6 突然の来客
あの妖獣事件があってから2週間。
未だにヴィクトリアの抜け落ちた記憶は戻らなかったが、気を失ってしまっていたのだからそういうこともあるだろうという気持ちに姉妹は考えを落ち着かせていた(じゃあ、誰が妖獣を倒したのか、ベンへの回復魔法は無意識にヴィクトリアが施したのか、という謎は残ったが)。
姉妹はもうすっかりあの事件以前の時と同じ穏やかな日常を取り戻している。
今日もヴィクトリアがレギウス文字での祈祷書の清書に取り掛かっていると、外に馬のいななきと馬車の音が聞こえてきた。
「お姉さま。お客様かしら?」
顧客リストの整理をしていたエリザベスが手を止めて窓から外をうかがった。
「まあ!聖女教会の院長様のようですよ。私たち一度、レイブンの町の分院に商品を納入した時にたまたまいらしていた院長様にお褒めのお言葉をいただきましたわよね。でも、じきじきにこのような所へおいでになるなんてことあります……? あ! お連れもいらっしゃるわ。お若い殿方がお二人。やはり中央教会の院長様ともなると、外出にはご立派な騎士がお二人も付くものなのですね」
中央教会とは、フロイデ、ドナ、グリーナ、フィーネ、デメル、ロメリア、そして、レイトンの七か国の国境を越えてデイ・フォルストス教を管理する教会である。その中央教会はここフロイデに本部である教会庁と、各国の尼僧院の総本山としての聖女教会も配置していた。その尼僧院最高責任者の院長が自らこのような辺鄙な飾り文字屋に出向くことはありえないことだった。
ヴィクトリアとエリザベスは表まで出て院長を出迎えた。
「院長様にはご機嫌麗しく…。このような鄙にお出ましになられ、恐悦至極に存じます」
ヴィクリアは挨拶をし、美しく優美なお辞儀をエリザベスと共に行った。
ガブリエル院長はその挨拶とお辞儀を見ると、なにやら意味深な目くばせを傍らの二人の騎士にしたが、頭を下げている姉妹の目にはそれは入らない。
「トーリア、エリー。かしこまらずともよいのですよ。実は東の森の祭壇へ行く途中なのだけれど私が喉が渇いてしまって、ここに寄らせてもらったのです。どうか少し休ませていただけまいか」
院長の言葉に
「大変な暑さの中、難儀されましたでしょう。どうぞごゆっくりお休みくださいまし。お足元にお気をつけて…」
ヴィクリアは館の中に院長と二人の騎士を案内した。
客間(件、居間であるが)に3人を通すと院長は騎士の紹介をはじめた。
「トーリア、エリー、こちらの騎士がウィンストン卿エドワード。こちらの騎士はハノーバー卿チャールズです。二人とはいとこ同士で聖女教会の護衛、管理をする家系の子息なのですよ。エドワード、チャールズ、こちらがトーリアとエリー。3年前から教会の教典に飾り文字を施してくれている娘さんたちです」
騎士たちはにこやかにヴィクリアとエリザベスに礼をとった。
ヴィクトリアは全身に黒をまとったウィンストン卿を見て何か落ち着かない気持ちを覚えた。
決して嫌な気持ちではない。だが、胸がざわつくような、なにか大事なことを思い出せなような…この黒衣を見たことがあるようなそんな感覚がするのだ。
(私はこの方を知っている……?)
しかしそれは単なる思い過ごしだろうと考え直した。ヴィクトリアは一度会った人の顔は忘れないからだ。
ウィンストン卿エドワードは年のころは20代半ば。長身でいかにも護衛の騎士らしい逞しくそれでいて俊敏そうな体つきの若者だった。黒髪と、ともすると他に厳しく鋭い印象を与える切れ長の黒い瞳の持ち主であったが、その黒い瞳が院長や、ヴィクトリア、エリザベスに向けて時折柔和で穏やかな光をたたえて向けられることにヴィクトリアは気づいた。
ハノーバー卿チャールズはエドワードよりいくつか年少だろうか。長身なのはこちらも同じだが、金色のくせ毛と茶色い瞳は明るく陽気な雰囲気を醸し出している。見た目通りに話し方も院長相手にさえ砕けた調子だったが、しかしそれが無礼には感じられない不思議な若者だった。
ガブリエル院長は茶と茶菓子をとりながら他愛のない話をすすめていた。
「このところの麦の値上がりはこまったもの」
「王都では、最近恋愛ものの小説がはやっている」
「見習い尼僧が礼拝所に出たネズミを怖がって木に登ってしまった」
などなど。
みんなにこやかに談笑していたが、そのうちガブリエルが
「そうそう。今度グリーナと、このフロイデが同盟を結ぶという話があるのですよね?」
と切り出した。
グリーナという言葉にヴィクトリアとエリザベスは少し肩がピクリと揺れた。
「同盟……でございますか? グリーナはかなり古い考えを持つ国家と聞いたことがございます……。この先進的なフロイデと同盟を結びましょうか…?」
表情を崩さぬよう、動揺を悟られぬよう、努めて平静を装いヴィクリアが尋ねた。
「院長。同盟ではありません。通商条約です。貿易の門戸を開くのみです」
黒衣のエドワードがに静かに答えると
「そうそう!そうでした。こちらの麦ほか農作物を輸出し、グリーナの鉱物を輸入する……という条約でしたね」
院長が私としたことが言い間違いを…と微笑みながら言うと
「でも、貿易を始めればまあ商人や貴族などの人流も盛んにはなるんじゃないですか?嫌だなあ。あそこはなんか古臭くて」
いかにも困った…というような雰囲気を出しながら陽気なチャールズが答えた。
「そうなるでしょうね。直接貿易をする貿易商、それに役人や該当地の貴族、場合によっては王族も調印その他で行き来があるかもしれないわ。それにより中央教会がかの国の風習を正せるとよいのだけれど。グリーナはデイ・フォルストス教の信徒国でありながら、独自の土俗的なまじないもするような国で中央教会も苦慮しているのです。何の害もない他愛のないまじないなら結構なのだけれど……。【光の王女】を立てたのは3年前だったかしら?」
「…そう聞いております」
エドワードは眉間にシワをよせながら答えた。
「なんともむごいこと。この30有余年、悪しき風習が消えたと教会も安心していたというのに」
院長の言葉にエリザベスの手は膝の上で小さく震え始めた。
ヴィクリアは震える妹の手にそっと自分の手を重ねた。その姉妹の様子には誰も気づかず、院長はそのあと、教会の軒下で生まれた6匹の猫の話や、秋の祭りの出し物などの話を朗らかにしていたが、
「まあ。居心地が良すぎてすっかり長居をしてしまったわ。もう東の祭壇に向かわなければ」
と腰を上げた。
「そうそう。今度皇太后さまのご生誕80年のお祝いがあるのだけれど、聖女教会からはレギウス文字を装飾したタペストリーをお祝いに差し上げようと思っているのです。陛下の居間に飾る大きなものなの。一度王都の聖女教会に姉妹お二人で打ち合わせにいらしてくださらない? 織物の職人たちとデザインを考えていただきたいの」
「喜んで伺います」
「では、あさって馬車で迎えをよこします。エドワード、チャールズお願いできるかしら」
「はい。承知いたしました」
「いえ、馬車は私も御せますし、妹と二人でうかがいます」
慌ててヴィクトリアが迎えを断ろうとすると
「王都への道はあなた方がいつも行き来をされているレイブンの町よりずっと遠い。どうか私にお迎えに上がらせてください」とウィンストン卿が生真面目に答えた。
「ええええ。私もその方が安心です。この二人は騎士団で1,2を争う武勇の持ち主。どうかそうしてくださいね」
ここまで言われて二人が断るのは非礼にあたる。
「では、よろしくお願いいたします」
ヴィクトリアとエリザベスは頭を下げた。
ガブリエル院長は馬車に乗り込むと黒衣の騎士に尋ねた。
「エドワード。あの子があなたが助けた娘さんなのね?」
「はい。伯母上」
馬車は東の祭壇ではなく王都へと走っていった。




