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ふくれあがる欲望

「うっ……、あっ……」


 くぐもった艶声が響く。

 スタンドランプに照らされた室内が橙色に染まる。執務机にチェスト、そして猫脚のカウチソファに、それと揃いの一人がけのソファが置かれた室内は、主人の性格を表すかのように無駄がない。

 華美な装飾を極限まで削ぎ落とした家具はとてもシンプルだが、一目で一級品だとわかる。


 宮廷貴族が使うには簡素な部屋の中、一人がけのソファに座る女が一人。デイドレスの裾を両手に持ち、ガーターベルトが見えるギリギリの所までたくしあげている。

 その女の目の前に座る銀髪の男の瞳は金色に輝いている。欲望を宿し光る金色の瞳は、見た者の欲をも魅了する。


 女の喉がゴクリと鳴る。

 次に起こることに恐怖を覚えているのか、それとも期待しているのか。


 銀髪の男の手が、あらわになった女の脚を手に取り、恭しく指先に口づけを落とす。

 チュッと淫靡な音を響かせ離れていった男の唇が弧を描く。口づけを受け震えた足先は、男から与えられた愉悦に過敏に反応をしていた。


 悪女と豪語し、社交界でも傍若無人に振る舞う毒婦の真の姿が、こんな初心な女性だったとは。


 嬉しい誤算にエリアスの心は浮き足立つ。


 鮮やかな赤色の髪と同じように頬を赤く染めるレベッカを見つめ、己の中の『欲』が満たされていく。


 エリアスは、レベッカの反応を楽しみながら、ストッキングの上を滑らすように己の指先を上へ上へと這わせていく。


「レベッカ……、ガーターベルトの留め具を外すよ」


 ずり上げられたドレスの裾から手を入れ、ストッキングのレース部分を吊っていた留め金をパチン、パチンと外すと、その音に過敏に反応したレベッカの身体がビクッと揺れた。


 留め具から外されたストッキングが落ちる。それを丁寧に抜き取れば、艶めいた裸脚がエリアスの眼前に晒された。


 ゴクリと喉が鳴る。


 それを合図にエリアスは己の『欲』を解放した。





「エリアス様、お加減はいかがでしょうか? 寝酒をお持ち致しました」


 窓辺に立ち闇夜に沈んだ庭園をぼんやりと眺めていたエリアスは、執事ルーベルの声に視線を部屋の中へと戻す。

 テーブルの上には、赤味の強い桃色の液体が入ったグラスが置かれていた。


「今夜は、ロゼワインか?」


「はい。レベッカ様とお会いになられた夜は、よく寝られておりましたので。強い寝酒は必要ないかと」


 レベッカの髪色と同じ薔薇色に染まった液体を見つめ、胸が締めつけられる。


 彼女との出会いは偶然だった。第二王子の住う離宮で、刺客に襲われたエリアスを助けたのが始まりだ。


 紫色のドレスを身に纏った令嬢を目の端に捉えたとき頭をよぎったのは、宮廷貴族の令嬢を道連れにすれば夜会の主催である王妃もただでは済まないという打算だった。


 己の死をもって王妃を追いつめることが出来る。


 道連れにされる令嬢を哀れだと思いながら目を閉じかけた一瞬、鮮やかな回し蹴りを刺客へと放った令嬢の赤髪が解け、月光の中揺れる。その神秘的な光景に薄れそうになる意識が引き戻された。


 死に際にありながら、その神々しいまでに美しい立ち姿に見惚れていた。戦いの女神が己を助けるために降臨した。そんな錯覚を覚えるほどの存在感に、その場にいる誰もが見惚れていた。


 戦いの女神は、その美貌としなやかな身体で数多の男を誑かし、血を流させる悪神とも言われる。


 シャロン男爵家の悪評を背に悪女と噂されるレベッカだが、己の悪評を踏み台に凛と立つ強さに惹かれる男達も多い。


『あのおみ脚に踏まれてみたい』と考えている変態が列を成していることも知っている。


(かく言う私もレベッカの脚に執着している変態の一人か……)


 一人がけのソファへと座り、エリアスの悪戯な指先に身悶えていたレベッカを思い出し、己の中の『欲』が頭をもたげそうになる。


 今は、レベッカのおかげで『欲』が満たされ、身体の中で荒れ狂っていた衝動はおさまっている。しかし、精果草の毒を受けてから芽生えた渇望は際限なく膨らみ続けている。


 この状況が続けば、いつか自分も狂い死んでいくのだろう。過去、『欲』に蝕まれ死んでいった者たちと同じように。


(くくく……、それで良いのかもしれない。母の命を奪い、実の父から恨まれている俺にはお似合いの最期だ)


 しかし、死を望む者たちの思い通りになってやるつもりはない。死ぬなら、そいつらも道連れにしてやる。


 沸々と腹の底から湧きあがる怒りに、エリアスは決意を固める。しかし、心の片隅に宿るレベッカへの想いが胸を締めつける。彼女を巻き込んでしまった後悔だけが、罪となり心に楔を打ち込む。


「ルーベル、レベッカは?」


「シャロン男爵家へと、無事送り届けましてございます」


「そうか……」


 悪女を演じながらも、その実、誰よりも初心な女性。そして、己の夢よりも家族に課せられた使命を果たすため、自分を犠牲にすることのできる優しい女性。彼女に会えば会うほど、惹かれていく。


 しかし、この想いが報われることはない。


「エリアス様は、レベッカ様と出会われてから変わられましたね。全てをあきらめ、己の意思を殺し生きて来たエリアス様を変えた女性。レベッカ様なら、良き伴侶になりますでしょうに」


 ぼんやりと眺めた目線の先には、青い花畑で踊る女性の絵が飾られている。亡き母の姿がフッと頭を過り、懐かしさと罪の重さに胸がズキっと痛む。


 良き伴侶か……

 レベッカと生きる未来は希望に満ちているのだろうか。しかし、自由には生きられない俺の隣りにいて良い女性ではない。


 レベッカには夢がある。それを奪うことだけは出来ない。


「ルーベル、馬鹿を言うな。レベッカが俺の真実を知ったら、裸足で逃げ出すさ。彼女には、自由な世界が似合う」


「その自由な世界に、エリアス様も一緒に飛び出す未来はないのでしょうか?」


「くくく、所詮、俺は死ぬまで籠の鳥にしかなれない。ただ、今のままでは、死ぬのも時間の問題だがな」


 日に日に、『欲』への渇望は増していくばかりだ。このまま『欲の本質』がわからなければ、死ぬ運命だろう。


『欲』に完全に支配され死ぬのが先か、『欲の本質』を見つけるのが先か。


 どちらにしろ、死までの時間は残りわずかだ。

 金色に染まりつつある瞳が、残された時間が短いことを示していた。


「エリアス様、『欲の本質』に心あたりはないのですか?」


「欲の本質か……、脚に執着している時点で、『欲の本質』も脚に関連しているものなのだろう。ただ、なぜレベッカの脚でしか『欲』が満たされないのか? そこに、本質の答えがあるのだろうな」


「どちらにせよ、レベッカ様が鍵になることに変わりはございませんね。わたくしめを含め、ウォール伯爵家の、――いいえ、エリアス様に仕える者達の願いは、貴方さまの幸せのみでございます。全力で、レベッカ様との恋の進展に尽力させて頂きます」


 ニッコリと笑みを浮かべる好々爺を見て、エリアスは苦笑いを浮かべる。ルーベルが、この笑顔を浮かべる時は本気なのだ。


 このウォール伯爵家という離宮に追いやられた時からずっと、仕え続けてくれているルーベルは家族と呼べる存在のいないエリアスにとって、家族以上に大切な存在だ。

 だからこそ、大きなお世話だと思ってもルーベルの行動を邪険には出来ない。


「勝手にしろ……」


 気恥ずかしさを隠すように、グラスを手に持つとグイッと飲み干す。薔薇色の液体が喉を通り、身体を熱くさせる。


 ワイン瓶を染める薔薇色の液体を見つめ、レベッカもまた自分のことを思い出してくれていたらいいのにと、エリアスは柄にもないことを考えていた。

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