表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/9

追放聖女、祖国を案じる

「……また来たの?」


 窓際のテーブルに湯気の立つ紅茶を置いた私は、思わずため息をこぼした。


 小鳥のさえずり。ハーブの香り。ふわふわのクッションに腰をおろす黒髪の男は、私のために用意したクッキーをもう三枚も平らげている。


「皇帝陛下って、案外暇なのね……帝国の政務は?」


「最優先事項の視察任務中だ。異常なほど魔素が浄化され、魔獣が減少している地帯をな」


 にこりともせず、けれどどこか楽しそうにそう返す彼――皇帝陛下カイゼルは、ずいぶん前からこの森の小屋に何度も足を運んでいた。最初こそ私も驚いたが、今ではもう慣れた。


「そっちこそ、人の手も入らぬ深き森にて、随分と優雅な隠居生活を送っているな、元・筆頭聖女殿?」


「……それ、人違いだと思うなあ。私、たまたまたどり着いた地でおとなしくハーブ栽培とかしてるだけだし」


「ふふん。ではそのハーブで作った茶を飲みながら、“おとなしく”帝国中の魔獣を沈静化させてるのか?」


「……日課のお祈りしてるだけよ。やらないと落ち着かなくて」


 私はそっぽを向いて口をとがらせる。彼の笑みが少しだけ深くなったのが、悔しい。


「そういえば、王国……まずいことになってるらしいぞ」


「……え? もしかして、ハルが大暴れしてる?」


「ハルって……ああ、例のお前の護衛騎士レオンハルトのことか。違う、向こうでも魔獣が出始めてるようだ」


「……なーんだ、そんなこと。じゃあ大丈夫。ハルがいるもん」


「信頼してるんだな」


「……腕だけはいいからね。精神面は……ノーコメント」


「護衛騎士レオンハルトといえば、その完璧な立ち居振る舞いで、王都の女性たちを魅了していると聞いているが」


「……あいつも私と同じ…いや私以上に猫かぶってるのよ」


 森の静けさに身をゆだねながら、それでも王国のことが気にかかる自分に、小さく息を吐いた。




「ま、魔獣だぁああああ!!」


「また現れたのか!? 王女様が巡礼してるって話だろ!? どうなってんだよ!」


「まさか、投げ出して王都に戻ってきてるって噂、本当だったのか」


「結界があるはずだろ、あれがあれば魔獣は――」


 市民の叫びが響く中、駆けつけた騎士団は完全に混乱していた。

 長年、王都を守ってきたはずの結界が──まるで蜘蛛の巣のように、亀裂を広げていく。


 急遽集められた聖女たちが必死に補強を試みるが、その間にも魔獣の群れが雪崩れ込んできていた。


「だ、だめだ……数が多すぎる! レオンハルト殿はどこだ!?」


 魔獣が咆哮するたび、騎士たちはその名を叫んだ。


 そして、その時だった。


「──俺は、今、気が立ってるんだ」


 いつもの柔和な笑みはそこになく、低く、怒りを押し殺したような声が風を裂いた。


 一瞬時。

 巨躯の魔獣の胴が、無慈悲に真っ二つに裂け、血煙が空に舞い上がる。


 現れたのは、銀の鎧に深い青のマントを纏う男

 王国一の剣士──レオンハルト。


「嬲り殺してやる……」


「っ……!?」


 その瞳は、まるで理性を失った猛獣のようだった。


 普段は温厚で知られる男の、狂気すら孕んだその気迫に、周囲の騎士たちは息を呑む。


「あ、あのレオンハルト様が……!? 魔獣より怖いんじゃ……!」


 彼は、迫りくる魔獣たちを次々と一撃で屠っていく。

 血と魔力が飛び交う中、なおも怒りは収まらなかった。


「……王族を、玉座の間へ連れてこい」


「はっ、承知!」


 今、この場でレオンハルトに逆らえる者など、誰一人としていなかった。


 騎士たちが走り去るのを見届けると、彼は静かにマントを翻し、玉座の間へと向かう。


 ──まず、引きずられるようにして連れてこられたのは、王女エリザベスだった。


「な、なんなのよ! 離しなさいよ!」


 捕らえた兵士たちを睨みつけ、金切り声を上げる。


「あっ、レオ!! 助けて! こいつら急にきて、私に無礼を――」


 だが彼女の声に、レオンハルトは微動だにしない。


 その瞳に宿るのは、ただ冷たい怒りだけだった。


「……うるさい、無能女。リリィをどこにやった?」


「レオ……?」


 声の調子が変わった。怯えの混じるそれに、レオンハルトは一歩、歩を詰める。


「リリィを、どこにやった」


「し、知らないわよ! あの女なんか!」


「シラを切れると思っているのか。答えろ。……でなければ──」


「ひっ……! ほ、ほんとうに知らないのよ! ただ、“戻ってこられないような場所”に飛ばしてって頼んだだけ! 詳しいことは、術者に任せたんだから!」


 泣き喚く彼女に、レオンハルトはもはや興味を失ったように顔を背けた。


 そして次に現れたのは、王その人だった。エリザベスの父にして、この国の主。


「な、何のつもりだ! これは王に対する反逆だぞ!」


 怒声が玉座の間に響き渡る。


 だが、レオンハルトの視線は冷えきったままだ。


「この結界の不備……どういうことか、説明してもらおうか」


「わ、わしは何も知らん! 結界のことは神殿の管轄だ!」


「……お前の、無能な娘が。筆頭聖女を、勝手に追放した。それがこの結果だ。どう責任を取るつもりだ?」


「いなくなったのは、ただの平民だろう! 問題にするほどのことか!」


 瞬間、音を立てて頬に拳が走る。


 玉座の王が──殴られた。


「と、とらえろ! この者、不敬罪である!」


 兵士たちが躊躇いがちに剣に手をかけたその瞬間、レオンハルトは嘲笑を含んだように言い放った。


「……ふん。俺を捕らえる? この結界、どうにか張り直せたようだが、長くは持たんぞ。俺を排除して……誰が魔獣に対応する?」


「う、うるさい! おまえなんかいなくても……帝国から、援軍を──」


 その言葉を聞いた瞬間、レオンハルトの目が、静かに見開かれた。


「……帝国?」


「帝国に、そんな余裕があるか?」


 騎士の誰かがつぶやいた。


「いや、最近は魔獣の数が減ってるって話もある……」


 その言葉に、レオンハルトの動きが止まった。


「……帝国の魔獣が減っている?」


「は、はい。原因は不明、ですが確実に減っていると聞きました」


(リリアーナが消えたタイミングで、帝国の魔獣の数が減っている……?)


 レオンハルトの中で、いくつかの線が結びついた。


「ずいぶんと遠くに、勝手に遊びに行ってるみたいじゃないか……リリィ」


「……見つけたら、ちゃんと叱らないとな」


 ぞっとするほど甘やかな、狂気を孕んだ笑みを浮かべながら、レオンハルトは玉座の間を後にした。

 その場にいた誰一人として、彼を止めることなどできなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ