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追放聖女、森へ飛ばされる

「あなた、邪魔なのよ。消えてくれる?」


冷え切った声が、背後から聞こえた。筆頭聖女リリアーナは、振り返らずにただ息を詰めた。いつものことだ。この国の第一王女、エリザベスは、ことあるごとにリリアーナに嫌味をぶつけてくる。その原因はただ一つ、リリアーナの護衛騎士であり、婚約者でもあるレオンハルトに執着しているからだ。


「……な、何か、私しちゃいましたでしょうか、エリザベス様」


震える声で問いかけると、エリザベスの声が一層大きくなった。リリアーナのおどおどとした態度がエリザベスにとっては苛立ちの種にしかなっていなかったようだ。


「とぼけないでよ。レオが嫌がってるの、あなたにはわからないの?本当に空気読めないんだから」


レオ、とエリザベスはレオンハルトのことを愛称で呼ぶ。その馴れ馴れしさに、リリアーナは内心でため息をついた。

レオンハルトは、リリアーナ以外の人間には物腰が柔らかく、完璧な紳士だった。リリアーナにだけ不愛想なので「筆頭聖女が彼を困らせているに違いない」と陰で言われているのを知っている。一体、彼のどこがそんなにいいのか、リリアーナにはさっぱり理解できなかった。

彼が自分にだけ特別に接してくれていると思い込む女性たちに、何度やっかみをうけたことだろう。王女が出てきてからは、さすがに押しのけてやってくる人はいなくなったが、それでも痛い視線は未だに何人もからむけられるのだ。


その時、足元から突如、眩いばかりの光が迸った。


「え、な、なにっ!?」


あまりのまぶしさに、リリアーナは思わず目を閉じる。光はどんどん強くなり、周囲の景色が白い膜に覆われていく。これは、魔法陣…?転移魔法?


「ふふ。これでレオは私のもの……。せいぜい、二度と戻ってこられない場所で朽ち果てるがいいわ!」


エリザベスの勝ち誇った声が、遠ざかるように聞こえた。




次に目を開けた時、リリアーナの視界に飛び込んできたのは、見慣れない鬱蒼とした木々の群れだった。陽の光さえ遮るほどの、どこまでも続く深い森。空気はひどく重く、肌を刺すような冷たさがあった。


「ここは……?」


ごう、という不気味な風の音が耳元を通り過ぎる。嗅ぎ慣れない匂いが鼻腔をくすぐる。それは、これまで感じたことのない、濃密な魔素の香りだった。リリアーナが生まれ育った王都では、聖女の浄化作用によって魔素は薄められ、人々は安心して暮らしていた。これほど濃い魔素を感じるのは初めてだった。


その時、背後から荒々しい声が聞こえた。


「悪いが、そいつは預からせてもらう」


ずしり、と重い衝撃が手から伝わる。振り返る間もなく、リリアーナが常に持ち歩いていた聖女の杖が、男の手に収まっていた。男は身なりの良い騎士服を身につけていたが、その顔には冷酷な笑みが浮かんでいる。


「待って……!」


リリアーナが声を上げようとした瞬間、視界の端に何かが動いた。禍々しいオーラを放つ影が、木々の間から次々と姿を現す。それは、リリアーナが図鑑でしか見たことのない魔獣たちだった。毛むくじゃらの体、鋭い爪、血走った眼。彼らは、リリアーナを取り囲むように、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる。


「俺の役目はお前を戻ってこられないような場所に送り届けるところまでだ。せいぜい頑張るんだな……まぁ、死ぬのも時間の問題だろうが」

男はそう言い残すと、あっという間にその場から姿を消した。彼が使ったのは王家が保有する特別な帰還魔法なのだろう。聖女の杖には聖女巡礼ルートを繋ぐための転移術式が組み込まれていたが、それはもう使えない。杖を奪われた今、リリアーナには自力で戻る術はなかった。


たった一人、魔獣に囲まれた森の奥。リリアーナは膝から崩れ落ちそうになった。


「そんな……このままじゃ……」


普段の彼女を知るものならば、ここで絶望の淵に沈み、ひたすらに助けを求める姿を想像しただろう。しかし、その瞬間、リリアーナの顔に浮かんだのは、怯えでも絶望でもなく、不敵な笑みだった。


「なんて、言うと思ったなら大間違いよーーーーっ!」


その声には、先ほどまでの怯えた聖女の面影は微塵もない。スカートの裾を翻し、太ももに潜ませておいた護身用の短剣を素早く取り出す。


襲い掛かる魔獣の一匹が、鋭い爪を振り上げた。リリアーナはそれを冷静に見極め、紙一重でかわすと、短剣を逆手に持ち、魔獣の首筋に深々と突き立てた。魔獣は断末魔の叫びを上げて絶命する。


その動きは、まさしく熟練の剣士のそれだった。華麗に、そして容赦なく、次々と魔獣をなぎ倒していく。普段、おどおどとした聖女を演じていたリリアーナの真の姿は、まさしく歴戦の戦士そのものだった。彼女の瞳には、一切の迷いがない。


聖女の力だけではない、武力で魔獣を倒していくリリアーナの姿は、遠く離れた王都では誰も想像できないものだっただろう。


「ふう……いっちょあがりっと。とりあえずこれで、当面の危機はしのげたかな」


血の付いた短剣を構えながら、リリアーナは周囲を見渡した。魔獣の死骸がゴロゴロと転がっている。


「さて、これからどうしよ」


困ったように呟いたその声は、どこか楽しそうにも聞こえた。誰にも邪魔されない、本当の自由が、今、目の前に広がっていた。

処世術として、公の場では常に控えめで、おどおどとした態度を崩さなかった。でもここでは必要ない。

この森は、彼女にとっての新たな始まりとなるだろう。

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