカは命綱。レベッカが彼を拒否すれば、命は潰えてしまう。だからこそ、エリアスはレベッカを手放せない。
それは、仄暗い喜び。
(欲の本質が見つからない限りは、エリアスは私のものよ)
エリアスを見上げ偽りの笑みを浮かべる。
「エリアスさま……、わたくしも好き。あなたのことを好きになってしまったの」
レベッカはエリアスの顔を両手で包み、泣き続ける心を無視し口づけた。




