初恋
「いつから、私はエリアス様の大切な女性となったのかしら?」
「えっ? それはもちろん初めて会ったときからだよ。レベッカがいなければ、俺の命はない。命よりも大切な女性だろう」
ああ言えば、こう言う。エリアスに口で勝とうとする方が馬鹿なのかもしれない。エリアスに助けられたのは、事実なのだからと、レベッカは意地を張らず素直に頭を下げた。
「エリアス様、助けて頂きありがとうございます」
「いいや、助けたつもりはないよ。理不尽な物言いに腹が立っただけ。ただ、それだけだよ」
心地よい沈黙が二人の間を流れていく。
華やかな茶会会場とは違い、今レベッカがいる場所はとても静かな林の中。樹々の間から木漏れ日が差し込み、時折り爽やかな風が吹き抜けていく。
大木に背を預け、ただ静かに流れていく時間が心地いい。
幾重にも鎧を重ね素の自分を守らねば喰われてしまう社交界では、常に緊張を強いられ心が疲弊していく。いつしか、素の自分と偽りの自分の境がわからなくなり、悪女としてのレベッカこそが真の自分なのではないかとさえ思えてくる。
本当の自分は、社交界で噂されるような悪女なのだろうか? 自分のことがよくわからない。
「エリアス様……、私は社交界で噂されるような悪女なのでしょうか?」
「悪女? レベッカ、君はそう思うのかい?」
「よくわからないのです。セイン様と別れるために、嫉妬深い悪女を演じて参りました。でも、今は悪女の演技はしていません。でも、悪女のレッテルは取れることなく、張りついたままです。そして今度は婚約者以外の男に色目を使う阿婆擦れと罵られ、周りで静観していたご婦人方の目も厳しかった。彼らにとっては、真実など関係ないのです。悪女という共通の敵を作ることで、自分の行いを肯定したいのでしょう」
悪女という共通の敵をつくることで、自分の行いを正当化する。悪女相手であれば、罵っても、嘘をついても、陥れても正義の名の元に全てが許される。だからこそ、彼らには分かりやすい敵が必要なのだ。
『レベッカ』という悪女が。
「厳しいことを言うと、一度『悪女』のレッテルを貼られたものを覆すのは、かなり難しい。その噂を吹き飛ばすほどの衝撃的な何かがなければ、難しいだろう。人間は群れる生き物だからね、そのコロニーをまとめる方法として共通の敵を作ることは常套手段だから。でもね……、そんな低俗な奴らの目を気にする必要ってある?」
「えっ?」
「だって群れるしか能のない奴らの目を気にして言動を制限されるなんて馬鹿らしいと思わないかい?」
一陣の風が吹き抜けレベッカの赤髪が揺れる。
「外野に何を言われようとも、君が大切だと思う人達がレベッカの本質をわかってくれているなら、それでいいんじゃないかな。レベッカの大切な人達は、君が悪女だと思っているの?」
エリアスの言葉に、レベッカは首を横に振る。
悪女との噂を気にするあまり、本当の自分を見失いそうになっていた。
本当の自分は、薬草が大好きで、家族が大好きで、夢のために努力を惜しまず、お人好しで、ちょっと負けず嫌いな女性。決して、悪女なんかではない。
心の中の靄がエリアスの言葉で晴れていく。
「少なくとも俺は、レベッカが悪女だなんて、これっぽっちも思っていないよ。努力家で、真面目で、ちょっと勝ち気で。薬のことになると周りが見えなくなるところと、正義感が強すぎてトラブルに自ら立ち向かっていくところは、少々困りものだけどね」
風になびき乱れた赤髪をエリアスの指がつまみレベッカの耳にかけ離れていく。
ドキドキと高鳴り出した心臓の意味をレベッカは今やっと理解した。
優しい笑みを浮かべるエリアスとレベッカの視線が甘く絡み合う。目と目が合い、握られた手に心臓が痛いくらいに爆走していく。指先が絡み、キュと握られた瞬間、レベッカは限界を迎えた。
「あぁぁぁ、エリアス様! じ、実はお話しが!!」
素っ頓狂な叫びをあげ飛び退ったレベッカを見つめエリアスがクスクスと笑っている。
「こんな初心な悪女、世界中探したっていないのにね」
楽しげに呟かれたエリアスの言葉は、恋心を自覚したばかりのレベッカには届かない。
「あぁあぁ、あの。えっと、密売に関しての新情報が!!」
混乱した頭で叫んだ言葉にエリアスの目つきが変わる。人差し指を口元に立て『シッ』と発した声の鋭さにレベッカは慌てて口元を両手で隠した。
(マズい、マズい……、密売のことは最重要機密事項だった)
辺りを見回したエリアスが誰もいないことを確認し、レベッカへと手招きをする。
「レベッカ、誰が聞いているかもわからないから、その話は内密にね」
何度も首を縦に振るレベッカの頭にエリアスの大きな手が乗せられ、ポンポンと撫でられる。その仕草が、聞き分けのない幼子をあやしているかのようで、ムッとしてしまう。
しかし、ミスをしたのはこちらだ。レベッカはため息を一つ吐き出し心を落ち着かせると、エリアスの耳元へと口を寄せた。
「次に密売が行われる月日と場所がわかりました。そして、その内容も」
木漏れ日差し込む心地よい木陰の下、顔を寄せ合いエリアスに話す内容が密売のことだなんて、なんとも色気がない。しかし、悪女と噂されていても初心なレベッカにとっては、好きな人と顔を寄せ合い話をしているだけでも、破裂しそうなくらい心臓が高鳴ってしまう。それを隠すため、どんどんと早口になっていく内容でもエリアスは理解してくれたようだ。
「ほぉ〜、ニールズ伯爵家で働く下男が、密売の裏方として関与していたのか」
「えぇ、情報を教えてくれた下男の名は明かせないけど、確かな情報だと思うわ」
「そうだね……、俺の掴んでいる情報と照らし合わせても信憑性は高い。その日に、闇オークションが開かれることは確かだろう」
「じゃあ、闇オークションの現場を取り押さえることが出来れば、女性達は助かるのね」
「う〜ん、それは難しいかもしれない。女性達に、いつ精果草を使われるのかわからない。オークションに出される直前に使われたら、たとえ解放されても、解毒剤がない今、待つのは死だ。しかし、現場を押さえない限り、いくらでも言い逃れは出来てしまうだろう。さて、どうしたものか……」
考え込むエリアスを見つめ、レベッカの心にも落胆が広がっていく。
今のままでは、ニールズ伯爵は捕らえることが出来ても、ミシェルを救うことは出来ない。精果草を使われた時点で命はないに等しい。
精果草を使われず、闇オークションが予定通り開かれ、悪人共を一網打尽にする方法……
レベッカの頭の中に、閃きが走る。
「ねぇ、エリアス様。精果草を他の薬にすり替えればいいのよ。同じような見た目で、ちょっと興奮する合法薬に心当たりがあるわ」
「ちょっと興奮する合法薬って……」
呆れ半分に言われた言葉も、打開策を見つけたレベッカは聞いてもいない。
メイナードは、出来ることは何でもすると言った。口ぶりからも、彼がかなり危ない橋を渡っていることはわかる。もし、メイナードの協力が得られ、精果草と偽薬をすり替えることが出来るなら、女性達を助けつつ、悪人を捕えることが可能だ。
「エリアス様、私に伝手があります。ですので、どうか憲兵を動かしてください!」
レベッカの言葉に難しい顔をして黙り込んでしまったエリアスの態度からも、彼が乗り気ではないとわかる。しかし、ここで諦めてしまったら、ミシェルに待つのは死だ。
後悔なんてしたくない。
レベッカは今だに言葉を発しないエリアスの手を両手で包み引き寄せる。
「もう後悔したくないのです。ここであきらめてしまえば人一人の命が潰えてしまう。そんなの耐えられません。成功する保証なんてない。でも、あきらめたくない。エリアス様、どうかお願いです。私の願いを叶えてはくれませんか」
胸に抱いた手をキュッと握り、神に祈るように口づけを落とす。
「参ったな……、そんな風にお願いされたら断れない」
「では!!」
瞳を輝かせ、身を乗り出したレベッカへとエリアスが釘を刺す。
「レベッカ、君の願いを叶えよう。でも、危険だと思ったら手をひくこと。そして、そのオークションには俺と一緒に潜入すること。わかったね」
レベッカはコクコクと頷き、あふれ出した喜びのままエリアスの胸へと飛び込む。
「エリアス様! ありがとう……、ありがとうございます!!」
ぎゅうぎゅうと抱きつく腕に力を込めたレベッカはエリアスを押し倒し、気づいた時には二人で地面に転がっていた。
プッと吹き出したエリアスの声に釣られレベッカも笑い出す。
静かな林の中、二人の笑い声が響く。
(エリアス様の隣は居心地がいい……)
トクトクと高鳴る鼓動の音が心地よく、心がポンポンと弾む。
私より、私のことを理解してくれて背中を押してくれる人。そして、手を差し伸べてくれる人。
考えを押しつけることなく、私の考えや想いを尊重し、時に叱咤し導いてくれる人。
隣にいて素の自分でいられる。そんな居心地の良い人、今までいなかった。
横を向けば、エリアスと目が合う。ゆっくりと瞳を閉じれば、優しいキスが唇へと落とされた。
啄むようなキスが落とされ、そのくすぐったさにレベッカが笑みこぼれた時、突如として幸せな時間は打ち破られた。
ガサっと葉と葉が擦れ合う音にエリアスが敏感に反応する。庇うように背後へとレベッカを隠しエリアスが立ち上がった時、木々が重なり合いトンネルのようになった小道から白銀の髪を持つ美しい女性が現れた。




