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外面だけの婚約者

「そろそろ、かしらね」


 夜会も終盤に差し掛かった頃、シャロン男爵家の長女レベッカは、数名の取り巻き令嬢に囲まれた己の婚約者、ニールズ伯爵家のセインを見つめ、ひとつため息を吐き出した。


 レベッカは令嬢たちと談笑するセインを見据え足を踏み出す。舞踏場を一歩一歩ゆっくりと進めば、レベッカの存在に気づいた紳士淑女が彼女を避けるように道を開ける。どこからともなく聴こえてくる嘲りの声に、これみよがしに囁かれる悪評を背にレベッカは前だけを見据え歩みを進める。


 王城で開かれた今夜の夜会は、一際レベッカを見つめる紳士淑女の目が厳しい。伯爵家以上の貴族家で構成される宮廷貴族のみ招待された王妃主催の夜会は、子爵家、男爵家で構成される新興貴族の夜会とは違う。男爵令嬢というだけで宮廷貴族の目は厳しくなる。


 しかも、名門ニールズ伯爵家長子セインと婚約したことで、レベッカの評判は地に落ちた。今も嘲りの声がいくつも聴こえるが、そんな嘲笑にかまうほどレベッカも馬鹿ではない。


 背の中頃まである艶やかな赤髪を靡かせ、紫色のドレスを翻し会場内を歩く。大きく開いた胸元を飾る瞳の色と同じ大粒のグリーンエメラルドのネックレスは、婚約者から贈られたものではない。もちろん、セインから指定された紫色のドレスも、彼からのプレゼントではない。


『セインからプレゼントをもらったことなんてなかったわね』と、そんなどうでもいいことを考えながら、カツカツカツと不作法に靴音を鳴らし歩くレベッカに、すれ違った夫人が眉を顰める。そんな夫人の視線を一睨みで黙らせ先に進めば、レベッカの行く道を塞ぎ談笑している紳士二人組に出くわした。


「そこ、どいてくださるかしら」


 レベッカの存在に気づいていない彼らへと向け、手に持った扇子を打ち鳴らせば、そそくさと談笑していた紳士達は逃げていった。


 たかが男爵令嬢のくせに、なんて傲慢な態度なの!


 そんな声が、あちこちで上がっていようとも己の態度を改めることはできない。


「ちょっと、よろしいかしら!」


 セインと取り巻き令嬢が歓談する一角。カウチソファが置かれた休憩スペースへとやって来たレベッカは両脇に令嬢を侍らせ笑みを浮かべる己の婚約者へと声をかける。すると、レベッカの声に反応した令嬢たちの鋭い視線が突き刺さった。


「あら、何かしら? 男爵令嬢のレベッカさん。ここは、あなたのような卑しい者が来るところではなくってよ」


 セインの左隣に座っていた気の強そうな金髪の令嬢が、敵愾心も剥き出しにレベッカを挑発する。


「ダメよ、シレイナ様。本当のことを言っては。レベッカさんは、平民出身のお嬢さんよ。社交界の右も左もわからない新参者。だから、紫色のドレスが社交界の華、ロッキン公爵夫人がお好きな色だと言う常識も知らないのよ。ほら、見てごらんなさい。公爵夫人とドレスの色が被っているわ」


 おっとりとした口調で会話に加わりながらも意地悪く目を細める令嬢が、周りに侍る令嬢たちに同意を求めれば、『そうだ、そうだ』と水を得た魚のように、口々にレベッカを貶す言葉の雨が降り注ぐ。そんな様子を眺めながら、『紫色のドレスを指定したのは、私に恥をかかせるためだったのね』とセインの思惑を呆れ半分に理解したレベッカの耳に、芝居がかった己の婚約者の声が入ってきた。


「やめてくれ、みんな。レベッカも悪気があって不作法な態度をとったわけじゃないんだ。なんていうか、ほらっ、男爵令嬢と言っても数年前までは平民だったわけだろう。礼節を重んじる宮廷貴族社会には馴染めないというか……、これでも僕のために必死に学んでくれているのだよ」


 レベッカを庇うようでいて貶めるセインの言葉に、取り巻き令嬢たちは『さすが、セイン様ですわ』と称賛の言葉を口にする。


「それでも、セイン様。レベッカさんの態度は褒められたものではございませんわ。男爵令嬢のくせに、格上のわたくしたちに対する傲慢な態度、許せるものではありません。新興貴族は、宮廷貴族を敬うべきですわ」


「そうだね、確かに僕もそう思うよ。ただね、僕はレベッカと結婚することで、新興貴族と宮廷貴族の架け橋になればいいと思っているんだよ」


「まぁ、なんて素敵な考えなの! さすが、セイン様ですわぁ」


 プラチナブロンドの髪に、アクアマリンを思わせる水色の瞳。王子様然とした優雅な所作で、優しさあふれる態度を崩さないセインは、宮廷貴族令嬢の間で高い人気を誇る。今も、芝居がかった態度で、己の主張を述べるセインへと、彼を取り囲む令嬢たちから熱い視線が注がれていた。


 ほんのりと頬を染め、陶酔したような目をセインへ向ける令嬢たちと己の婚約者との茶番劇に白けた目を向けるレベッカは、心の中で悪態をつく。


(ほんと、外面だけはいいのよね。新興貴族を誰よりも蔑んでいるお前が、よく言うわよ)


 レベッカも始めはセインに期待していたのだ。


 宮廷貴族でありながら、王命とはいえ、悪徳男爵家と噂されるシャロン男爵家の娘を婚約者にしようだなんて、なんて懐が深い青年なのだろうと。しかもセインは、地位関係なく誰にでも平等に接する心根の優しい品行方正な子息として、宮廷貴族の間では有名だったのだ。レベッカは、セインこそ自分の本質をわかり婚約を申し込んでくれた理想の殿方だと信じていた。しかし、真実は違ったのだ。


『悪女と婚約させられた可哀想な子息』


 セインは悪女と呼ばれるレベッカと婚約することで、己の格を上げようと画策した。

 己の婚約者と取り巻き令嬢の茶番劇を眺めつつ、諦めにも似た想いが頭をよぎる。


(独り身の方がよっぽど楽よね。セインと結婚するよりも……)


『働かざるもの、食うべからず』の家訓のもと育ったレベッカは、結婚しなくとも生きていくだけの力を持っている。しかも、窮屈な貴族社会で生きるよりも平民に戻り、自分の特技を活かし生活した方が、よっぽど自分らしく生きていけるのだ。


(お祖父さまと同じように、薬草にまみれて生きていけたらどんなに幸せだろうか)


 しかし、そんな些細なレベッカの願いが叶うことはない。


「もうそろそろ、よろしいかしら? その茶番劇、見飽きたわ。セイン、帰るわよ」


 レベッカの言葉に、場が騒然となる。右に左に非難の声が上がるが無視し、踵を返すと舞踏会場の出口へと歩き始める。カツカツと不作法な靴音を鳴らしエントランスへ出るとセインが来るのを待つ。


(ヒステリックを起こしている令嬢を宥めている頃かしら。きっと、今夜も一人残されるわね)


 エントランスでセインを待っていたレベッカだったが、案の定、遅れて出てきた彼はレベッカを一瞥し、ニールズ伯爵家の馬車へと乗り込んでしまった。そして、無情にも、レベッカを残し、馬車はゆっくりと門扉へと走り出してしまった。


「婚約者を置き去りにするような男のどこが心根の優しい紳士なのよ……」


 こんな茶番劇いつまで続ければいいのか。

 自分が望んだこととはいえ、己を殺し悪女を演じていれば、いつか心が死ぬ。


「もう限界……」


 レベッカの呟きは、虚しく宙へと響き消える。


「このまま帰れば母を心配させるわね」


 嬉々として夜会の支度を手伝ってくれた母の顔が脳裏に浮かび帰路につく足も重くなる。セインを伴わず一人で帰れば、またいらぬ心配をかけてしまう。母に心配させるくらいなら一人どこかで時間を潰して翌日、そのまま王城に出勤してしまえばいい。


(ドレスは、どうにかなるでしょ)


 レベッカは踵を返し王城の中へと戻っていく。今夜は王城の夜会だ。いつもより人の出入りも多く、庭園も開放されている。人混みに紛れて進めばお気に入りの休憩場所にはすぐたどり着ける。


 行儀見習いと称し王城に召し上げられる中級侍女として働くレベッカにとって、王城内の間取り図は熟知している。そして抜け道も。


 レベッカは庭園に降り立つと迷路のような生垣を抜け、奥へ奥へと進み目的の場所へと着いた。


「夜会会場はあんなに華やかなのに、今夜もここは静まり返っているのね」


 第二王子の居住区でありながら、いつ来てもこの場所には人の気配がない。

 王族の住まいであるはずなのに、門を守る衛兵はおろか使用人の姿すら見えない。しかも、夜になればその不気味さは際立って見える。


 静まり返った回廊に、灯りの一つも見えない。本当に人が住んでいるのかと疑いたくなるような静けさだ。


「やっぱり、あの噂のせいかしら」


 第二王子は、生まれながらの伝染病を患っている。そのため、人前に出ることが出来ない。


 しかし、世の中に生まれながらの伝染病など存在しない。薬師である祖父を師事していたレベッカにとっては当たり前の事実だ。だからこそ、そんな噂、信じていない。


「まぁ、その噂のおかげでゆっくり休めるお気に入りの場所を見つけたんだけどね」


 勝手知ったる第二王子居住区前の空き部屋。お菓子がないのが残念だけど、適当に時間を潰して朝方、使用人部屋へ行けば問題ない。


 辺りを見回し誰もいないことを確認しドアノブを握ったその時だった。


 第二王子居住区の奥の方から聴こえた金属を打ちつけるような音にレベッカの身体がビクッと揺れる。


(何かしら? 遠くの方で、剣を交わす音がするけれど。王族の居住区で、剣の鍛錬? ――いや、違う!! シャロン男爵家の朝練じゃあるまいし、剣の鍛錬をするなら剣技場でしょ!!)


 違和感を感じレベッカが門扉に手をかければ、なぜか鍵がかかっていない。

 王族の住まいに勝手に入るなど厳罰ものだが衛兵を呼びに戻る時間はないだろう。


 嫌な予感がする。

 動物的感とでもいうのか、人の生死が関わる事件が起こっているような気がしてならないのだ。


 レベッカは門をくぐり居住区内へと足を踏み入れると全速力で回廊を駆け抜ける。右に左に廊下を曲がり音のする方角へとひた走り、駆け込んだ先で見た光景にレベッカは息をのんだ。


 慌てて壁の影に隠れ、様子を伺う。

 覆面をした黒装束の男二人と対峙する銀色の髪の青年。白のドレスシャツに、タイトなトラウザーズを履いた青年は、明らかに騎士ではない。しかし、引き締まった身体つきを見れば、銀髪の男がそれなりに鍛えているのはわかる。


(不味いわね)


 確かに銀髪の男は剣の腕があるのだろう。しかし、対峙する黒装束の男は二人。多勢に無勢、危機的状況であることに変わりはない。しかも、銀髪の男は肩で息をし、明らかにスタミナ切れだ。


(一人で二人を相手にしている時点で超人的ではあるのよね。でも、このままじゃ、彼、死ぬわ)


 躊躇している時間はない。


 レベッカは、ドレスの裾を掴むと縦に切り裂く。上脚の半ばまで肌が晒されるが、今はそんな些末なことを気にしている場合ではない。


(これで、少しは動けるかしら。あと、武器になりそうな物は……)


 ぐるっと辺りを見回せば、少し離れたところにある部屋から灯りがもれている。

 男達からはちょうど死角になる位置だ。

 レベッカは躊躇なく走り出すと部屋へと入り、目当ての物を見つけニヤリと笑った。


(少しはこちらにも勝機はあるかしらね)


 レベッカはティーセットが乗ったカートをつかむと部屋を飛び出した。


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