Episode. 9 訪問者
まだ北風も冷たいある日、一人の男がケイースの骨董品店を訪ねてきた。
「この店は、相も変らぬのだな」
男は店の中を見回してそう言った。白くなった髪、皺の寄った顔。片目は半開きで、よく見ると額からその目の瞼にかけて傷があった。年を取っているようだが、がっしりとした体躯、目つきは精悍で、立ち振る舞いはしっかりとしていた。
「あら、珍しい人がきたものね」
白いブラウスに茶色のロングスカートという地味な服装の娘が男を迎えた。男は暫くその娘を呆けたように見ていたが、気を取り直して頭を下げた。
「これは、黒真珠殿。御身はお変わりなく」
少々芝居がかった仕草で挨拶した。
「あなたの挨拶は何時聞いてもちょっと癇に障るわね」
娘は無表情で腕組みをしてそう言った。それを聞いて男は眉を顰めて心外だという顔をしたが何も言わなかった。
「砦の方は何か工事をしているようだが、再建するのかね?」
「この島の遺物を納める博物館を建造中よ。砦を模したものになるでしょう。それで、今日はどんな用かしら」
部屋の丸テーブルに差し向かいで座った二人。娘はコーヒーカップを手に味わう様に飲んでいる男に言った。
「美味いコーヒーだ。美味いコーヒーなど暫く飲んだことは無かった」
男はしみじみとした様子で言う。娘はそれを無表情で見ていた。
「あの娘の墓参りをしても宜しいだろうか」
コーヒーカップを下ろした男が呟くようにそう言った。
「だめだと言ったら?」
男はカップから顔を上げて悲し気な顔をした。娘はその顔を見たかったのか、笑みを浮かべた。
「冗談よ。墓参りくらいはさせてあげるわ。オットー」
「感謝致します。マルグリット殿」
男は腕を組んで祈るような仕草で言った。
※ ※ ※
「アナベラの予知も変わらぬのだな?」
「ええ」
マルグリットは白いゆったりとしたドレスに黒い帯をしめて、長い黒髪を後ろに縛っていた。細身のその姿は、十代の頃と変わりないように見えた。
オットーは少し沈んだ様子の姪の姿をみて、どう慰めたらいいものか思案した。魔術師の集会でも、ケイースがそう遠くない未来に、戦火にまみえるという予知が報告されていた。それが致命的な被害を与えることも示唆していた。
それなのに、魔術師たちは対立する二派が互いに相手の行動の結果だとして言い争うだけだった。
「未来は定まってはいない。確率として高いものが予知として現れるのだと聞いている」
「アナベラも同じことを言っていました。予め知っていれば避けられる未来もあると」
「それならば、それに備えて今から手を打てば避けられるやもしれぬ」
「そうですね。伯父様」
マルグリットは黒い切れ長の目をオットーに向けてにっこりとほほ笑んだ。オットーはその笑顔に亡き妹の姿を見ていた。
予知を行う先読みの術を知る魔女や魔術師は限られていた。当代で随一の能力を持っているのはアナベラだった。魔術師では、オットーの祖父に当る魔術師がいたが、齢百を超えて、口を開くのもままならなかった。他に二人ほどアナベラほどではないが先を読める魔術師が二人。この二人は対立する二つの派閥に分かれていた。
先を読む魔術師同士が対立した場合、それはチェスの勝負の様に先を読みあう勝負となり、遠く、広く先を読める者ほど有利であった。ただし、対立する相手がいる場合、その未来は刻一刻と変容していき、先を読むだけではない奸智の勝負でもあった。その点、二人の魔術師は手練手管に長けていて、自分の勢力地の有力者に働きかけたり、敵対している当人とは一見関係のなさそうな事柄に影響を与え、そこから連鎖的な影響を及ぼすといった情報戦のような事にも精通していた。
チェスと違って使える駒に限りは無い。自分の駒だと思っていたものがいつの間にか相手側のものになっているかもしれない。そんな油断のならない目に見えない争いを二人の魔術師は繰り広げていた。
この二人、魔術師の二派が争っている状況がアナベラの予知にも影響を与えていて、避けたい未来も避け難いものになっていた。
「あのバカ者どもが諍いを辞めればいいのだが」
社会情勢に欧州各国の思惑も絡んでいて、魔術師同士の諍いですむ問題でもないことをオットーは知ってはいたが、愚痴を言いたくなるというものだった。
オットーの言葉にマルグリットは力なく笑った。
※ ※ ※
石畳の道をグレーの古い車が走る。市街を抜けて草原に入り、この島で一番高い場所へと向かって行った。
車の後部座席には花輪を持ったオットーが座り、その横にはマルグリットが腰かけていた。二人とも口を利かずに前を向いていた。
車は草原の向こうに岩山が大きくなったところで止まった。運転手が降りて後ろのドアを開け、マルグリットを降ろした。花輪を手にしたオットーは自分で降りて墓地へ向けて歩き出していた。
墓石の前に立ったオットーは暫く立ったままだったが、片膝を着いて花輪を墓石に立てかけると、目を閉じ腕を組んで祈りを捧げた。
その後ろでは、風に黒髪をなびかせたマルグリットがその姿を見ていた。
「あの子が死んだと聞いたときは、信じられなかった。儂の方が先に逝ってもいい老いぼれだったのに」
目を開けたオットーは呟くようにそう言った。
「あなたはこれまでどうしていたのだ?」
「大戦の後始末よ。ばらばらに散った魔女達を探しだして、まともに暮らせるようにするだけでもずいぶんと時間がかかった」
オットーは立ち上がると振り返ってマルグリットを見つめた。
「……あの時、あなたがあの者たちを打倒していたら、戦は止んだと思うか?」
「魔術師同士の諍いは止められたでしょうね。そうして、今度は魔女達へ矛先が向くことになったでしょう」
それはマルグリットにとっては最も避けたい未来だった。魔術師達を犠牲にしてもケイースの魔女達は守り抜く、それがマルグリットの出した結論だった。魔力という異能を持った者たちを根絶やしにしようと暗躍した者たちの思い通りにはならなかったが、大戦後の魔女の衰退は予想以上に早かった。
「あなたはこれまで囚われていたのだったわね」
オットーは大戦時はゲルマニアにいて、国家に非協力的として収監され、戦後は、戦時中にゲルマニアの軍事行動に協力したことがあったことを咎められて、戦争犯罪人として二十年の懲役を受けていた。
「理不尽な思いもしたが、戦に負けるということはこういうことだと知っていたから諦めもついた。死ぬまで出られぬと思っていたが、いろいろと世の中の情勢も変わったらしい」
オットーは曰くありげにマルグリットを見つめたがマルグリットは表情も変えなかった。
※ ※ ※
「あなた、まだ居たの?」
ガラクタを載せた荷車を引くオットーを見かけて、マルグリットは声をかけた。
「……もう少し、柔らかな言葉をかけてはくださらんか」
オットーは少し悲し気な表情を見せた。
「慣れているでしょ」
すまし顔のマルグリットに、オットーは肩をすくめた。
「空き家を見つけて頼んだら宿として貸してもらえることになった。行く当てのない身、生まれた土地で骨を埋めるのもよかろう、と思って」
「そう。その時はあの子の側に埋めてあげるわ」
マルグリットの言葉に、オットーは笑みを浮かべた。
「老いぼれでも、盾くらいにはなれましょう。必要とあらばお呼びください」
「結構よ。盾を庇うことになりそうだもの」
相変わらず辛辣なマルグリットだったが、言葉には棘を感じず、オットーは笑顔で頭を下げた。




