追放聖女、穏やかに暮らしてます
朝露に濡れたハーブの香りが、穏やかな風に乗って小屋の中へと流れ込む。
東の窓から射し込む柔らかな光が、棚に並んだ瓶や乾燥させた薬草の影をゆらす。
薪のはぜる音とともに、リリアーナはミルクを温めていた。
木のスプーンで優しくかき混ぜ、ふわりと立ち上る湯気に目を細める。
「ハル、ちゃんと王様やってるかな」
ふと漏らした呟きに、返事はない。
ただ、部屋の隅で丸くなった銀色の毛並みの猫が、耳だけぴくりと動かした。
あれから、もう三ヶ月が経とうとしている。
聖地巡礼を終えたあと、レオンハルトは“王”となった。
……本当に、渋々ではあったが。
「リリィが王都に戻らないなら、俺も戻らない」
「王国をこの小屋の隣に持ってこい」
予期せぬ別離が、彼の“リリアーナ狂”をさらに加速させた。
子どものように駄々をこねる彼を、どうにかなだめて王位につけたのだ。――もちろん、いくつもの条件つきで。
そんなことを思い出していると、小屋の外から人の気配がした。
扉をノックもせずに開けて入ってきたのは、黒髪の青年――皇帝カイゼルだった。
「おはよう、聖女殿。朝のハーブティー、今日はなんだ?」
「ミントと、ラベンダーを少し。……ここ、カフェじゃないんだけど!」
「皇帝がカフェに現れたら大騒ぎになるだろ。ここならその心配はない。
レオンハルトの王政も板についてきたし、たまにはな?」
リリアーナはくすっと笑い、カップをもう一つ用意した。
「そんなに暇なら、あなたが王様も兼務できたんじゃないの」
「そう簡単な問題ではないさ。よその国の人間がなるのと、自国の人間がなるのでは後者のが圧倒的に反発が少ない」
いつの間にか、自分の膝の上でくつろいでいる猫の頭をなでながら話すリリアーナ。
二人がテーブルを挟んで談笑していると――突然。
膝の上の猫から、聞き慣れた声がした。
「随分と楽しそうだな、リリィ。まさか、朝から腹黒皇帝と浮気とはな。王都でやりたくもない政務に励む俺に、随分と酷なことをしてくれる」
部屋の隅の転移陣が光を放ち、バシュッという音とともに眩い光が満ちる。
その中から銀髪の青年が姿を現し、一目散にリリアーナの元へ駆け寄った。
「ちょっとハル! お茶こぼれちゃ――」
抗議は、彼の口によって塞がれ、最後まで紡ぐことは許されなかった。
「朝から随分とお熱いことで」
カイゼルがやれやれと眉をひそめる横で、レオンハルトは彼の存在などないかのようにリリアーナに話しかける。
「今日の執務はすべて終わらせた。新しい法案、結界修復、再建計画も順調だ。
頑張った夫へのご褒美はないのか」
「“未来の”夫でしょ。……あとでハルの大好きなオムライス作ってあげるね」
「あぁ…それはいいな。楽しみだ。食後の運動――斬り合いも忘れるな」
「はいはい。お茶、冷めちゃったから温め直すね」
そう言ってリリアーナは席を立った。
「お前、よくあの料理を嬉々として食べられるな…」
カイゼルは遠い目をする。
「リリィの作る料理はどれもうまいが、その中でもオムライスが一番刺激的だ。不満ならもう食べるな、リリィの料理を食べるのは俺だけでいい」
「ねぇ、なんか今、私の悪口言ってた?」
にこにこと座るレオンハルトに、温め直したハーブティーを手渡す。
「いや、俺の妻がいかに素晴らしいかを皇帝陛下殿に説明していただけだ」
レオンハルトが「王になる条件」として出したのは三つ。
一つは、リリアーナを二度と見失わないよう高位の魔道具を用意すること。
もう一つは、すぐに行き来できるよう転移陣を設置することだった。
こうして、猫の姿を模した魔道具が用意されることになった。
銀色の毛並みも相まって、レオンハルトとよく似ている。
ただリリアーナの位置がわかるだけでなく、これを通して意思疎通できるようになっている。
そして、レオンハルトの執務室とこの小屋に設置された転移陣があればいつでも自由に行き来できる。
最後の条件は、どれだけ多忙でも最低でも一日一度の逢瀬は譲らない――。
それが守られるならと、レオンハルトは王になることを渋々受け入れたのだ。
――こうして、今日もまた。
追放された元筆頭聖女は、かつて魔獣がひしめいていた《終焉の森》の小さな小屋で、穏やかで、そして賑やかな日々を過ごしている。
これにて完結です。
読んでくださった皆さま、ありがとうございます。
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初投稿作品なのに連載は無謀だったかもと何度も思いましたが…
やったよ!書き上げたよ!。゜(゜´ω`゜)゜。
駆け出しですが、執筆活動はこれからも続けていく予定です。
またどこかでお会いできる日を楽しみにしています。