第一話
「━━っ」
━━ジリジリジリ。
……午前八時にセットした目覚ましが鳴り響き、男は目を覚ました。
「つつッ……」
男は睡眠用には作られていない、後部座席のクッションが硬いシートの上で寝ていた……寝違えたのか、首を撫でながら身体を起こす。
「……」
━━男は宇宙にいた。
そこにあるのは漆黒の中できらきらと光る星のみ……何人足りとも生物などいない世界を、男は虚ろな目で眺めている。
「……」
眠気を覚ます為、男は重い体を立たせると……背後にあるバスルームに向かい、起床後の習慣であるトイレと歯磨きを済ませた。
「……よし」
その日の男はご機嫌であった……シャワーも浴びて眠気もすっかりと冷め、バスルームが開いた瞬間に走り出し、操縦席に飛び座った。
「━━おはよう、アダム」
突如、そう口にした男……その瞬間、男の目の前にあるハンドル、ボタン、液晶パネルへ順々に水色の光が灯っていく━━
『━━おはようございます、光希様』
「うむ」
その直後……機械的で無機質な男性の声が、男に返事をした。
『本日は二〇四五年、九月二日、土曜日です』
「そうだよな……今日は絶対に、九月の二日だよな!?」
『はい、光希様が地球を発たれてから、今日で丁度七三〇日……二年が経過致しました』
「……よし」
男から聞かれた質問を、淡々と答えていく機械音声……だが男にとってのその報告は、何よりも嬉しく感じる物だった。
「そうと決まれば帰るぞアダム……目標を地球に向かって一直線だ!」
『了解致しました━━目的地、地球……本機体を自動運転へ切り替えます』
「━━やっと、この日が来たんだ……待っていてくれ、皆」
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━━二〇三九年……世界は戦争を繰り返していた。
国々の政府は、自国の主義を頑なに信じ……それを世界へと知らしめ、認めさせ、従わせる為に……決して譲らない態度で世界の王を目指し、兵を戦わせていた。
そうして兵達は血を流し、屍となり……街は燃えて、化学物質が蔓延し……地球は戦争の二次災害を負う形で穢されていった……。
━━そんな中、京極国空軍所属、当時十四歳の若田光希中尉にとある任務が下された。
『……来ましたね、若田中尉』
『はっ! 若田光希、ただ今到着しました……菅野隊長、何の御用でしょう』
『━━この地球はもう駄目です』
『……え?』
『この様では、我々が勝っても住める場所が無い……』
『そこで若田中尉……宇宙に飛び、次なる我々の住める星を見つけてきなさい━━政府直々の命令です』
『ええっ……!?』
そうして軍、政府からの命令を断れる訳も無く……若田中尉は仲間達に見守られる中、宇宙に飛んだ。
『若田くん……気をつけて行ってきてね!』
『手紙とかは書けねぇけど……俺達はいつでも地球から無事を祈ってっからよ!』
『ああ……皆ありがとう!』
彼に与えられた任務期間は二年……それが過ぎたら、地球に戻ってきても良いという事になっていた。
『……宇宙って、何も無いんだな』
……若田中尉は飛び続けた。
他国は戦争に手一杯で、京極の新星居住計画を思いついている物はおらず、地球の外にいるのは若田一人だけであった。
……だが敵国の宇宙船を発見出来ればマシだと思えるぐらいに、誰とも会えない、誰とも話せない孤独感が若田を苦しめた。
『よし、上陸だ』
『無理だ……こんなに寒くては人は住めない』
そしていつからか……住めそうな星を見つけるという本来の任務よりも、二年が経てば地球に帰れるという条件の方を重視するようになってしまった。
大気や自然のある地球以外に、そう簡単に環境が整った星なんて見つけられる訳が無い……
その事だけを信じ、しっかりと様々な星に降りて調査を続けつつも、若田は飛び続けた。
━━そうして二年が経過した現在、建前上新たなる星が見つからなかったという事で、若田は地球に戻ろうとしていた。
「アダム、後どれくらいで地球に着く!?」
『地球まで残り、十六億五三一〇万キロメートル……残り一週間での到着となります』
「そうか……なら暇だし、また寝るか……果報は寝て待てと言うしな」
しかしその本音は、早く地球に帰りたい、本国の土を踏みたい……仲間達に会いたいという事しか考えていなかった。
残り四十九時間……何もしないで過ごす場合、途方無く感じるその長さが……彼に様々な期待を与えた。
「……駄目だ、興奮しすぎて寝れやしない」
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━━一方、地球……京極。
「……んぅ」
━━ジリジリジリ。
午前四時にセットした目覚ましが鳴り響き……少女は目を覚ました。
「……」
身体を起こし、真っ先に視界の中で飛び込んできたのは……事前に支給されていた、とある部隊での着任が許された事を意味する、ハンガーにかけられた制服。
「……いよいよ今日からなんだね」
それを見て……少女はこれから始まる新生活という名の運命を受け入れようとしていた。
「似合ってるのかな……」
今いる自室にて制服に着替え、洗面所で顔を洗って寝癖を整えた所で……少女は改めて正面に貼り付けられた鏡に映る、自身の姿を確認する。
少々ぶかぶかになっており、手の殆どが袖で隠れてしまっている……少女はその事に首を傾げながら、廊下を進んで階段を降りて行った。
「……」
リビングでは既に朝食が用意されており……そこから立つ湯気が、寝起きで失われていた食欲を刺激させた。
そんな中、キッチンの暖簾を潜って……それを作った者が現れる。
「……おはよう、聡美」
「おはよう、お母さん」
「制服……似合っているわ」
「うん、ありがとう」
「……食べなさい朝ごはん」
「……いただきます」
そうして聡美は朝ごはんを食べ始めて……母親はその向かいの席に腰掛けた。
母親は聡美の事を、朝から気分が下がってしまうような暗い表情で見つめている。
「聡美……本当に行ってしまうの?」
「大丈夫だよお母さん、前から何度も言っるけど……私がこれからやるのは平和活動で、戦いに行く訳じゃないんだから」
「でも仮に、今は戦争をしないとしても……軍人なら、いつかは戦う日が来るかもしれないじゃない━━それに、地上は危ないわ」
「大丈夫だよ……私戦う気は無いし、戦争が始まるってなったら戻ってくるようにするから」
「それに……新しく配属される場所は軍隊じゃないから」
「本当かしら……」
このまま母親の話に付き合っていたら、徐々に新生活を送る為のモチベーションが奪われていってしまう。
そう判断した聡美は、食パンに卵焼きとハムを乗せて、急いで口の中に詰め込んだ。
「……っく、じゃあそろそろ行ってくるね」
「ええ……」
それから廊下に出て、玄関に向かう聡美……母親も席から立ち、彼女の後に続く。
「行ってきます」
「待って」
「何?」
「ネクタイのバランスが悪いわ」
「あぁごめん」
ネクタイを整えてくれた母親……続けてハグをしてきて、中々出発させてくれない。
「……もう、遅刻しちゃうよ!」
「あぁごめんなさい……本当に気をつけるのよ」
「うん……では今度こそ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
そうして聡美は母親に見守られる中……扉を開けて外へ出た。
「……」
━━聡美は空を眺める。
厳密には……そこにあるのは空では無く、天井に映し出された偽りの物だった。
歩道端に感覚的に植えられた木も同じく……植えられているというよりは光り輝いている立体映像だ。
「……」
━━聡美は地下にいた。
聡美だけでは無い……今を生きる全人類が、現在は地下で暮らしているのだ。
そして今日……聡美は生まれて初めて、地上へ出ようとしている。
「……」
十五年間暮らしてきた、長方形型の我が家……その隣も、隣の隣も、同じデザインの家が立ち並ぶ通りを眺める聡美。
必要最低限のスペースしかない、実に窮屈な場所だった……これが地上では、一体どのような広大な世界が広がっているのか……。
本物の空とは、一体どれ程に途方無く感じられる物なのか……そのような期待を膨らませながら、聡美は事前に呼んだタクシーを待っていた。
「……」
……やがて道路中心に敷かれたレールを通って、浮遊しているタクシーがやってくる。
ドライバーがいない、二人乗りのそれに乗り込むと……ドアが閉まると同時に、正面の窓に文字が書かれたウインドウが表示される。
『本日は自動運転サービス、京極交通をご利用頂きましてありがとうございます。目的地設定をお願いします』
「あー……京極地港までお願いします」
『かしこまりました、到着まで暫くお待ちください』
そうして女性の機械音声に答えると……タクシーは発進し、窓には様々な広告や、最近起きたニュースが表示され始める。
「……」
そんな事はどうでもよく、緊張も相まってぼーっと外を眺めていると……
暫く進んでトンネルを潜った後━━レールが入り組んで聡美が乗っている物と同じタクシーが大量に走っている、ビルが立ち並ぶ広い空間に出てきた。
「……」
しかしそんな景色にも興味は無く、スマホを弄っていると……
「……!」
やがて車線が増えてきた所で、漸く顔を上げる。
……そうして見えてきたのは京極地港。
ここからは地底船に乗り換えて、様々な他国のエリアに行く事が出来るのだ。
「……」
……その為に、この港には他国で活動をしに行く多くの京極人達が集まる。
女子高生、OL、着物を着ている金持ちそうなマダム……様々な女性が活動をする際の、様々な服を装って、タクシーを降りた後にそれぞれの行き先のホームへ向かって行った。
「……」
勿論京極人が他の国へ発つ一方で……様々な国の者達も、この京極へやってくる。
中央広場ではレストランや本屋、沢山の施設が沢山の言語で表記されていると共に……沢山の外国人達が利用をしていた。
「……」
聡美はそれらの人の波を抜けて……隊から集合場所として指定されていた、中央広場の時計台に向かった。
「━━」
━━そしてその麓では……聡美と同じ制服を着ていた、金髪でショートカットの女性が立っていた。
見た目は聡美よりも幼い感じで、背も小さい……事前に待機していると聞かされていた、この人が隊長なのかと思いつつ、どのように話し掛けたらいいのか、聡美は焦る。
「こんにちは!」
「!」
取り敢えず元気に挨拶してみる。
「はいはいこんちは〜、君が古川さんだね!」
「あっどうも……あっ! えっ、えっと……」
「?」
思ったよりも軽い感じで挨拶を返され戸惑うも……取り敢えず初対面の人に対しての接し方を慌てて実行する。
「は、初めまして、京極は地区七番地から来ました、古川聡美と言います! 本日からお世話になります!」
「お、おお……」
背筋を伸ばし、何となく敬礼をしながら挨拶をした聡美……女の子は再びふふっと笑うと、敬礼を返しながら言葉を続ける。
「はいこんにちは。 集合時刻よりも早くの到着、いい心掛けだねぇ、昨日はよく眠れたかな?」
「はい、目覚ましが鳴る前に起きました!」
「ふふっ……おっと、自己紹介が遅れちゃった」
「私は……君がこれから入隊する、"AGPR"の隊長を務めている、諏訪理奈だよ〜、よろしくねっ」
「たっ……隊長さん自らのお迎え、ありがとうございます!」
「ふふっ、君って面白いね……この調子なら、うちの子達とも上手くやっていけそうだよ」
「そ、そうでしょうか……」
「うん! 早速会いに行こっか。皆いい子達だから、そんなに怯えないで!」
「はい!」
隊長がこの子達呼ばわりするとは、平均的な年齢が低い部隊なのだろうか……その事を考えながら、聡美は彼女の後に続く。
そんな彼女の案内の元、聡美は基地へ向かう地底船へと案内されるのであった……
「さて、私達はあの船に乗るよ」
「えっ……あれって……」
「隊専用の特別船だ、これで基地までひとっ飛びさ」
「おかえりなさい、諏訪隊長」
「はいただいま、すぐ出発するよ」
港のホームに停泊していた、他の一般船とはデザインの違うそれに乗り込んだと理奈と聡美。
二人を待っていた様子の理奈と同じ隊であるらしき人物は理奈に敬礼した後、そのまま操縦席へと乗り込んだ。
「ゆっくりしてね。基地に着くまでは二時間ぐらいかかるから」
「はい、失礼します」
一般の船とは違う分、座席も十人分程と少なくて、狭くなっている船内。
ゆっくりしてねと言葉で言われる程度では、まだまだ緊張がほぐれる様子が無い聡美は、そわそわとしながら座席に腰掛けた。
「あの……諏訪隊長はお一人だけで、京極まで来られたのですか?」
「そだよ〜。隊で京極に来たのは、私と前のパイロットの二人だけ」
「は、はぁ……」
理奈に続いて、バックミラー越しにパイロットと目が合う聡美……パイロットは運転しながら聡美に親指を上げて見せた。
「他の子達は、今は皆起きて朝のミーティングに合わせて支度してる頃じゃないかな……その間に、私が古川さんを迎えに来たと言う訳」
「なるほど、お忙しい中ありがとうございます」
「いやいや。隊長とは言っても、基本は書類の仕事ばかりで基地に篭もりっきりだったからさ〜……こうしてお出かけも出来て、いい息抜きになったよ……本当は観光とかもしたかったけど」
「は、はぁ……」
「それで古川さん━━改めて、うちはどういう活動をする組織か覚えてる?」
「……はい」
頬杖をつきながら黄昏ている理奈に見蕩れていた聡美……隙を突かれるようにその質問をされた瞬間、彼女の顔つきが変わる。
「━━地上の世界で再び人が住めるように、綺麗にする活動をしている組織です」
「━━そうそう。古川さんも知っている通り、昔の人達は世界で戦争を起こして……生き物が住めなくなるくらいに地球を汚してしまった」
「自然が全く無い代わりに、戦争で使われた兵器がゴロゴロと転がっていて、大気も核の二次災害で充満していて……彼等が地上につけた傷跡は、未だに癒える見込みが無い」
「それで今の私達は地下で暮らしている訳だけど……汚すだけ汚して何もしないのは地球が可哀想だし、戦争を起こした先人達に代わって償う罪滅ぼしみたいな感じで……」
「私達人間が住めるようにするのは勿論……地上で活動している唯一の部隊として、例えそれが叶わなかったとしても、戦争の残骸を無くして、戦争が起きる前の綺麗だった世界に戻すのが……今の私達がしている活動さ」
「はい……とても立派な事だと思います」
……先人達が世界を汚した影響により、今の人類が生き延びる為には、それが及ぼされない地下で生活をするしか手段が無い。
これは地下世界で生まれた人間が、学校に通って歴史の授業を学ぶ以前に、物心がついた時点で思い知る現状だ。
そもそも現在のモグラのような生活になってしまったのは、戦争を引き起こした先人達のせい……聡美はそのような考え方の大人達に囲まれて育ってきた。
━━しかし、聡美は先人達の事を憎んではいなかった。
「━━それで改めて聞きたいんだけど、古川さんはどうして家に入隊しようと思ってくれたのかな?」
「……」
「君も知っての通り、今の地上は危ない……地下で暮らしている方が安全だし、親御さんもさぞ、君が地上に行く事を反対されただろう」
「それなのに、どうして……」
「……」
聡美にとって、先人達が戦争をしていたのは過去の事に過ぎない。
聡美は何か嫌な事があってもいつまでも引きずらず、これからどう対処をしていくか……過去よりも未来だけを見据え続けるタイプだからである。
「先日送らせて頂いた書類にも書かせて頂いた事ですが━━私は、その……得意な事とか取り柄とか、何も無い人間で……」
「……」
「その代わりに、隊の皆さんがされている活動が立派だからこそ、私もそれに参加して……胸を張ってそういう事をしてきたと、周りにアピールが出来る実績が欲しいんです!」
「……」
「!……すみません、自分勝手な理由で……もっ、勿論汚れた地上を綺麗にしたいというボランティア精神もありまして━━」
「……ふふっ、いいよいいよ。無理に付け足さなくても」
「……へっ?」
気持ちを込めて熱弁するも、難しい顔つきで話を聞いていた理奈隊長。
慌てて理由を追加すると……思わぬ返事に、聡美は肩の力を抜かした。
「自分の為にって言う理由でも全然大丈夫だよ……今働いている人達だって、志望理由だの何だの以前に、皆結局は自分を生かす為にお金を稼ぎに行っている訳じゃない?」
「……は、はい」
「うちの子達も本来の目的とは別に、地上に落ちている物をお金に替えたりして、皆今日を生きる為に家で働いてくれているよ」
「古川さんがさっき話してくれた事も、自分の為ではあるけれど……実績が欲しいっていう理由は、お金の為よりも立派な事だと思うよ!」
「……はい、ありがとうございます」
「勿論お給料は出るから安心して……まぁどんな理由であろうと、君の事は最初から採用するって決めてたんだ」
「えっ、そうなんですか?」
「入隊者募集を出したのは半年ぐらい前からだったんだけど、地上の世界は本当に危ないから……誰もやりたがらないのか、志望者は君一人だけだったんだ〜」
「ええっ……」
「でも安心して? 危ないからこそ、君の事は私達が全力で護るから」
「あっ、ありがとうございます!」
「ふふっ━━あっ、そろそろ基地につくよ!」
「!」
……そうして辿り着いた、基地の港。
理奈に手を差し伸べられながら、期待よりも不安が多い気持ちを胸に、聡美は船を降りる━━
「!」
降りた先で最初に聡美を出迎えたのは、隊のマークが中央に描かれた大きな門……
その大きさに聡美が魂消ていた様子を見て、理奈はふふっと微笑んだ。
「大きな門でしょ〜、昔は戦車とかの兵器を運ぶ為に、ここから通らせてたらしいけど……戦争が無くなった今、この門を使われる事も無くなったよ」
「なるほど……」
「だから私達が入るのはこっちからだよ、着いてきて」
「あ、はい!」
それから理奈と聡美は、その大きな門からでは無く……そのすぐ隣にある、人が通る為の人のサイズに合わせて作られた扉を開けて中へと入った……。
「あっ、諏訪隊長! おかえりなさい!」
「はい、ただいまぁ」
「あっ、あの━━」
最初に二人を出迎えたのは、受付にいた女性……。
「━━米田副隊長もおかえりなさい!」
「……うむ」
「!?」
女性にも挨拶をしようと思った聡美……しかしその直後で、女性は二人を基地まで送ってくれたパイロットに挨拶をした事でそのタイミングを逃してしまったと共に……
船を降りてから基地に入るまで存在を気づかなかった故の物と、彼女自体が副隊長であった事について、聡美は驚くのであった……。
「そしたら自己紹介だけしちゃおっかな〜……古川さんミーティングルーム行こっか! そろそろ朝礼が始まるから皆集まってる頃だろうし」
「……あっ、はい! 分かりました!」