【幕間⑤】迫りくる戦火
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『識者の塔』での報告から、さらに半年が過ぎた。
魔界の勢力図は、アスタロトの予測通り、いやそれ以上の速度で、漆黒に塗りつぶされようとしていた。
『死王』の軍勢は、その圧倒的な物量と、兵士に死の恐怖すら忘れさせる狂気の力で、次々と他の魔王候補の領地を蹂躙。魔界の半分以上が、その支配下に置かれていた。
敗れた者たちは、奴隷となるか、あるいは死王の力でアンデッドの兵士へと変えられ、その軍勢は雪だるま式に膨れ上がっていく。
もはや、死王に正面から対抗できる勢力は、アスタロトが率いる『深淵』の一派のみとなっていた。
その日、アスタロトの元へ、腹心であるゼノンが新たな報告を持って帰還した。
「アスタロト様。死王軍に、新たな動きがありました」
「申してみよ」
「奴らは、これまで全く興味を示さなかった、魔界の辺境…ヴァルという男が巣を築いた、あの辺境の荒野に、偵察部隊を派遣し始めた模様です」
その報告に、アスタロトはわずかに眉を動かした。
「あの、何の価値もない荒野にか? 解せぬな。死王は、合理的な支配を好む男。無駄な戦力は割かぬはずだが」
「はい。私も当初はそう考えておりました。ですが、捕らえた斥候から、奇妙な情報を得ました」
ゼノンは、一枚の羊皮紙をアスタロトの前に広げる。
「奴らは、荒野そのものではなく、その先に眠るという『古代の遺物』を探しております。それは、かつて天界が、我ら魔の種族をこの魔界へと追放した際に使われたという、大規模破壊兵器、あるいは強力なゴーレムだと噂されております」
「…天界の遺した、負の遺産か」
アスタロトの紫の瞳に、険しい光が宿った。
「愚かな。その兵器を再び動かし、魔界を破滅させようとでも言うのか」
「確証はありません。ですが、死王の最近の動きには、不可解な点が多いのです。彼の軍勢が使う武具の一部に、我らの魔界には存在しない、極めて精巧な金属加工の技術が見られる、と」
その言葉は、死王の背後に、魔界以外の「何者か」の存在がいることを、強く示唆していた。
「…して、その『虫の巣』の様子は?」
アスタロトは、思考を切り替えるように尋ねた。
「はっ。私の配下の者が、遠巻きに監視を続けております。報告によれば、彼の者が居なくなった後も驚くべき速度で発展を続けている、と」
ゼノンは、ノクテリオンがゴブリンやオークをまとめ上げ、防衛隊を組織したこと、そして、新たに公衆浴場なる文化施設まで作り上げ、異種族が共存する、魔界でも類を見ないコミュニティを形成していることを報告した。
「ほう…あのインプの老爺、なかなかの器量と見える。ヴァルという男は、実に良い種を蒔いていったものだ」
アスタロトは、心底楽しそうに呟く。
「だが、その平和も、もはや風前の灯火か」
死王の軍勢が、天界の遺物を求めて荒野を捜索すれば、『バグズ・ネスト』がその進路上で発見されるのは、時間の問題だ。
あの小さな理想郷は、死王の圧倒的な暴力の前に、一瞬で踏み潰されてしまうだろう。
「ゼノン」
「はっ」
「お前の部隊に、新たな任務を与える」
アスタロトの瞳が、再び鋭い光を放つ。
「死王軍の偵察部隊が、『バグズ・ネスト』に到達するよりも先に、かの地に赴け。そして、巣の民たちに、二つの選択肢を与えよ」
彼女は、指を一本立てる。
「一つは、我ら『深淵』の軍門に下り、その庇護下に入ること。そうすれば、我らが盾となり、死王の軍勢から巣を守り抜こう」
そして、二本目の指を立てた。
「もう一つは、我らの助けを借り、その地を捨て、安全な場所へと移住すること。どちらを選ぶかは、かの地の民の自由だ」
「…よろしいのですか? 彼らを、我らの戦力として組み込む好機やもしれませんが」
ゼノンの問いに、アスタロトは静かに首を振った。
「あの巣は、ヴァルという男が遺した、異質な『実験場』だ。それが、外圧によってどう変化し、どう抵抗するのか…私は、それを見てみたい。それに…」
彼女は、未来を見通すかのように、目を細めた。
「いずれ帰ってくるであろう、あの『特異点』に、貸しは作っておくに越したことはないだろう?」
「…御意に」
ゼノンは、主君の真意を悟り、深く頭を下げると、再び影の中へと姿を消した。
魔界全土を巻き込む、最終戦争の足音が、刻一刻と迫っていた。
そして、その戦火の渦は、かつてヴァルが「虫の巣」と名付けた、辺境の小さな楽園をも、否応なく飲み込もうとしていた。
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