Episode.5 首飾り
ケイースに炎暑をもたらしていた南からの風も次第に治まって来ていた。夜明けは遅くなり、丘に吹き上げてくる風も涼しさを感じるようになっていた。
それでもまだ幾分強い日差しが降り注ぐ戸外を窓の外に眺めていた娘は、戸棚の引き出しの中から、紐で括られた封筒の束を取り出した。紐を解いて封筒を手に取って開け、手紙を広げた。すこし黄ばんだ紙は年月を感じさせるものだった。
それを読んでいると、表に車が止まる音が聞こえた。
※ ※ ※
膝上丈の青いスカートに、花柄の白いブラウス、鍔の広い麦わら帽子という恰好の女が船から降りてきょろきょろと辺りを見回している。船に酔ったのかハンカチで口を押えて少し気分が悪そうだった。
港のターミナルビル、と言うには素朴な平屋の事務所と言った感じの建物で、女は少し休んでから、車を手配できないか訊ねた。
額の禿げあがった痩せた老人がお待ちくださいと言って出て行った。暫くして戻ってきて、外にに車が待っていると言われて行ってみると、女が普段見たこともないような、戦前の古い映画にでも出てきそうなグレーのボンネットの長い車が止まっていた。
女が戸惑っていると、鳥打帽を被り眼鏡をかけた小太りの男が運転席から出てきて、どうぞ、という感じで後ろのドアを開けた。シートは古びているが、汚れてはいないようだったので、女はどこか諦めたような顔で乗り込んだ。ドアを閉めて運転席に戻った男がバックミラーに映った女に訊ねた。
「どちらまでいきますかね?」
「……あの、精霊の宿というところへ行きたいのですが」
「おお、あなたはこの島の出なのですか?」
「え、いえ、私ではなくて、義母、夫の母がこの島で育ったということを聞いています」
「そうですか。では、そこへご案内します」
男はエンジンをかけて車を発車した。エンジン音が大きく女には耳障りだったが何も言わずに黙っていた。石畳の道へ出たが、車はガタガタと揺れる。ギアチェンジをするたびにエンジンが唸る。坂道にかかって喘ぐように登り始めた。
女が若干不安になった頃に登りは終わって、車が止まった。思ったよりも早く着いたようだった。運転席から降りた男が後ろのドアを開けて女を下ろした。
「すこし、こちらでお待ちいただけますか?」
「はい。承知しました」
男はそう言って運転席に戻ると、シートに座って助手席に置いてあったトランジスタラジオを付けてラジオ番組を聞き始めた。
女はそれを見ていたが、前を向くとガラス戸から中を覗いた。古い雑貨のような物が棚に見えている。恐る恐ると言った感じで女は扉を開けて中に入った。
「どのようなご用件でしょうか」
女が中に入ると、白いブラウスに茶色のロングスカートの娘が出迎えた。
「あの、私、セシル・ルブランと申します。こちらでお預かりしたコインをお返しにきたのですが……」
セシルという女は、覚えてきたことをどうにかそれだけ口に出した。それがどういう意味なのかは良く分かっていなかったが。
「帽子はそちらへ掛けてください。では、こちらへ」
娘は丸テーブルへ女を案内すると椅子に座らせて、奥へ引っ込んで、茶器を持って戻ってきた。紅茶が入ったカップを皿に載せて娘の前に置いて、自分も向かいの席に座った。
セシルも少し落ち着いてきたのか、足を組んで膝の上に手をカップに伸ばして取ると一口飲んだ。紅茶の味と香りの中に、何か、別の匂いが混じっているような、少し変わった味がした。
「コインをお返ししたいということですが?」
娘に言われて、セシルはハンドバッグの中から、金の鎖の付いたネックレスを取り出した。ネックレスの先には、丸い、コインが付いていた。
「こちらです。義母の遺言と言いますか、生前にこれをお返ししたいということを言っていたものですから」
娘が差し出した掌に、セシルはそれをじゃらりと落とした。娘は左手に鎖を載せて、コインを右手で摘まむようにして眺めていた。
「そうですね。こちらで以前お渡ししたものです」
そう言われて、セシルはほっとしたような顔になって笑顔を浮かべた。笑うと少女のようにどこか幼さを感じさせるような笑顔だった。
「良かった。夫が忙しくて、私に出来ることならと思い切ってきた甲斐がありました」
肩にかかったブロンドの髪が揺れる。胸の前で両手を組んで微笑む様子はコケティッシュで、夫がいるとは思えない、若い娘の様に見えた。同性からだとプラスにもマイナスにも受け取られそうな雰囲気を感じさせる女だった。
それからセシルは、年の離れた夫について、ケイース生まれのその母について、語り始めた。その母親はケイースを出てから東欧へ向かい、革命の起こった時にまた逃れてフランクへ戻ったこと。夫を亡くして女手一つで息子を育てたこと。年の離れた若い娘との結婚には最初は反対されたこと。セシルの話しぶりからは夫は若くて可愛らしい妻を溺愛している様子がうかがえた。
「あのう、そのコインにはどんな意味がありますの?」
一通り話し終えて、思い出したようにセシルは聞いた。
「まあ、お守りのようなものですね。特に返すようには言ってはいないのですが、自分の願いが叶えられたと思った方は、自分で返すか、家族に託すようです」
「そうですか。私がお返しして良かったということですね」
家族に託す、という言葉を、娘の意図とはすこし違う形で認識したようだったが、娘は何も言わなかった。それに、そもそも、セシルの義母はケイースの生まれでも無かったのだが。
「……あの、こちらでは、占いというか、そういうこともなさると聞いたのですが」
少しもじもじした様子でセシルが娘の顔を見た。
「結婚して三年になりますが、まだ子供に恵まれていませんの。占っていただけないでしょうか?」
それを聞いた娘は、膝を組んで座るセシルの姿を少々不躾に上から下まで眺めた。
「占うまでもないでしょう。お体に気を付けてお過ごしください。お独りでいらっしゃったようですから、帰りは気を付けてお帰りくださいな」
「まあ……」
少しセシルは顔を赤らめた。
「お礼はいか程必要かしら?」
「いえ、何も占ったわけでもありませんし、わざわざコインを届けにここまでいらっしゃったのですから、不要です」
娘の言葉に、セシルは礼を言って、来た時よりも顔色も良く元気を取り戻して店を後にした。
車のエンジンがかかり、それが遠ざかっていく音を聞きながら、娘は手にしたコインのついたネックレスを見つめていた。
これは、受け継がれることなく戻ってきたのね。
※ ※ ※
十二年に一度の特別な集会も終わり、お披露目に集った者たちも集会の地を離れることとなった。別れの挨拶を交わすために、マルグリットの前にはお披露目のために連れてこられた子供たちも訪れていた。
「この子は、パズルの類が好きなのね」
木組みのパズルを手で弄んでいるリヴィアを見て、マルグリットが笑った。
「その子は?」
リヴィアの後ろで少し恥ずかし気にもじもじとしている黒髪の娘がいた。
「リヴィアの従妹です。エマと申します。この子も少し勘の良いところはありますが、魔女になるほどではないかと。ですが、マルグリット様にお目通りしたく、連れてまいりました」
マルグリットはエマの前に進むと、屈んでその首にネックレスをかけた。
「あなたにはこれを授けましょう」
そう言って、マルグリットはエマの額にキスをした。
「まあ、マルグリット様。ありがとうございます」
胸に手を当てて、母親は頭を下げた。その下で、エマは顔を赤くして俯いていた。束の間木組みのパズルから顔を上げたリヴィアも、それを見て微笑んだ。
十二年に一度行われる特別な集会。未来を見通す力を持った者が生まれたということで、異例だったがその娘の生家で行われた。
その集会では、将来、各地で長となるであろう娘たちも呼び寄せられていた。東方から訪れたリヴィアとエマは、集会が終わって帰国し暫くは何事も無く過ごしていたが、革命による動乱で分かれ、エマの一家は放浪の後にフランクで生活することとなった。
エマはリヴィアと別れてフランクへ来てからも、リヴィアとのやり取りを続け、それをマルグリットへ連絡していた。大戦後もそれは続いていたが、エマは自分には娘は生まれなかったこと、息子には異能が芽生えなかったために、古来からの家系も自分で最後だろうと連絡してきていた。
※ ※ ※
娘は、ネックレスを手に、隣の部屋に入ると箪笥の引き出しを開けて、ガラスの瓶を取り出した。瓶の口の少し下までコインで埋まっていた。
娘は手にしたネックレスからコインを外すと、それをガラスの瓶に入れた。チャリン、という音に少し寂しさを感じながら。




