追放聖女、再会する
その頃──
レオンハルトは一人、部屋にこもり、真剣な表情で右腕のブレスレットに指を這わせていた。
「……反応なし、か」
リリアーナの腕にも、対となる同じものが巻かれていた。婚約の証として贈ったあのブレスレットには、密かに“追跡魔法”を仕込んである。
位置情報はもちろん、魔力の痕跡や鼓動のリズムすら察知できる、精密な細工だ。
だが反応は――虚無。まるで最初から、存在していなかったかのように。
(まさか、これほどの精密な魔法が何も感知できないとは……)
魔力の遮断か、あるいは──ブレスレットを外したか。
(……いや、それはありえない)
リリアーナが、自分との“絆”を自ら手放すはずがない。
誰が何を思い込んでいようが、彼女と自分の関係は良好だ。
「……ふざけた真似をしてくれるじゃないか」
低く唸るように、声が漏れる。
リリアーナは、聖女の務めから逃げ出すような女ではない。
ならば、誰かが彼女に干渉したのだ。王女か、あるいは取り巻きの誰かか。
くだらない欲望で、リリアーナをかすめ取ろうとでもしたのか。
彼女の安否について、心配はしていない。
愛の語らいと称して、毎晩のように自分と剣を交えてきた彼女だ。
リリアーナを倒せる人間など、この世界にそう多くは存在しない。
問題は──
自分のいない場所でも、彼女が何食わぬ顔で日々を過ごしていそうなこと。
「リリィ……俺から逃げられると思うなよ」
静かに呟かれたその声には、誰にも知られることのない執着と、歪んだ愛情が潜んでいた。
必ず見つけ出す。
誰にも渡さない。
──誰にも。
虚空を睨みつけるレオンハルトの視線には、かすかな震えがあった。
それは、祈りのようにも──呪詛のようにも見えた。
◆
今日は、木の実が豊作だった。
小屋から少し離れた森の奥、朝露に濡れた小枝をかき分けながら、私はせっせとカゴを埋めていく。
「ふふ……最高のジャムができそう」
草葉を踏む音が心地いい。空気も澄んでいて、深呼吸するたびに肺の奥まで洗われるみたいだった。
魔獣に出くわすとちょっと面倒だけど、あの頃の、喧騒と咎めばかりの神殿生活と比べたら、ここはまるで天国だ。
今も私は、あの小さな木造小屋で一人暮らしをしている。
洗濯も掃除も食事の準備も、ぜんぶ自分でやらなきゃいけないけど……それが、なんだか心地いい。
(……まあ、ちょっと王都にいる“あいつ”のことが気になったりもするけど)
ちゃんとご飯、食べてるかなぁ。
どうも生に無頓着なところがあるのよね。
ふと思い出して、ふっと笑う。……やめやめ、子供じゃないんだから大丈夫でしょ!
そういえば最近、森の中で魔獣をあまり見かけなくなってきた気がする。
……まさか、私の聖魔法のせい……いや、そんな大した影響なんて、あるわけ――
「――やはり、このあたりか」
……え?
耳に届いた、重厚で低い声。嫌な意味で聞き覚えのある、威圧感たっぷりの声。
恐る恐る振り向くと、木々の合間に、真紅の軍装を纏った男が立っていた。
「げっ、皇帝陛下!?」
思わず声が裏返った。
なんで――なんで皇帝陛下がこんなところに!?
帝都からかなり距離あるはずなのに来ちゃうわけ!
「ほう……前に会ったときとは随分と様子が異なるな。王国の筆頭聖女殿」
「ち、ちがいます、人違いです! 私そんな偉い人じゃありませんし、ただ森の中で野菜育てたりジャム作ったり、のどかに暮らしてる一般人です!」
「……そうか。では『終焉の森』をただの森と言ってのける“人違い”の君が、どうして魔獣の密集地をいくつも消し飛ばしているのか、説明してもらおうか? 余の調査官たちが首をかしげていたぞ」
うっ……詰んだ。
「そ、それは……環境の変化というか、気候のせいというか……」
やめて、そのまっすぐな眼差し。皇帝のくせに、なんでそんな目をするのよ。
心の奥まで見透かすみたいに、見ないで!
私はぎこちなく笑って、目を逸らした。
……このまましらばっくれるしかない。
絶対バレてるのは分かってるけど、それでも――王国には戻りたくない。
せっかく手に入れた平穏な日々を、手放すわけにはいかない。
なのに。
「ならば……一度、茶を淹れてくれ。“人違い”殿。じっくり話そうではないか」
……この人、見逃してくれる気ないわね。
心の中で盛大に頭を抱えながら、私は作り笑顔のままお茶の支度を始めた。