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違和感

「本当、何してるんだろう、わたし……」


 青空の下、洗濯カゴに入ったシーツや衣類を干しながらレベッカは大きなため息を吐いた。


 ニールズ伯爵家のハウスメイドとして潜入してから一ヶ月。精果草密売に関する証拠はおろか、情報すら得られていない現状に、レベッカは沈んでいた。


(これじゃ、ただの働き者のメイドじゃない!)


 金目当てで格下のシャロン男爵家との婚約をしたニールズ伯爵家の家計が、ハウスメイドを十分に雇う余裕がないくらい困窮しているとは思っていなかった。


 伯爵家の家事全般を担うハウスメイドはレベッカを含めても、たったの五人。その五人で、広大な伯爵家の掃除、洗濯、食事の配膳から、主人一家の世話まで行うのだ。手が足りるはずがない。


 新入りのレベッカが任されたのは、掃除と洗濯。もちろん一人で全てをこなせる訳もなく、使われていない部屋は放置し、主人の目の届く範囲のみを重点的にこなしていく他ない。


 朝から晩まで目まぐるしく動き回っているというのに、他の使用人に出くわすことがないとは、よっぽど使用人の数が少ないのだろう。


「そりゃ、客人に茶なんて出ないわね」


 婚約者としてニールズ伯爵家に出入りしていた時のことを思い出し、レベッカは苦笑いを浮かべる。


 ただ、不思議なこともある。

 伯爵家で働くハウスメイドの数が少ないのに対し、力仕事などをこなす下男の数は十分に確保されているのだ。広大な敷地内の手入れや、食材保存庫の管理は確かに男手が必要だろう。


 しかし、細々な家事全般をこなすのは女手。仕事も多種多様にわたる。一般的な貴族家は、働くハウスメイドの数の方が下男の数より、圧倒的に多いのが通常だ。

 それに、いくら家計が火の車だとしても、あまりにメイドの数が少ない。


 何らかの意図があり、メイドの数を減らしているとしか思えない。ただ、その意図がわからないのだ。


 レベッカは、そんなことをつらつらと考えながら、シーツを抱え歩く。人の気配の感じられない長い廊下を進み、曲がり角にさしかかった時、遠くの方から聴こえた女性の叫び声に手に持ったシーツを投げ出し走りだした。


 右に左に廊下を進んだ先、階段下の踊り場で数名の人影を見つける。


 一人は、ニールズ伯爵家の長子セイン。そして、彼に相対するは鳶色の短髪に、簡素な服を身につけた男――、服装から判断するに貴族ではない。しかもマズイことに、鳶色の髪の男の胸ぐらを掴んだセインは拳を振り上げ、今にも振り下ろそうとしている。

 どんな理由があるにせよ、格下の相手に暴力をふるうなど貴族の風上にもおけない。


 走り出したレベッカは、あと先考えず二人の間に割って入っていた。


「貴様!? 主人の前に躍り出るとは、どういう了見だ!!」


「どんな了見であろうと関係ございません! 弱き者を守るのが貴族のあるべき姿ではございませんか。使用人だからと、問答無用で手をあげるなど、紳士のする行いではありません!」


「お、お前!? 俺に逆らうというのか!」


 レベッカへと標的を移したセインの怒号が響く。血走った目をして睨み下ろすセインには、もう何を言っても無駄だろう。


 再度振り上げられた手に、レベッカは覚悟を決める。


(見て見ぬフリして逃げるより、割って入って殴られる方がよっぽどマシよ)


 レベッカは来る衝撃に備え目を瞑るが、来るべき衝撃が襲ってこない。恐る恐る目を開ければ、黒髪の男がセインの背後に立ち、振り上げられた拳をつかんでいた。


 その男の身のこなしは、暴力男を取り押さえているはずなのに優雅で、洗練されている。無駄な動きが一切ないのだ。


 レベッカの直感が、黒髪の男が只者ではないと訴える。怒り狂う己の婚約者より、その背後に立つ男が気になったレベッカは、事の成り行きを静観することにした。


「セイン様、お戯れが過ぎますよ。使用人……、特にメイドに手をあげたとなれば、大変な事態になりましょう」


「そ、そんなことはわかっている! しかし、この女は主人を愚弄したんだぞ! たかが平民の分際で!」


 たかが平民ですって!?


 沸々と湧きあがる怒りがセインのひと言で爆発した。鳶色の髪の男を庇うようにしゃがんでいたレベッカはスクッと立ち上がる。

 一発殴ってやらねば、レベッカの気がおさまらない。怒りのボルテージは最高潮まで跳ね上がっていた。


(平民、平民ってうるさいわね! 地位を笠に着て横暴な振る舞いをするお前は、犬畜生以下よ!!)


 しかし、セインめがけ一歩踏み出したレベッカの拳が彼の顔面にめり込むことはなかった。


 セインの腕を掴みながらも身体を反転させた黒髪の男がレベッカの行く手を阻む。そして、その男から香ったわずかな匂いに、レベッカの動きが止まった。


(うそ……、でしょ?)


 目の前の男の存在が俄には信じがたい。しかし、背格好に貴族然とした身のこなし、そして香った嗅ぎ慣れた香りに、セインとの間に立ちはだかる人物が誰なのか、レベッカは悟ってしまった。


(潜入するなら、するって言ってくれればいいのに)


 思いがけない人物の登場に興が削がれ、レベッカは脱力する。あの双子メイドの腕が凄すぎて、黒髪の男が誰か、まったくわからなかった。確実にセインは気づいていない。


「セイン様、メイドを傷つけたとあらば、伯爵様の商売に支障もきたしましょう。ここは手を引かれた方が、御身のためかと」


「お前……、父の商売のことを知っているのか!?」


「えぇ、もちろん。私は、伯爵様の裏稼業を手伝うために雇われたプロでございますから」


 驚愕の色を浮かべたセインの顔が青くなる。


「では、お前が父の言っていた、ガウェイン侯爵の知り合い……」


「えぇ、左様でございます。ではセイン様、参りましょうか。伯爵様がお呼びでございます」


 顔色をなくし震え出したセインの手を離した黒髪の男が恭しく礼をし、行き先を示す。


「では、参りましょうか」


 黒髪の男の後に続き歩き出したセインの後ろ姿を見つめレベッカの中に芽生えた疑念が膨らんでいく。


 変装したエリアスとセインとの会話をもう一度、頭に巡らしレベッカは考える。


 セインはニールズ伯爵が密売に関与していることを知っている。それだけではなく、セインもまた加担している可能性が高い。

 そして、エリアスは密売の全貌を掴んでいるとみて間違いない。その上で、ニールズ伯爵に接触し裏稼業に立ち入らせるほどの信頼を得ている。


(かなり前からニールズ伯爵家へと潜入して密売の証拠を探しているのに、見つからないなんて……、どういうことかしら?)


 決定的な証拠がなければ、貴族を捕縛し断罪することは難しい。違法薬物を密売し死人まで出ている現状を考えれば、早急に対処しなければ甚大な被害は避けられない。


(ちまちまと状況証拠なんて集めていたら手遅れになるわね)


 つまりは、現場を取り押さえるのが一番早い。だから、エリアスは敵の懐、奥深くまで潜入しているのだ。


 ただ、上手くいっていない。

 そこで、レベッカへと白羽の矢を立てた。


(メイドでなければわからない情報もあるわね)


 ニールズ伯爵家へと潜入してからずっと感じていた違和感が頭をよぎる。


 なぜ、ハウスメイドが少なく、平民出の女ばかりなのか?


 レベッカは踵を返し背後を振り返ると、今だに座り込んでいる下男と、もう一人、彼の背後で気絶しているメイドの女へと視線を移した。


――――彼女は何かを知っている。

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