巫女と男爵令嬢
龍神の国、と呼ばれるこの国ではその昔異世界から勇者や聖女を召喚して彼等の知識や力を借りて大陸一の強国にまで発展を遂げた。
しかし、ある時、召喚した異世界人が災厄を齎した。
黒死病、赤痢、天然痘、インフルエンザと言った脅威に始まり、この世界を「ギャルゲー、或いは乙女ゲームの世界だ」と信じる者による人権侵害じみた出来事により、異世界人を危険視した王家と教会の双方から「今後は異世界人に頼らず、可能な限りこの世界の危機はこの世界の住人や先人の知恵で対処するべき」と言う結論に至った。
すると今度はこの世界の住人に異世界人の魂が転生する様になり、身体はこの世界の住人である彼等をどうすべきか悩んでいたところ、事態を慮った龍神様が人々の前に姿を現して、「巫力の強い者を我が妻として差し出せ」と告げた。
曰く、龍神様と妻となった巫女の力でこの世界と異世界を繋いでいる門を閉ざせば異世界人による被害は無くなるだろう、と言う事だった。
今代の巫女は第1王女であるオーラである。
オーラは最初こそ「辺境の土地で祈りを捧げて一生を終えるのはごめんこうむる」と拒否していたが、兄であるアレッサンドロ王太子、宰相の息子キリル、近衛騎士のマルス、魔術の才能に秀でたジョセフ伯爵令息、兄の婚約者マルガリータの弟のエドワード公爵令息、―――果ては巫女に選ばれるまで自分の婚約者だった帝国のミハイル皇太子に、この世界の男爵の庶子ロザリアの肉体に入り込んだ異世界人が彼等にコナを振りまいているのを見て考えを改めた。
オーラはこの国を愛している。異世界人が好き勝手に振る舞えばこの国にとんでもない災厄が起きる事を懸念して、龍神様の花嫁兼巫女となる事を決めた。
「もう少し、はやく決断する事が出来たなら。被害を最小限に抑えられた筈ですもの」
書物にある、「現代知識無双」をしようとしたらしいロザリア嬢の作成した食べ物で食中毒を起こした孤児達、半端な知識で作成した石鹸で皮膚の爛れた令嬢達が苦しんでいる様子を放ってはおけなかった。
「姉上、相談があるのですが」
「またロザリア令嬢の件かしら」
オーラが言うとルシアン王子は苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
本来、龍神様の巫女になったものは外界から切り離された聖地から一生出る事を許されないのだが、先代の巫女と今代の巫女オーラの引き継ぎまでの1ヶ月の間に緩んでいた門から異世界人の魂が入り込んだので、特例として魔法学園への通学を許されている。
『オーラ、ミハイル様について教えて欲しい事があるんだけどー』
王籍離脱しているとはいえ仮にも元王女のオーラに対して初対面から友人の距離感で話しかけて来た姿を思い出す。
彼女曰く、元平民と言う事もあり学園で孤立する自分の友人として歩みよってくれ、『攻略対象のヒント』を提供してくれるのがオーラと言うキャラクター、との事だった。
『オーラってミハイル様の婚約者だったんでしょ?何かミハイル様が好きな事とか知らない?』
聞いてもいないのにペラペラと情報を教えてくれる事だけはありがたかった。
彼女から聞いた情報を元にロザリア嬢にコナを掛けられていた紳士達の婚約者を通じて彼女が異世界人の魂が入った人間である、と言う事を警告する事が出来たのだから。
「毎日王城まで足を運んでは姉上に会わせろ、自分は姉上の友人だ、と騒いでいるのです」
学園は全寮制だが、オーラだけは神殿から龍神様に送迎されて通学している事情を知らないロザリアは「王女なのだから王城にいる筈だ」と短絡的に考えて突撃しているらしい。
「わたくしに、ロザリアと言う名前の友人はいないわ」
本物のロザリア嬢であれば友人になれたかもしれないが、アレはない。
『我が巫女に憂いのひとつも無き様にして貰いたいのだが...』
「申し訳ございません、龍神様」
龍神様手ずからに過去に異世界人が何をしたのかをわかりやすく「ゲーム」と言うカタチで学園のカリキュラムに導入してもらったのだが、ロザリア嬢にはひとつも響いていない。
寧ろ、「異世界の恋愛ゲームを遊べるなんてラッキー!」と楽しんでいる。
「妙齢の、相手がいない令嬢や令息は相当な理由のある相手でしょうに...」
「妙齢の令嬢や令息であっても恋愛結婚が主流の異世界人には相手がいない事は幸運にしか捉えられないのでしょうね」
異世界人とは何を考えているのか分からないし、理解しようとも思わない。
「龍神様、御不便はございませんか?」
『外界は悪気に溢れていて息苦しいが、愛しい巫女を異世界人から護る為ならばどうという事は無い』
そう言えば、ロザリア嬢は「アズライト様推し!!」と言っていた事を思い出す。
曰く、ミハイルルートを進みつつ、オーラとの好感度を一定値にしておくと進む事の出来る隠しルートで、アズライト、―――龍神様と恋仲になる、と言う。
シナリオでは、ミハイルとオーラの仲をロザリアが修復する事で巫女になる事を拒否するオーラに代わり、ロザリアが巫女として聖地の神殿に赴き人間不信の龍神様の心を溶かして愛を育むのだと楽しそうに言っていた。
確かに巫力は問題ないが、龍神様は1度巫女を迎えればその巫女が自分が儚くなる前に代わりの巫女を立てるか、その時代の巫女が帰天するまでは別の女は見向きもしない。
人間不信、と言うよりは異世界人不信なのが龍神様である。
◇
おかしいなぁ、とロザリア嬢はふかふかの布団にダイブしながら考える。
思えば、魔法学園入学式の時から何かおかしかった。
ロザリアの記憶にある魔法学園の入学式は、生徒会会長の王太子アレッサンドロ、帝国の皇太子ミハイル、そして、第1王女オーラが学園の成り立ちを語ったり新入生を鼓舞する祝辞を並べるものだったのに、お助けキャラでもあるオーラの姿は無かった。
ロザリアが孤立している時に学園の西にある四阿で出会う、と言うイベントこそあったものの彼女がロザリアに手を差し伸べる事は無く、「学園内では身分は関係ないとはいえ、最低限のマナーは身に付けて然るべきではなくて?」とだけ言って何処かに行ってしまった。
仕方が無いので自力で攻略対象に近付く事にして、アズライトルートに入る為には一旦ミハイルルートに入らなければならないのでミハイルのお近付きになろうとしたのだが、ゲーム内のシナリオで好んでいる場所には姿が無いし、授業中ではとあるすれ違いから仲違いしている筈のオーラと一緒にいて隙が無い。
少し前に、ミハイルの好感度を上げる事が出来る筈の歴史の話題を振ったところ、専門知識を必要とする言葉が返ってきてロザリアは曖昧に頷く事しか出来なかった。
『別に、専門知識に専門知識で返せ、とは言わない。ただ、私が今取り上げた話は市井の生まれであっても知っていて当然の話題の筈なのだが?』
冷めた目で告げられ、寮の自室に戻った時は王宮の使いの人間と男爵家から連れて来たメイドの二人から身の振り方云々の話をされた。
『貴女は、何の為に魔法学園に来たのか?』
要約すると、そんな感じの事を言っていた気がする。
ゲームではオーラと同室の筈なのに、ゲームでは見た事の無いモブと同室な上、そのモブはロザリアの行動に1から10、いや、100くらいは小言を言ってくるので部屋を変えて欲しい、と寮母に相談しても聞き入れて貰えない。
(ミハイル様とオーラの仲違いの原因が、龍神様の巫女と言うお勤めまで時間が無いから、だったよね?)
いずれ龍神様の巫女として王籍を離れ聖地で龍神様と魔獣を封じる門の管理の為に行かなければならないオーラは、ミハイルに好意を抱いているにも関わらず自分の気持ちを押し殺し、ミハイルを避け続けた結果、仲違いしてしまう。
ミハイルルートだと手紙ひとつ残して聖地へ巫女として赴き、手紙を読む事でふたりは互いに想いあっていた事を知る。世界の為に巫女になったオーラの幸せを願い、ミハイルは生涯独身を貫く。ミハイルルートのロザリアはエンディングで「巫女オーラの次にミハイルが心を許した女性」と記されている。
ミハイルルートでオーラと仲良くなると、聖地に赴く前にオーラが真実を打ち明けて「本当は巫女になどなりたくない」と吐露する。
そこでロザリアが、オーラと並ぶ巫力を持っている事を思い出し、自分がオーラに代わって巫女になる、と宣言する。
アズライトとロザリアが紆余曲折の後に結ばれたエンディングには、ミハイルとオーラが幸せに暮らしている事を示唆する文言がある。
人間不信の解消されたアズライトはロザリアが定期的に親友であるふたりに会いに行く事を許している。
「今日もオーラに会えなかった...」
シナリオだと、そろそろオーラが王籍を離れ巫女として聖地に赴く頃なのに、どうしてオーラに会えないのか、とロザリアは考えた。
◇
『では、ロザリア嬢は我を好いておる、と?』
龍神様の問いかけにオーラは頷く。
「白い髪に蒼い瞳の美丈夫と、巫女以外には目にした事の無いヒト型の姿と、巫女以外が口にする事は許されない御身の名を熱い眼差しで口にしておりました」
『しかし、解せんな』
龍神様は長い髪をくるくると弄りながらオーラの差し出したクッキーを口にしながら呟いた。
『一月もあれば、オーラがとうに王籍を離れ我が花嫁たる巫女として召し上げられた事など、王家と神殿が大々的に報じているのだから嫌でも耳に入るだろうに』
自分にとって都合の悪い事柄は耳に入らないらしいな、と龍神様は呆れた様な表情を浮かべ、オーラも同意する。
「では、改めてロザリア嬢にわたくしと龍神様について説明した方が宜しいのでしょうか?」
『異世界人にお主の時間を割かせる必要はなかろう』
あちこちでコナを振り撒いた結果、男爵殿はロザリア嬢を退学させて領地で静養させる、と王家と神殿に伝えに来た。
龍神様は、『領地に連れ戻す前に、1度、我が元に連れて来る様に』と男爵殿に告げた。
門の傍には輪廻の泉があり、そこには本来のロザリア嬢が保護されている。
ロザリア嬢の肉体に入り込んだ異世界人の魂を引っぺがし、元に戻すつもりである。
「あの異世界人はどうなるのでしょうか?」
『我が愛しき巫女の憂いの根源がどうなろうたと知った事では無い。...それより、オーラ。我の愛しい乙女』
オーラの膝に頭を乗せ、見上げてくる蒼穹の瞳に滲む意図を汲んでオーラは微笑んだ。
「全てが終わったら、ずっと一緒ですよ。...わたくしの愛しい龍神様」
龍神様は満足そうに微笑むと、来るべきその日に備えて行動を始めるのだった。
ロザリアの中にいる「誰か」は男性キャラはアズライト、女性キャラはオーラが好きで、オーラの幸せを願って行動しているつもりが空回りしている子です。