Episode.3 赤の魔女
キイッと入り口の扉が鳴った。机の花瓶に花を活けていた娘が顔を向けると、赤地に黒のストライプの入ったワンピースを着た女が入ってきた。被っていたカプリーヌを手に取ると、辺りを見回して帽子掛けを見つけると無造作に掛け、腕組みして部屋を見回した。
「以前から辛気臭い店だったけど、今は死臭がするわね」
見た目は四十代くらい、綺麗に弧を描いた眉の下の目は少し釣り気味で、美しくもきつそうに見えた。声にも妙に貫禄がある。
「マルグリットは?」
花瓶の向こうの娘に訊ねる。
「そう。ホスピスに居るのね」
娘が口を開く前に、女はそう言って、壁の向こうを見通すかのように顔を横に向けた。
「あなた、お名前は?」
「マルグリットです。ロザリア様」
娘は口の端を少し上げて笑みを浮かべる。
「あら。そうなの。ここを継いだのね?」
「はい」
ロザリアと呼ばれた女は腕組みをしたまま方眉を上げた。
「この先どう生きていくつもり?」
「別に、この店を続けていくだけです」
テーブルに置かれた紅茶を手に取ると、ロザリアは一口啜った。
「ここに来る前に、町を見て廻ったわ。思ったよりも昔の面影が戻っていたけど、館の再建は無理だったようね」
「大戦のときに軍隊が基地にしていたので。どの国からも攻撃されて跡形も無くなったそうです」
花瓶の向こうの娘は澄ました顔で言った。
「ずいぶんと人も少なくなったわね」
「ええ。ここには男手を失くした年寄りばかりです」
ロザリアは顔を上げて娘を見つめた。
「この店を頼ってくる者はいるの?」
「はい。時々。二、三か月に一人くらいでしょうか」
ロザリアは紅茶を取ってまた一口飲んだ。
「ケイースはケイースということね。まだ、昔のしきたりを知っているし守ってもいる」
それだけ言って、ため息をつく。
「私の孫娘は、魔術というものは、スプーンを曲げたり、カードの数字を当てるようなものだと思っているわ」
「それは、超能力というものですね。超感覚的知覚、ESP(Extrasensory Perception)というのだそうです」
「今どきの若い人は、そういう知識は当たり前に知っているの?」
「当たり前ではないと思います。多少、興味を持っていなければ見聞きしないかと」
「あなたは興味があるというわけね」
眉を上げてあきれたというような表情を見せて、顔を下に向けると、封筒を一通取り出した。手品のような手際だった。
「集会を開くの。アナベラの屋敷でね。場所はご存じ?」
「はい。存じております」
「アナベラと話をして、マルグリットが参加できるの? と聞いたら、今のマルグリットなら大丈夫と言われたわ。まあ、確かにあなたなら参加できるでしょうね。集会は初めて?」
「はい」
「そうでしょうね。二十年振りですもの」
ロザリアはそう言って目を閉じた。
「集会に参加するのは、ロザリア様とアナベラ様ですか」
「もう一人、リヴィアが来るかもしれない。アナベラが連絡を取ろうとしているけど。どうなるかしら」
ロザリアは娘の顔をそう言いながら見つめた。
「あなたとは、どこかで会ったことがあるかしら?」
「幼い頃にお会いしているはずです。おぼえていらっしゃらないかもしれませんが」
「あら、そう? 二十年前にここで集会を開いたときかしら。なら、マルグリットに紹介されたはずだけど」
「その時は、私に継がせる気は無かったのかもしれません」
「そうね。あの時は、そんなことを考えてはいられなかった」
ロザリアは遠い目をした。
「それじゃあ、招待状は渡したわよ。古の魔女なら、使い魔を寄こすところなのかもしれないけど。ケイースを見たかったし、そんな術は失われてしまった」
帽子を手に取ると、ロザリアは娘に振り返った。
「何かあったら、連絡するといいわ。私でもアナベラでも。アナベラはビタリーでも力のある地位に就いているし。それじゃあね」
帽子を被って出ていくロザリアを娘は頭を下げて見送った。
あの娘、マルグリットにはあまり似ていない。娘夫婦は大戦後に死んでしまったし。孫娘? 養子をとったのかしら。何時? でも、どこかで見た顔なんだけど。
知られても良いことだけを頭に思い浮かべていた。見た目よりも食えない娘。マルグリットの名を継ぐだけはあるということね。
ロザリアはホスピスに行く道すがら、あれこれと考えながら歩いた。私の顔も覚えていなかったというアナベラの言葉を思い出した。アナベラがマルグリットを見舞ったのは三年前。そのときにあの娘にも会ったのだろう。
私の顔は覚えているかしら。そもそも、人と話が出来る状態なのかしら。
浮かない気持ちでロザリアは道の向こうに見えてきた建物を見つめた。
ロザリアを見送った娘は、茶器を片付けながら、窓からロザリアが向かった道を眺めた。
「使い魔は失われた古の術か」
娘は少し皮肉な笑みを口の端に浮かべた。
※ ※ ※
「この子たちが後継ぎ?」
マルグリットの前に、四人の娘たちが母親に連れてこられた。
「そうです。マルグリット様。この子が、アナベラ。先を読む力があります。ケイース行くことをこの子がとても怖がってしまって。行きたくないと。申し訳ございませんが、こちらにお越しいただいた次第です」
アナベラというブロンドの長い髪の大人しそうな娘の顔をマルグリットは覗き込んだ。
「ケイースの何が怖いの?」
「……火の雨が降るの。たくさん。たくさんの人が死んでしまうの」
母親に抱かれた娘はそう言って深く息を吸い込んだ。その光景が今も見えるかのようだった。
「それは、何時起こるの?」
「わかんない。わたしが大人になってから?」
「そう」
笑顔でマルグリットは娘の頭を撫でた。
「この子は?」
先ほどから挑むようにマルグリットの顔を凝視している、明るい茶色の少し癖のある髪の少女の前にマルグリットが立った。
「ロザリアです。この子は……」
「あなた、何も考えてないの?」
ロザリアがマルグリットを見上げて言う。
「この子は読心術というわけね」
「すみません。ちょっと聞かん気の強い子で。他には遠目も利きます」
「そう。私の心はまだあなたには読めないわよ」
ふっくらとした頬をマルグリットは指で突いた。そしてその隣の、真っすぐなダークブラウン髪の娘に向かった
「わたしは、リヴィア」
その娘は、手にした知恵の輪を弄っていて、マルグリットの顔も見ずにそう言った。
「その子、さっきからそれしか言わないのよ」
ロザリアが横から口を挟む。
「あなたは何ができるの?」
マルグリットの言葉に、リヴィアは暫く答えずに知恵の輪を弄っていた。
「わたしの力は見せたらだめなんだって」
ちょっと顔を上げて、リヴィアはマルグリットを見た。
「そう」
それだけ言ってマルグリットは微笑んだ。
最後に、一人大人たちの間に立ってマルグリットを出迎えている娘の前に来た。他の子よりも少し年長のようだった。白いワンピースに黒髪を青いリボンで留めた娘は、淑女のように身を屈めてマルグリットに挨拶した。
「伯母様、私のことはご存じですよね」
「ええ。マルグリット。私と同じ名前ね」
にっこりと娘が微笑んだ。
「きどってるわ」
床に立ったロザリアが、ふん、といった様子で見ている。
「私の方がお姉さんなのよ」
娘のマルグリット言ったが、ロザリアはそっぽを向いて見せてた。
「マルグリット様。この子は、他の子たちと同じことができます」
母親に肩を掴まれた娘は、胸を反らして得意げだった。その様子を見てマルグリットも微笑んだ。
「そう。ケイースも安泰ね」
※ ※ ※
あの時、どうすればよかったのか。遠い昔に、ケイースの黒い真珠と呼ばれた魔女の長も、世界を巻き込んだ暴力の嵐を避けることもできなかったし、それを防ごうと尽力した同じ名を与えた後継者を救うことも出来なかった。
今は、その者の死と、この島の末路を看取るためにここにいるようなものだった。
「もう魔女など必要のない時代なのでしょうね」
ガラス窓に映る姿をみながら、娘は呟いた。




