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恋と魔法と妖剣と 第五話

更新が遅くてごめんなさい!

 理沙さんに連れて行かれたのは、葉月市内だけど、そこで生まれ育った私でさえ生まれて初めて行った所。


 電映通り。


 かなり昔に通りの奥に映画館があって、そこ目当てに人が集まった所が由来だと聞いたことがある。

 今はもう映画館も何もなくて、ただの繁華街というか……まぁ、よく知られた風俗街で、市内で殺人や暴力事件といえば大体、ここで起きる。

 暴力団事務所を筆頭に、葉月市内で最も危険な連中のたまり場だから近づくなと子供の頃から言われている場所。

 大抵、ここの近くを歩くだけで補導員に捕まるとさえ言われている。

 こんな所に来たなんてことが知られただけで学校から何を言われるかわかったものじゃない。警察の車に乗せてもらっているとはいえ、制服を着てこなくて良かったと心底思った。そんな私の横では水瀬君がぼんやりと外の景色を眺めている。

「あんな所」

 ハンドルを握る理沙さんは、タバコを吸いながら言った。

「コドモを連れて行くところじゃないんだけどね。まぁ」

 ミラーに写った私達の顔を見るその口元に苦笑が浮かんでいる。

「殺人現場よりはマシってヤツ?」

「そう……ですかね」

「水瀬君は別だけどね」

「なんで?」

 不意に名前を呼ばれた水瀬君がえっ?という顔になって前をのぞき込んだ。

「いろいろ知り合いがいるんじゃないの?」

「それは内緒」

「ねぇ、ヤクの売人知らない?」

「……何で僕に聞くの?」

「知り合いがいるんでしょ?」

「いないよ」

「本当に?」

 心外。という顔で理沙さんはミラーをのぞいた。

「クスリは専門外」

「……君は一体、何を扱ってるのかな?」

「内緒」

「あっさり答えるな……最近、合成麻薬を扱う新勢力が都内で他のルート潰しにかかっているけど」

「知らない」

「押収した合成麻薬……かなりの成分が新タイプの魔法薬なのよね」

「知らないよ」

「4日前の山村組の件、あれ、キミでしょ?」

 4日前。

「……そう言えば」

 新聞の記事を思い出した。

「港の倉庫で麻薬の密売に絡んでいた2つの組の人達の死体が発見された。取引されていたはずの麻薬と数千万円のお金が行方不明になったって、あの件ですか?」

「そう。20人からが蜂の巣になって殺されたけど、主犯がこんな近くにいたとはねぇ……」

「だから、僕知らないもん」

「売上は9千万だっけ?」

「5千万」

 はっとなった水瀬君が口を押さえたけどもう遅い。

 つくづく思う。

 世界のみんなが水瀬君ほど単純だったら、世界はとっても平和だろうなぁって。

 ……勿論、私は御免だけど。

「何で金額知ってるの?」

 ぐいっ。

 私は水瀬君の口の中に両方の親指を突っ込んで左右に開いた。

「痛い痛いっ!」

「盗まれた金額は、警察でも把握してないって聞いたけど?」

「あの魔法薬は」

 水瀬君は涙目になって白状した。

「近衛でもルートを追ってるんだよぉ……情報はいろいろと」

「キミも動いていると?」

「情報収集だけはね……」

 手を離すと、水瀬君は口元を抑えながら言った。

「で?金額はどこで知ったの?」

「組のルートあたれば誰でも知れているよ」

「ふぅん?あとで協力してもらうわよ?」

 理沙さんは道ばたのコインパーキングに車を止めた。

「何しろ、犯人逮捕は市民の皆様のご協力があってこそだからね」

「協力って、どういう字を書くの?」

「いい質問ね」

 理沙さんはニコリと微笑むとドアを開けた。

「強く制するってところかしら?」



 道は綺麗とは言えない。

 通りのあちこちに山積みにされたゴミにカラスと野良猫が顔を突っ込んでいるし、そうでなくてもヘンな人達があっちこっちに屯しているんだ。

 サングラスにスーツ姿のやたら怖そうなお兄さん達が数人、タバコを吸いながらこっちを見ている。

 見られているだけで逃げたい。

 その視線を感じるだけで、警察官の理沙さんがいなかったら即座に逃げて当然だと思う。

 それに―――

「何か……すっぱい匂いがする」

 たまらずに口元を抑えた。

 口元まで吐き気が登ってくるのは、緊張のせいだけじゃない。

 何、この臭い。

 空気が、何だかとっても吐き気を誘ってくれる。

「繁華街は初めて?」

 水瀬君は平気そうな顔で理沙さんの後ろを歩くけど、私はもう、理沙さんの裾でも掴ませて欲しいくらいだ。

「あ、当たり前でしょう?」

「仕事で来たことあるかと思っていた」

「ないよ……」

 私は怖いお兄さん達の存在を忘れるかのように下だけ見ながら歩いた。

 そして、この臭いの原因をあやうく踏んづけずに済んだ。

 ううっ。こんな所に吐かないでよぉ……踏んづけるところだったじゃない!

「こういう所って、殺人現場のたまり場みたいなものでしょ?」

「そ、それは……」

 あれ?

 考えてみればその通りだけど、私、今までこういう所で起きた事件って関わったことがない。

「私も考えてるのよ」

 理沙さんが言った。

「探偵に相応しい事件だけを選りすぐってるの。優しいでしょ?」

「そりゃ……」

 水瀬君は意地悪そうに言った。

「こんな所で起きた事件だもん。迷宮入りさせた方がいろいろ楽だもんね」



 理沙さんに案内されたのは、繁華街の本当に裏手。

 どぶ川に面した寂れた雑居ビルの裏通り。

 “売り物件”と書かれた看板がビルの入り口に掛かっているし、通路はベニア板と金網で封鎖されている。

 錆び付いたシャッターに張り付けられた張り紙はちぎれて変色しているから、かなりの間、買い手も付かないような物件なんだろうことはすぐにわかった。

 裏通りはゴミの山。

 割れた瓶や雑誌、元が何だったのかわかんない、得体の知れない物体が散乱して足の踏み場もない。

「こっちよ」

 立ち入り禁止を示す警察の黄色いテープが張られているのは、その裏手にぽっかりと開いた閉鎖された建物への入り口。

 割れたベニア板が床に倒れているのを踏みつけて中に入ると、さっきのすっぱい臭いと違う、別な臭いが容赦なく鼻を襲う。

 錆びた鉄のような―――血の臭いだ。

 本当は真っ暗なんだろう入り口から一歩中に入ると、広いフロアになっていた。

 よく古い刑事ドラマで見るような飲み屋らしいスツールや家具の残骸、そして室内に残る煌びやかな装飾が、かつてここが何だったかを教えてくれる。

 今は、その暗闇から室内は久しぶりの光を与えられていた。

 鑑識が照明を持ち込んで現場の撮影を続けている。

「……うわっ」

 本来なら、女の子として眼を背けるべき光景なのに、何故か冷静に現場を見舞わす自分に驚きもしない。

 そんな声を上げただけで現場をはっきりに認識する方が先に動く。

 黒いスーツ姿の男が床に倒れている。

 別な男はひっくり返ったソファーに覆い被さるようにして倒れている。

 柱に寄りかかるようにして倒れているのは、胸から上を失った、男の体の一部。

 壁の向こうには、カーペットを掴んで目を見開いたまま死んでいる男がいた。

 あちこちに血が飛び散った後が床といわず天井といわず残っている。

 それだけじゃない。

 切断された腕や足、指……そんな肉片がそこら中に転がっている。

 死体の肌の色からして死後半日は経過しているのは確かだ。

 首を回して周りを見回すと、入り口の近くには、首を失った死体と、這いずった後がはっきり残るもう一体の死体があった。


 死体は全部で10人……か。

 かなり多い。

 その半分以上が真っ二つに切り裂かれて、切断面から臓器を撒き散らした無残な姿をさらしている。

 死因は出血死なのか、内臓破裂によるショック死なのか、ちょっと知りたいな。


 ……はぁ。

 気の毒だとかそう思う前に、私はそんなことを思い描くなんて……。


 でも―――

 理沙さんは、私と水瀬君に悲鳴を上げさせるためにここに連れてきたわけじゃない。

 それだけは確かだ。

 その期待に応えるためには、これでいいと思うしかない。


「どう見る?」

「……犯人は」

 私は、死体を写真に収めている鑑識官が片膝を突きながら写真を収めているその床を指さした。

 バーだかキャバレーだか、どんな種類だったか知らないけど、とにかくいかがわしい飲み屋だったんだろう豪華な室内の丁度真ん中にあたる場所。

 埃みまれの白い大理石の床がそこにあった。

「そこに立った」

「足形は?」

 水瀬君のその質問に、

「鑑識がとった。埃のおかげであっちこっちに残っている。それだけなら」

 ジロリ。

 理沙さんが睨んだのはなぜか水瀬君。

「世界で一番キミが疑わしくなるんだけどね」

「女の子の足形が出たの?」

 水瀬君は別に驚きもせず聞き返した。

「そう」

 腕組みしていた理沙さんは、ちょっと意外。という顔になった後、床に転がった死体を眺め、

「……キミがやったってわけじゃなさそうね」

「足形、出たんですか?」

「ええ。残念ながらキミより0.5センチ小さい」

「それが残念……なの?」

「残念よ。この後、君の足を削るって面倒くさい仕事しなくちゃいけないじゃない」

「理沙さん、それ滅茶苦茶」

「黙れ。……キミが犯人なら、ああいうのは、回収して売り飛ばしてるでしょ?」

 理沙さんが指さしたのは、死体の手。

 そこには拳銃が握られていた。

「その前に、ここまで派手にやらない」

 水瀬君ははっきり答えた。

「こういう骨付き肉は金目のモノ持ってるからね」

 水瀬君が拾い上げたのは、床に転がっていた男の腕。

 スーツの袖と時計がそのままくっついていた。

「ローレックスのオイスターパペチュアル……金のブレスレットは18金……スーツはオーダーかな?いい素材使っている」

 時計を外そうとして、理沙さんの視線に気付いた水瀬君は、残念そうにその腕を床に戻した。

「こういうの、奪い尽くした後に死体はゆっくり始末すればいいんだよ。僕なら、ここまでアシがつくようなヘマはしない」

「ホント……普段、何しているのか教えて欲しいわね。取調室行かない?」

「三角木馬とか、水責めの道具がある取調室なんて葉月署だけだよ……」

「素敵でしょ?鞭に竹刀に焼け火鉢もあるし、必要なら足に五寸釘刺して蝋燭ってのも」

「今度、あの部屋、写真にとってマスコミにリークしてやるんだから」

「いの一番で殺して下さいって言ってるのと同じだって気付きなさい」

「怖いなぁ……」

「ありがと―――それで?」

 理沙さんは私に向き直った。

「美奈子ちゃん、犯人がそこに立ったって、どうしてわかったの?」

「死体の配置です」

「ん?」

「……前に、ウチの学校にある騎士科の模擬戦見学したことあるんです」

「それが?」

「あの時は水瀬君が複数の敵に囲まれて袋だたきにされるはずだったんだけど」

「……」

 水瀬君を睨む理沙さんの視線は冷たい。

「キミ……学校でまで恨み買ってるの?」

「ううっ……いろいろあったんだよ」

「瀬戸綾乃ちゃんの手作りのお弁当食べた後よね。男子生徒に訓練を理由に包囲されて」

「やられてごらんよ」

 水瀬君はちょっと身震いした。

「あの肉食獣のような間合いの詰め方……みんな、ああいう方面でちゃんと訓練すれば、もっと……」

「成る程?このエロガキが天下の歌姫、瀬戸綾乃ちゃんの手作りのお弁当を……ねぇ」

「オークションにかけたら何十万で利くかしら?」

 ちょっと、意地悪いけど、言ってやる。

 どうせ私、お弁当作れないもん。

 料理下手だもん。

 綾乃ちゃんのように作れないもん。

 いいもんね。

 ふんだっ!

「数百万は固いわね。それ、転売した方がよかったんじゃない?キミ」

「後が怖すぎるよ!」

 水瀬君は慌てた様子で怒鳴った。

「さ、桜井さんは、何が言いたいの?」

「あの時、四方八方から襲われたのに、みんな返り討ちにされたでしょ?きれいに吹っ飛ばされて」

「う……うん」

「死体がね?」

 私は円を描くように、仰向けになった死体を次々と指さした。

「―――ほら。ぐるっと円を描ける。ね?これって、あの時、水瀬君がやったみたいに吹っ飛ばされたと思えない?」

「……う」

 水瀬君は口元を尖らせて小さく呻いた。

「何?間違っている?」

「ううん?そうじゃなくて……」

 鼻の頭をかるく掻いた水瀬君は、改めて状況を見回し、床に転がっていた腕を再び掴んだ。

「切り口からしても……うーん」

「何?何か手がかりが?」

「手かがりはないけど……」

「何?」

 私は切断された腕をなるべく見ないようにして、真顔に厳しい表情を浮かべる水瀬君の横顔をのぞき込んだ。

「桜井さんが騎士ならわかるかもしれないけどね?」

「うん?」

「これ、切り方がものすごく特徴的なんだよ」

「……特徴……的?」

「警察署で見た死体とはちょっと違う」

「……違う……って」

 私は思わずびっくりして水瀬君に尋ねた。

「じゃ、これと警察署の件は別!?」

「―――何とも言えない」

 水瀬君ははっきり答えた。

「警察署は間違いなく刃で切っているんだ。切断面に残ったインパクトの痕跡からわかる」

「……」

「でも」

 だから!

 水瀬君は私に死体の切断した面を見せようとするの!

 私は見たくないんだって!

 そんなの見たら、しばらくお刺身が食べられないよぉ!

 目を背けようとしたけど、私達の間に割り込むようにして入って来たのは理沙さんだった。

 ふわっ。と香水の匂いがするだけで、理沙さんが大人の女性だと認識させられるし、何より、この異様な匂いの世界から少しだけ救われた気になった。

「この切断面が何なの?」

「―――うん」

 理沙さんの問いかけに水瀬君は答えた。

「これ、真空斬りの痕」

「真空……斬り?」

「うん」

 きょとん。とする理沙さんに水瀬君は頷いた。

「剣っていう物理的な攻撃じゃなくて、高速で剣を移動させることで生じる真空波で物体を切断する……理屈では簡単なんだけど、かなり高レベルで、しかもしっかり研鑚した騎士じゃないと出来ない」

「……?」

 理沙さんが首をかしげた。

「それが何なの?」

「へ?」

「それでどうして署の件とここの件が別だと?」

「別かもしれないって、そう言ったんだよ」

「だから、何で」

「……理沙さんが騎士だったら、二つの切断面みたら、僕と同じ疑問を持つと思うんだけどなぁ……」

「悪かったわね。私のような華麗にして高貴な一般人にもわかるように説明しなさい!」

「……うーん」

 少し考えてから水瀬君は続けた。

「警察署の方は、むしろ下手。というか、剣に使われているのがはっきりするような、下手くそな切り口なんだよ。剣の質量でやっと切断しているような……うんと……非力ってていうか」

「……」

「それが、ここは全く違う。むしろ剣を使いこなしている。剣と使い手の主従関係が逆転してる」

「銃で言えば」

 理沙さんは眉間に皺を寄せて呻きながら言った。

「署の方は数発で仕留めて、こっちは一発で確実に仕留めている―――そんな感じ」

「似たようなものかもね。この真空斬りが出来るなんて、そうそういないから、逆にわかんないんだよね。どうして、警察署では―――」

 何故か、はっとなった水瀬君は、腕を放り捨て、鑑識の間を抜けて一人一人の死体を触れて回った。

「お、おいっ!」

「何だ、君っ!」

 作業を邪魔された鑑識官達が怒鳴るのも構わず、水瀬君は手を真っ赤に染めても死体を触れて回ることを止めない。

「構わないわ!」

 水瀬君を止めようとした鑑識官を制するように理沙さんが怒鳴った。

「そのまま続けさせて!」

「しかしっ!」

「抗議は後で聞く!」

「……」

 水瀬君がしゃがみ込んでのぞき込んでいるのは、頭を吹き飛ばされ、中身を撒き散らした体格の良い男の死体。

 傷口を何度も触りながら、水瀬君は何かを調べている。

「……」

 すっと立ち上がると、ポケットから取りだしたテッシュで手を拭きながら水瀬君は口を開いた。

「……犯人は騎士で、身長は僕と同じ位……性別は靴痕からして女性」

「署の犯人と同一人物だと?」

「切り口の位置からして、そうなる」

「……何がわかったの?」

「魔素の反応が、ここでは弱い」

「弱い?」

「……気付いたんだ」

「気付いた?」

「そう……署ではあんなにはっきりしてた魔素の反応がここではほとんど残っていないし、切り口も精緻になっている。これ、どうしてだろうって考えて」

「……で?」

「呪具が使われているんだろうと仮定した上で」

「―――構わないわ。教えて」

「署にいた時、呪具は持ち主をまだコントロール出来ていなかった。コントロールする自信がなかったから、擬装まで思いついた。でも、ここでそれをやっていないのは、逆に言えば持ち主をコントロール下に置けたという宣言でもある」

「呪具に使われていた。から、呪具と一体化したとでも?」

「近いと思う……」

「……」

「この真空斬りは多分、呪具の力じゃなくて持ち主が本来もっている技量。でなければ、署で使わなかった理由がない。はっきり、相当な腕前」

「……」

「……他には?」

「……ない」

「ない?」

「……うん」

「……」

「……」

「……そう」

 理沙さんははぁっ。とため息をつくと言った。

「わかった。私、もう少し、ここで調べることがあるから、後、学校に戻って頂戴」

「……いいの?」

「いい」

 ちょっとびっくりした顔の水瀬君に、理沙さんは答えた。

「そろそろマスコミも来るわ。いろいろマズいでしょ?」




 その後、近くの公園で手を洗う水瀬君をベンチで眺めていた。

 わからない。

 何かひっかかる。

 何が?

 水瀬君、何か隠している。

 水瀬君は、犯人がわかっている。

 にもかかわらず、どうしても隠そうとしているようにしか思えない。

 でも、どうして?

 手にこびりついた血を洗い落としてハンカチで拭き続けるその背中を眺めながら不思議に思う。

 犯人を、どうして水瀬君が庇う必要があるの?


 ブルルッ

 ブルルッ


 不意に携帯電話のバイブが動いた。

 理沙さんからメールだ。


「……」

 文面を読み終えた私は「了解」とだけ返信した。

「お待たせ」

 水瀬君が近づいてきたのは、送信が終わった時だ。

「落ちた?」

「うん」

「そう。じゃ、ここからならもう安全だから、私、着替えてから学校に行く。水瀬君も」

「―――御免」

 水瀬君は不意に答えた。

「僕、ちょっと行くところが」

「……そう」

「御免ね?」

「明日は来てよね?」

「うん」

 頷くと踵を返そうとした水瀬君の背中に、私は呼びかけた。

「きっと謝りたいと思っているはずだし!」

「誰が?」

「高原さん!」

 ……えっ?

 私は、その時、目の錯覚でも起こしたんだろうか?

 ううん。

 そんなハズはない。

 でも、それならどうして?

 水瀬君は、今、確実に高原さんの名前に反応した。

 ほんの少しだけ、動揺したんだ。

 それが悲しいくらい、私にはわかった。

「……水瀬君?」

「う、うんっ!」

 水瀬君は無理に笑顔をつくって頷いた。

「また、明日っ!」

 たっ。

 そのまま駆けだした水瀬君を、私は止めることが出来なかった。




 私が登校したのはお昼になってからだ。

 警察に協力していることは先生にも知られているから、お咎めは無かったけど、私はすぐに教室に入るなり、葉山君に訊ねた。

「高原のクラス?」

「そう」

 焼きそばパンをかじっていた葉山君は首をかしげた。

「そんなこと知って、どうするんだ?」

「あの子に、直に聞きたいことがあるの」

「……エリカに聞こう」

 葉山君は席を立って、私はその後に続いた。




「高原?」

 クラスの入り口でばったり出会ったのは聖護院エリカ先輩だった。

 驚いたことに、向こうも高原さんを探していた。

「そっちも知らないの?」

「桜井が話があるっていうから、お前ん所に聞きに行くところだったんだ」

「……それがね?」

 エリカ先輩は怒っているといわんばかりに腕組みして言った。

「朝練にも出てこないのよ、アイツ!昨日、あんな騒ぎ起こして反省の色がない!」

「朝練に?」

「そう!朝練の時には一年が床掃除するって決まりで、アイツ、一年のリーダーのクセして一人だけ出てこないのよ!ふざけんなっての!」

「……今まで、そんなことあったのか?」

「ううん?」

 エリカ先輩は首を横に振った。

「アイツ、生真面目な性格だから風邪引いてぶっ倒れる寸前でも朝練に出てきたけどさぁ」

「……登校しているのか?」

「それが、してないのよ」

「電話は」

「通じないっていうか」

 エリカ先輩は呼び出し記録の羅列を見せた。

「出ないのよ。先輩から呼び出されてね」

「アイツ、家族は」

「近くにアパート借りているんだって。詳しく知らないけどさ」

「アパート?」

「ご両親が亡くなって、身寄りが無いんだって」

「……」

「何かあったんじゃないのか?」

「……」

 エリカ先輩もやっとそこで頷いた。

「だから、下手に意固地になって何かしでかしてくれたんじゃないかって、今になって心配になって……それで、昨日の件もあるから、桜井さんだっけ?何か知ってるんじゃないかって」

「……いえ」

 私も首を横に振るしかない。

「……ちょっと」

 葉山君は言った。

「南雲先生に相談してくる」

「南雲先生に?」

「ああ。何かあったら、あの先生が一番頼りになるからな」

「私も行くわ」

「私も」

 私達が向かったのは、職員室だった。



 

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