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Episode.6 霧の中

 夜は既に明けているはずだったが、霧に包まれた谷間は暗かった。自分の周囲、隣を歩く者の姿がどうにか分かるくらいだった。


「何も見えねえな。ほんとにこの谷に入っていったのか?」

 ライフルを手にした男が、呟くように言った。

「ああ。それは確かだ。女子供だけの一行だ。それに、この谷を先に進めばじきに崖に突き当たる。上り路は細いし、下からは丸見えだ。狙うにはうってつけだろう」

「この霧が晴れりゃあな。この山は魔女たちの集会場だっていうじゃねえか」

「なんだよ。怖気づいたのか?」

 男たちの間で笑いが起こった。

「うるせえな。先に進むぞ」


 日が昇り始めて、谷間に日が差し始めると霧も薄れてきた。ごつごつした岩が散乱する谷底を五人の男が足を取られながらも進んでいく。皆、だいぶ着古した軍服のようなものを着ているが、上着だけで、農夫のようなズボンの者もいた。ライフルを背にした男が二人。他の三人も腰に銃を下げていた。片田舎の軍人、というよりは、山賊のような輩に見える男たちだった。

「おい、あれじゃねえか?」

 先頭のライフルを背にした男が前方を指さす。はるか遠くに壁のようにそそりたつ山裾の崖に刻まれた隘路を何か、黒いものが動いている。

 後ろの男が下げていた双眼鏡を手に取った。

「あれだ。女が二人、ガキが二人」

 声を潜めて双眼鏡を持った男が言った。

「ここから狙うのか?」

「馬鹿野郎、俺の腕がいくら良くても、ここからじゃ無理だ」

 獲物を見つけた猟師のように、男たちの動きは軽くなった。岩を乗り越え、足早に進んでいく。崖近くに着いた頃には霧もだいぶ晴れ上がっていた。男たちの狙う一行は、だいぶ上に上がっていた。

 ライフルを持った一人が、大きな岩の横に立って体を預け、ライフルを固定して、先頭を歩く女に狙いを定めた。

 ドォオオオン、と銃声が谷間に響いた。

「惜しいな。頭の左1フィートってとこだ」

 双眼鏡を手にした男が言った。男の双眼鏡の中で、狙われた女が後ろを振り向いた何か言っていた。歩いていた者たちの動きが止まる。すると、殿(しんがり)を歩いていた一人が、駆け下ってきた。

「ん、なんだ?」

「おい、一人降りてきたぞ」

 勢いよく駆け下ってきたのはネイビーの軍服のようなコートを着た一人の女だった。道を逸れて真っすぐ崖を転ぶことも無く駆け下りてくる様子はどこか獣じみていた。

 ライフルを構えた男がその女に向かって打ったが動く標的に当ることなく大きく逸れた。そこへ、駆け下りてきた女が蹴落とした石くれが雨のように降りかかってきた。

「くそ、あぶねえ!」

 大きな岩陰に隠れてやり過ごす男達の上に(つぶて)となって降り注いだ。

「痛てえ!」

「くそ! この女魔女だぞ!」

 腰から銃を抜いた男たちは女の居る辺りに闇雲に打ち込んだ。男たちの隠れる岩から後ろに下がって、礫を避けた男がライフルを構えて女を狙った。先ほどよりも距離は近い。外すことは無いはずだった。

 男が引き金を引く。女の顔を捉えたはずの弾は、横に逸れていた。

「な、外した?」

 男がライフルの先に見た灰色の髪の女の顔はこちらを睨みつけていた。その目に男は背筋に冷たいものが走るような感覚を覚えた。


『それではだめよリヴィア』


 崖を駆け下ってきた女の頭の中に、声が響いた。女ははっとして、緊張が途切れた。礫が止む。と、同時に谷間にまた濃い霧がかかった。

「な、なんだ?」

「霧が……」

 男達は銃を撃つ手を止めて、怯えながら辺りに注意を払った。銃声が止み、石礫(いしつぶて)も降ってこない。急に不気味なほどに静まり返った。

『……お行きなさい。もう終わりました。あなた達は、四人の標的を撃ち殺したでしょう?』

 男たちは立ち上がって前を見ると、動かない人影が四つ。崖の下に倒れていた。

「……終わったのか?」

『そう。もう終わりました。お帰りなさい』

「……そうか。終わったのか……」

 男たちは銃を腰に下げ、ライフルを肩に担ぐと、踵を返して谷間の道を引き返していった。それを灰色の髪の女は見送って、それから辺りを見回していたが、まるでカモシカの様に山肌に刻まれた道を駆け上がっていった。


 若い女二人、リヴィアとエマと、一族の二人の子供の四人は山の稜線を越え、山の中の獣道のような細い道を下って山間の集落に入った。煙突から煙の上がる家があり人の気配はするが、表に出ているのは、杖を突いた老人とその後ろに立つ女だけだった。

「おお、無事に着いたようじゃな」

 頭の禿げあがった、盲いた老人が四人を出迎えた。女の子は一人の女にしがみついていて、男の子の方は何とか立っているだけという様子だった。

「儂の家はすぐそこじゃ。そこで休むがいい」

 老人は目を閉じていたが、四人の顔が見えるかのように振舞っていた。老人と女に導かれて、集落の外れにある一軒の家に着いた。

「遅かったわね」

 家の前で、一人の女が出迎えた。黒いフロックコートに、それ以上に黒い、漆黒の長い黒髪。

「……あなた様は。ヴィタリー・ソコルでございます。ケイースの黒い真珠」

 ヴィタリー・ソコルと名乗った老人が頭を下げた。

「先ほどはありがとうございました。マルグリット様」

 リヴィアが深々と頭を下げた。その後ろでは祈るように腕を組んだエマが同じく頭を垂れていた。

「挨拶は後でいいわ。今の私はマルグリットではないし。ヴィタリー、その四人を中に入れて下さらない?」


 子供二人は食事を摂ってから、寝室でベッドに倒れこむように眠っていた。

 居間では木のテーブルの片方にはソコルが座り、向かいに三人の女が座っていた。ソコルの向かいに先代のマルグリット、今はペールと名乗っていたが、その横にリヴィア、エマと並んでいた。テーブルについている皆の前に、ソコルの娘が温められた果実酒を配り、テーブルから離れた椅子に座った。

「道中苦労なさったでしょうが、国境を越えてまで、追っては来ますまい」

 ソコルが口を開いた。

「そうね。暫くは動きは無いでしょう」

「先代様はどのようにお考えなのですか?」

 先代のマルグリットをリヴィアは先代様と呼ぶことにしたようだった。

「まずは、魔術師の集会でどのようなことが話されたのか、聞いてみましょう」

 ペールがソコルを促すように見つめた。

「はい。私はもう老いた身で遠くでの集会には参加できませんでしたが、代理の者から話は聞いております」


 男の魔法使い、魔術師も、主だったものだけの簡易な集会以外に、魔女同様定期的に集会を開いていた。魔術師は19年に一度、魔女は12年に一度。二つの集会が重なる228年に一度の年は大集会が開かれていた。

 この年(聖歴1917年)の二年前に魔術師の集会が開かれ、先代の死去以降、三十年程不在となっている長を誰にするかを巡って話し合いがもたれた。

 前回も長が決まらず紛糾したこともあり、今回は長を選出しなければ、と思う者は多かったが、各地の魔術師は地元の有力者に付いている者が多く、本人の能力だけでなく、欧州各国の権勢によってもその力は揺れ動いていた。

 結局、またも長を決めることは出来ずに、次の集会が大集会であったために、魔女の意見も聞くという名目でそれまで先送りにされた。


「永く長が不在であったために、皆、心の赴くところにより行動するようになっておるようです。中には、もう魔術など不要であると申すものも居るようでして」

 特殊な能力を持っているということが最初から分かっている魔術師というレッテルは、市井(しせい)に交じって生活していく上では不利になることも多く、時に差別の対象でもあった。

 多くの有力な魔術師、魔女は同じ魔力という能力を持つ者同士で婚姻を結ぶことでその能力を維持してきていた。そうした仕来りも歴史の裏舞台で暗躍してきた時代から、普通の、一般市民と同じ生活を送ることを良しとするように時代も変わり始め、魔術師として生きることを選択しない者も多くなってきていた。

 それからさらに、魔女や魔術師という存在自体を亡き者にしようとまで考える、過激派とも言うべきものまで現れていた。次代の変わり目に現れた新たな思想に染まった者たちとも言えた。


「魔術師を継がぬならそれは当人の問題でしょう。ですが、魔術師を失くそうとするのは、いささか身勝手に思えますね」

 ペールは言い終えて目を閉じた。

「我々を襲ったのもそう言う輩でしょうか」

「いえ、あれは、革命とやらで因習を滅するという名目で動く者でしょう。背後にいる者は確かめねばなりませんが」

 エマの不安げな顔にペールが静かに答えた。

「さて、これから先どう動くかですが、早いうちに私はこの子たちを連れて西へ向かいます」

「暫くここに身を寄せては?」

「この村の者たちも、災いが降りかかることは良しとしないでしょう」

 そう言われてソコルも口をつぐんだ。ペールには、魔術師を村長として頂くとはいえ、村人の間にはよそ者を庇うことへの不安があることは態度に出さずとも分かっていた。


 一行は三日ほど村に滞在した後、西へ向けて発つこととなった。子供たちは元気を取り戻して笑顔も見せるようになっていた。

「世話になりました」

「お気を付けて。あなた様がおいでなら、危ないこともありますまいが」

 ソコルの言葉に、ペールは、ふっと笑みを浮かべて、一行は山間の村から麓へ向かって下って行った。

「女ばかりの一行で大丈夫でしょうか」

 ソコルの娘が不安げに聞いた。

「あの方は、長くケイースの長であった方だ。あの方の側にいれば危ないことなどないだろう」

 ソコルは遠い昔、若く、まだ目が見えていた頃にケイースの黒い真珠と呼ばれた長に会った。自分とさほど年も変わらないような若い娘に見えたものだったが。

「あの方は、若い娘のように見えるのだろう?」

「え、ええ。本当に、長の娘とかではないの?」

 それを聞いてソコルは微笑みを浮かべた。


+ + +


 一行は山を下り、街道に入った。時折行き交う人とすれ違うと、興味深げに一瞥をくれるものもいる。しばらく行くと、後ろからエンジン音が響いてきた。幌付きの荷台が付いたトラックが一行の側を通りすぎてから、少し先で止まった。運転席の方から降りてきたのは、軍服を着た軍人のようだった。

「ちょうど良かったわ。駅のある町まで乗せて行ってもらいましょう」

 ペールはそう言ってやってくる軍人の方へ歩み寄った。

「なんだお前たちは? そのなりだと、ここいらへんのものでは無いな。どこから来た?」

 国境付近の警備にでも就いている者なのか、尋問を始めた。

「リヴィア。あなたの能力(ちから)は並外れたものがありますが、戦いはまだ不慣れのようでしたね」

 ペールは男の言葉が聞こえないかのように振り返ってリヴィアの方を見た。

「おい、お前、何を言っている?」

「人の相手をするにはさほど力は要りません。軽く、頭を揺らしてやるだけで良いのです」

 そう言って男の方を向くと、にっこりと笑って見せた。すると、男は糸の切れた人形のようにその場に倒れた。ペールは倒れた男に近付くと、男の額に指をあてて何事か口の中で呟いた。男はふらふらとしながらもゆっくりと立ち上がった。

「私たちを帝国首都行きの鉄道のある町まで送っていただけないかしら」

「は。承知致しました……」

 虚ろな目で男はそう言って敬礼した。


 五人を荷台に乗せて、トラックはガタゴトと道をひた走っていた。

「小一時間ほどで駅には着くでしょう。着いたら少し休みましょうか」

 荷台にある板を渡しただけのベンチに腰掛けたペールが寛いだ調子で言った。

「先代様。私たちは帝国へ出ますが、ルシーから逃れてきた者たちにはこの国に留まるものもいるのですよね」

 何か、意を決したかのようにリヴィアがペールの顔を見つめた。

「私は、その者たちの助けになろうと思うのですが、お許しいただけますでしょうか」

「今の私はそれを決める立場ではないわ。東方の地が手薄になるのを避けられるのは良いでしょうが」


 駅では、発車の時刻を待つ間に、リヴィアはペールから越境してきた者たちが集う予定の場所などを教えられていた。

「山の里のソコルと連絡を取ることもあるでしょう。ここではあなたが長となります。分かっていますか?」

「はい。あのう、もしかすると、アナベラは知っていたのですか?」

「そうね。私がマルグリットへ伝える頃には、アナベラから聞いているでしょう」

 長の地位を譲ったとはいえ、ペールがケイースから遠く離れた地にやってきたことには意味のあることだった。

「そうですか」

 それを聞いてリヴィアの顔に笑みが浮かんだ。


※ ※ ※


 アナベラから集会の連絡を受けて、リヴィアは遠い記憶をよみがえらせていた。


 あれからさらに年月は流れ、大戦を経て、大きく世の中は変わった。ケイースは甚大な被害を受けて立ち直ることの無い痛手を被った。リヴィアも大戦を生き延び、その後の冷戦という奇妙な緊張状態の中で、市民に紛れた魔女の一人として、静かに息をひそめるように生きていた。

 大戦では多くの仲間を喪い、彷徨った挙句にイオニアの地まで逃れて、今はそこに定住していた。


 幼い頃に会った、長のマルグリット。長を退いて、ペールと名乗っていた頃。まるで見た目は変わったところも無く、おそらくは、今もそのままの姿で、またマルグリットと名乗ることになるのだろう。

 動乱の時代を生きたリヴィアにも、その魔女の長の心の内を推し量ることは出来なかった。

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