放課後屋上同好会にようこそ!
繰り返す日々。
見返した日記には、一ページだけ意味のわからない箇所がある。
ページの途中が乱雑に破り捨てられていて「もういいや、あきらめよう」と書かれていた。これは一体何の書き込みなんだろう。
*
身体が鉛のように重たく、学校に行きたくないと感じた。なんで私、こんなに疲れているんだろう……。
「敦子、そろそろ学校に行かないと遅刻するわよ」
そう声をかけて来たのは私のお母さんだった。
「はーい」
私は布団から飛び起きた。
「ねぇ、お母さん、昨日私何してたんだっけ?」
「昨日は近くのショッピングセンターに買い物に行ったんじゃない。忘れちゃったの?」
「あー、そういえばそうだったね」
やけに疲れているのは昨日出かけたからだろうか。私には何故か昨日の記憶が無かった。
「朝ごはん、食べなくていいの?」
私は朝ごはんと学校への登校時間を天秤にかけて両方を取ることにした。
「行ってきます!」
食パンを片手に漫画のような格好になってしまったが、誰ともぶつかることも無く無事に登校出来た。そのことを出会いが無くてつまらないなと感じる自分もどこかにいた。
「では次の文章を……杉山敦子さん、読んでください」
「はい」
そうして、退屈な現代文の授業が終わった。
私は園田市の奥野高校に通う普通の高校二年生。といっても、普通だと思い込んでいたのは途中までのことだったのだけれども。
私が放課後の屋上に行こうと思ったのは単なる気まぐれだった。何か面白いことを探していた。
でも、そこには先に来ている人がいた。
「なにこれ、開かなくない」
屋上へと向かう扉の前でドアノブをガチャガチャと回す彼女の姿があった。金髪の髪が印象的な女の子だ。高校一年の時は同じクラスでは無かったので、名前が思い出せない。高校二年の新学期はまだ始まったばかりだった。
「はぁ……もういいや」
そう彼女が諦めて立ち去ろうとした時、目があった。
「あ、杉山敦子じゃん」
なんで彼女は私の名前を覚えているのだろう。
「あなたは」
「あー、私? 名前?」
彼女は自分を指さした。
「うん」
「中島有梨沙だよ、覚えてないの?」
「ごめんなさい」
「別に謝らなくてもいいけど」
「敦子、でいいいかな。敦子はなんでここに来たの? もしかして私と同じ屋上目当てで?」
「うん。そうだけど」
「さっき見てたと思うけど、屋上なら空いてないよ」
「うん。そうみたいだね」
「アニメとか漫画だと普通開いてるけどさ、現実はこんなもんだよね」
そこにどこか寂しそうな目の色を感じた。
「有梨沙さんは部活、入ってますか?」
「急に何、入ってないけど。後、さん付けいらないから」
「なんで屋上来ようとしたんですか?」
「それは……なんとなくだよ。っていうか、堅苦しい敬語もやめてくれる?」
「はい。わかりました……じゃなくてわかった」
「また後日ここに集まらない?」
「なんで」
「ちょっと話したいことがあって」
「わかった。いいよ」
その日はそれにて解散となった。
「私たちで新しい同好会、作らない?」
そう学校への屋上に向かう階段の途中で私は有梨沙に話を切り出した。
私が通う奥野高校では部活動への加入が推奨されている。部活動は部員を最低5人集めて顧問の教師を探さないと出来ないが、同好会ならば2人からで可能で顧問の教師がいれば成り立つ。
「何の同好会?」
「放課後を過ごしやすくする同好会、活動日は毎週月曜日の週1回のみ。月曜日にした理由は月曜日って一週間の始まりでなんかだるいなぁって思いやすいから、それを吹き飛ばすために活動するの」
「ふーん」
「やっぱりあんまり興味無い?」
「あるけど、何するの?」
「過ごしやすくするだから、自分が居心地が良いって思う場所にいればいい」
「なるほど」
「じゃあ、私は敦子のそばにいようかな」
「えっ」
「だって、やること無いし、暇だし」
有梨沙が笑った。
職員室へと行って都合の良さそうな教師を見つけた。
「わかりました。じゃあ、名前だけ貸してあげるわね」
そうして、優しそうな若い女性の教師を顧問に入れて活動を開始することになった。
同好会初日の活動はビルの展望台に登ろうということになった。高いビルはこのあたりには無いため、少し遠出した。
「なんでビルの展望台に?」
「だって、屋上になんか近い感じがするじゃん」
「まぁたしかにそうだけど」
「でも、これは私が求めているものとはなんか違うなって気がする」
有梨沙と一緒に展望台から豆粒みたいなサイズになっている人たちを見下ろした。
「私たちに無関係な人たちの日常なんて見ても面白くない。私たちに関係がある人たちのことを見下ろして何やってても世界からしてみればこんなちっぽけなんだって思いたいだけ」
「何それ、誰か嫌いな人でもいるの?」
「いないよ」
そう答える有梨沙の目は噓をついていないように見えた。
一度展望台に行った私たちのその後の活動は、ファミレスか図書室がメインとなった。たまに遠出もする。
「あ、そのパフェ、私が先に頼みたいって思ってたのに」
今日はバイト代が入る前でお金が無かったので、ドリンクバーと小さなプリンのみしか頼めなかった。
「じゃあ、半分あげるから」
猫の形のロボットがパフェとプリンをテーブルまで届けに来た。
「はい、あーん」
「美味しい?」
「うん。美味しい」
「期末テスト大丈夫そう?」
「だめかも……」
うなだれる有梨沙。
「教えて、敦子!」
そう有梨沙に頼られるのが私は嫌いでは無かった。
「うん。いいよ」
「あの……今年の本屋大賞で4位だったこの本を探しているのですが」
そうして本のタイトルが書かれたメモを差し出したお客様。
「少々お待ちください」
在庫を確認しようとパソコンで検索をかけようとした。
「その本でしたらこちらにございますよ」
「あ、ありがとうございます……!」
お客様は本を手に取って眺め始めた。
「先輩、ありがとうございます」
お客様に本の案内を代わりにしてくれたのは先輩の小松由佳さんだった。彼女は大の本好きでここの正社員として働いている。ショートボブの髪型が印象的な女性だ。
「私もあの本好きだったからさ、在庫あるかどうか覚えてたんだよね」
「さすがです」
「いや、たまたまだよ」
本屋のバイトというのは本を運ぶので重い物を持つことも多く、彼女にそれを手伝ってもらったこともあり、かなり頼りになるし、感謝もしていた。
「そういえばさ、今度みんなで日帰りの温泉旅行に行くことになったんだけど、良かったら敦子も一緒に来ない?」
「え、いいんですか!?」
「うん。費用は敦子持ちになっちゃうけど、日帰りで車で行くから実質かかるのは昼食代と温泉代くらいかな」
「はい! それなら是非行きたいです!
「わかった。じゃあ伝えておくね」
「よろしくお願いします!」
本屋のバイトといっても、最近はセルフレジも導入されたし、だいぶ楽になった方だと思う。本を書架にしまいながら、温泉旅行が楽しみで鼻歌が出そうだった。
数日後。車に乗って何時間か、サービスエリアで昼食を取り、ようやく着いた場所は箱根温泉だった。
「はぁ……極楽じゃあ……」
日頃の疲れが溜まっていたせいか温泉に浸かるよいう行為はとても居心地良く感じられた。居心地の良さという意味では放課後屋上同好会の活動に合っているかもしれないと思って、今度有梨沙を温泉に誘ってみようかなと思った。
「落ち着いて聞いて欲しいのだけれども、あなたは時間巻き戻し現象に巻き込まれている。理由は知らないけれど」
私がお風呂から上がってから、そう由佳先輩が話を切り出した。
「はぁ……? 何の話ですか、急に」
「敦子は自分の後ろ姿って見たことある?」
「あんまり無いですね」
「そうよね。私もそうだもの。敦子の背中の後ろ、真ん中あたりに小さく数字が書かれているの、見える?」
鏡を2つ使ってようやく見えた。
「3って書いてありますね」
「そう。多分、それがあと何回巻き戻し出来るのかっていう回数。それが0になったらあなたの人生は終わる」
「そんなこと急に言われても……」
なんで私は人生をやり直しているんだろう。
「温泉に誘ったのってもしかしてそれが目的ですか? ガッカリしました」
「いや、単純に敦子と仲良くなりたかったっていのも、もちろんあるわよ」
そう目を逸らし、頬を赤らめて先輩は答えた。何、この人可愛い。
「とにかく、あなたにはこれからも生きていて欲しいから、サポートする」
「は、はぁ……ありがとうございます」
そうは言ったものの、まだ私は半信半疑だった。
「ねぇ、有梨沙、急にあなたは時間が巻き戻せる人ですって言われたとして信じられる?」
「何それ、現実逃避?」
期末テストに向けて私たちは勉強をしているところだった。
「時間が巻き戻せたらテスト範囲とか知ってる状態でテスト受けられるってことじゃん、いいな」
「いや、前にその時間にいた時の記憶は思い出せないとして」
「は? それ意味あるの」
「無いかも……」
自分が何らかの目的を持ってやり直していることがわかったとして、どうやってその記憶を保持して次の時間へと移ればいいのか。それがわからなかった。
「巻き戻しが起こっているとして、どうして由佳先輩はそのことを覚えていらっしゃるんですか?」
漫画本を店舗特典とセットにしたものをシュリンクにかける作業をしながら、由佳先輩に聞いてみた。
「私は時間巻き戻しの影響を受けないから。ここであなたに出会えたことも次の私へと伝えることが出来るわ。巻き戻る前に私の中でだけ、少し時間が止まるの。そこで唯一動いている敦子を見つけた」
「巻き戻しで人が死ぬってわかっているのは、前にもこういうことがあったから」
そう言った先輩の作業をする手はめずらしく止まっていた。
「あなたのことを探すのも結構苦労したのよ」
「この人生、先輩は何回目なんですか」
「わからない。もう数えるのもやめたわ」
「先輩ってもしかしてかなり年上……?」
そう言ったら、女性に年齢を尋ねるのはやめにしなさいと頬をつねられた。
「私もそろそろ前に進みたいと思ったから」
この人生を何回と繰り返している先輩は不死身なのだろうかとふと思った。
期末テストが終わったある日のこと。放課後屋上同好会の顧問の教師に呼び出された。放課後屋上同好会の活動内容にダメ出しされるのかと思いきや、特別に屋上を見せると言われた。
「屋上同好会っていう名前なのに屋上に行ったことが無いのも可哀想でしょう」
そういう理由でようやく私たちは屋上に上がれるようになった。
「おー! これが屋上か!」
豆粒みたいになっている運動部の部員と登下校する生徒たちを私たちは上から眺めた。その日は天気が良く、空の色のコントラストがやけに綺麗だった。
「これが本物の屋上かぁ」
有梨沙も嬉しそうだった。
「ちょっと私行ってくるね」
そう言うと有梨沙は屋上の柵をまたいだ。
「ちょっと、待って危ないって」
「じゃあね」
有梨沙はそうして、笑顔であっさりと屋上から飛び降りてしまった。
有梨沙の遺書は残されていなく、具体的にどうして死んだのか理由は不明のままだった。
なんで。どうして。とにかく涙が止まらなかった。有梨沙と出会ってからの屋上同好会の日々は短いものだったのだけれども、楽しかった。
そういえば、由佳先輩だけは記憶を保持したまま次に進めるのだと思い出して、相談してみた。とはいえども、自分が記憶を失ったままというのは不自由だ。
「どうしたらいいんでしょう」
「そうね……やり直したいと強く願った状態でメモ帳を持って横になるとか?」
「そんなんで上手くいきますかね」
「とりあえずやってみようか」
私はひとまずそれを実行に移すことにした。
起きた時に身体がだるかった。メモ帳を握りしめたまま昨日は寝ていたらしい。
「中島有梨沙を救って欲しい。彼女を放課後屋上同好会に誘わないで。」
そう書かれたメモ帳を持って私は眠っていた。私らしい筆跡。でも、それを自分が書いた記憶が無かった。放課後屋上同好会とは何なのかと思っていたら、説明がきちんと書かれていた。そして、後に中島有梨沙が死ぬことになるとも。中島有梨沙って誰だよと思いながらも、私はスマホでネットを検索した。
芸名:上島亜佳梨(本名:中島有梨沙)と出て来た。どうやら芸能人らしい。
高校二年生になった私は学校の教室で自己紹介を聞きながら、中島有梨沙はどの子だろうかと探していた。
「中島有梨沙です。高校デビューしたくて髪を染めてきました。よろしくお願いします」
そもそも彼女と私の接点はその同好会しか無いようだった。これから彼女と関わらずに知らん顔しようかとも思ったのだけれども、芸能人というだけあって容姿が優れていた。この女の子を見殺しにするのはちょっと心が痛いなと思った。だから、やっぱり私はこの子を救うことに決めた。
学校から家へと帰り、ノートを取り出して、彼女が死にたくなるような原因を推測で書き連ねた。病死の前に自殺(余命あと何か月だったとか?)、自己嫌悪、他者嫌悪、毒親がいる、お金が無い(借金?)、運動能力や学習能力による劣等感、恋愛……。うーん……結構意外と人が死にたくなる要素って多いなと感じた。このままだと原因がどれなのか絞り切れないから、少しずつそれとなく、聞いてみることにした。
有梨沙は金髪というだけあって、周りの人たちから怖いと思われているのか避けられていた。
「私、杉山敦子。体育の体力測定、一緒に組まない?」
「いいよ。私で良ければだけど……」
「うん。あなたとじゃないとだめなの」
「何それ、意味わかんないんだけど」
有梨沙が苦笑した。その後に一緒に測定した。彼女は運動神経が悪いというわけでも無く、良いというわけでも無く、至って普通だった。保健委員になって、こっそり見た彼女の身長と体重も把握済みだ。その数値も普通だった。運動能力や体型には不満は無さそうに見える。
「はぁ……疲れた……」
体力測定の腹筋が終わり、一段落しているところだった。
彼女の手首にリストカットの傷が無いことも確認済みだ。なんだか探偵みたいだなと自分のことを俯瞰的に見て思った。
「っていうか、敦子細くない? 体重何キロ?」
私は隠す必要も無いなと思ったので正直に体重を答えた。
「えー!」
体育館に彼女の声が響き渡った。
「そこ、うるさいですよ。静かにしてください」
体育の教師に注意された。
「有梨沙は何か身体の調子が悪かったり、病気だったりってする?」
直前に体力測定があったこともあり、多分、この質問は流れからして自然なはずだ。
「特に無いけど……敦子は?」
「無いよ」
病死で余命何年かしか無いので自殺したという線も消えた。
「ねぇ、見てみて、テスト、高得点でしょ」
そう有梨沙が自慢げに見せたのは現代文の91点の答案用紙だった。
「むぅ……負けた……」
私は72点の答案用紙を見せた。
「ねぇねぇ、他の教科は?」
日本史や世界史のテストの点が50点程度で悪いだけで、他は目立って悪いように見える教科は無かった。
放課後、ファミレスに行った時に機嫌の良かった有梨沙はデザートを奢ってくれた。お金に困っているということも無さそうだなと思った。
「ねぇ、中島さんって誰か嫌いな人がいるとか聞いたことある?」
そう同じクラスの友達に探りを入れてみた。
「無いよ……っていうか、敦子にべったりすぎて他の人と関わってるのあんまり見たこと無いんだけど」
私以外の人とも本当は仲良くなりたかったとかそういうのもあるのかなとノートにメモをした。
修学旅行に行った時に、夜に聞いてみた。
「ねぇ、有梨沙、有梨沙って好きな人とかいるの?」
修学旅行の夜といえば恋バナだ。
「えぇー、敦子かな」
「そういうのじゃなくてさ」
「いないよ」
「いなくて寂しいなぁとかは」
「それも無いよ。私には敦子がいればそれでいいよ」
恋愛で悩んでいるかもしれないという線も消えた。
「元天才子役、上島亜佳梨の落ちぶれた現在とは……」
スマホを操作している時に、そのようなニュースが通知で目に飛び込んできた。
ニュース記事を開いてみると、それは全盛期の仕事と現在の仕事の数の比較について書かれており、「似合わない金髪」などと勝手に書かれていた。似合っているのに失礼なと思ってスマホの画面を閉じた。
私は休み時間に気になって有梨沙に芸能活動について聞いてみた。
「ねぇ、有梨沙、芸能界ってどんな感じなの……?」
「え、そんなことどうでも良くない?」
有梨沙は露骨にその話題を避けようとした。
「どうでもよくないよ」
有梨沙は目を逸らした。
「芸能界の仕事、好き?」
「その話やめてくれる、嫌なんだけど」
「ごめん、ごめん」
私は話題を変えることにした。有梨沙が自殺した原因というのは、芸能界にある可能性が高そうだなと思った。
本屋さんのバイトでまた無事に由佳先輩に会えた。
「由佳先輩、お久しぶりです……っていうのも、変か、初めまして」
「初めまして、あぁ、あなたが敦子さんね。今日からバイトとしてよろしくね」
「はい!」
私は今までの経緯を由佳先輩に話した。
「……っていうことで、絶対にとは言い切れないですけど、有梨沙は芸能界に何か想いがあって自殺した可能性が高いですね」
「……なるほど」
「ただ、有梨沙、その話になると全然話してくれないので詳しいことを知るのは難しいですねぇ」
「親御さんと話す機会は無いのかしら?」
「あー、なるほど」
「それか、芸能人の知り合いがいれば早いのだけれど」
「さすがにそれはいないですね……。まぁ一応他の線も探ってみます」
「なんかその言い方、刑事さんみたいね」
由佳先輩が笑った。
有梨沙の親御さんと話す機会は予想以上に早く訪れた。有梨沙が体調不良で家にプリントを届けることになったからだ。
インターホンを押して待った。
「はい。どちら様ですか?」
「あの、有梨沙さんの友達の杉山敦子といいます。プリントを届けに来ました」
「あぁ、ありがとう。ちょっと待っててね」
玄関で話すだけのつもりが家に上がることになってしまった。
「有梨沙、学校で上手くやれてる?」
「えぇ、心配ないですよ」
「なら、良かった」
有梨沙のお母さんは安堵のため息をついた。
「あの、こんなこと聞くのもどうかと思うんですけど……有梨沙さんはどうして今芸能人として人気が無いんでしょうか?」
「あぁ、あれは何年前のことだったかしら。とある発言で炎上して……あの手のものってずっと残るでしょう。それから、人気が落ちて事務所の意向に反して髪も染めて……そうして、今の有梨沙が出来上がったの」
「私は今の有梨沙さんもいいと思いますけどね」
「そうかしら」
「はい」
「せっかく芸能界に入ったのだから、また人気を取り戻してくれるといいのだけれど……」
毒親とまではいかないが、有梨沙がこのことを気にしていそうな感じがした。
芸能界の話はせず、芸能界のことを忘れるぐらい楽しい時を有梨沙と一緒に過ごせばいいのだと考えていたのだけれども、その考え方は甘かったと後に気づくことになった。
下校中、有梨沙がふいに振り返って言った。
「じゃあね、敦子」
有梨沙が駅のホームから飛び降りた。当たり前のことだけれども、人が電車にあたって轢かれる大きな音がした。
「ああああああああぁ!」
私は声が枯れるほどの声で叫んだ。また同じことが起こってしまった。
有梨沙を救うためにつけ始めた日記だったが、もうどうしたら有梨沙を救えるのかわからなかった。日記に「もういいや、あきらめよう」と書き込んだ。私は破り捨てた日記を握り締めて、その夜眠った。もう何も考えたくなかったからだ。
*
身体が鉛のように重たく、疲れていた。
日記を握り締めながら、昨日は眠っていたらしい。そこには「もういいや、あきらめよう」と書かれていた。その書き込みをしたこととページを破り捨てた記憶が私には無かった。
「中島有梨沙さんに出会って放課後屋上同好会を結成することになりました。今後の活動が楽しみです。」
新しい日記に書いた。
「本屋さんのアルバイトで中島由佳先輩という優しい先輩が出来ました。」
「二回目の巻き戻しでは何か収穫あった?」
由佳先輩が聞いた。
「巻き戻しって何の話ですか?」
「何それ、新しいボケ?」
言っていることの意味がわからなかった。
「あなたの友達の中島有梨沙さんがもうすぐ死ぬかもしれないって話、もしかして聞いてない?」
「病気ですか?」
「いや、そういうわけじゃなくてね」
由佳先輩が順を追って話し始めた。理解するのに時間はかかったけれども、なんとか飲み込めた。
「中島有梨沙さんを救わないとどの道もうあなたは死ぬの。で、放課後屋上同好会の活動日に学校の屋上で中島有梨沙さんは死ぬらしいってことだけはわかってる」
「だからもうこうなったら物理的に救おう」
屋上の下に後ほどマットを敷いてもらうことにして、顧問教師には立ち去ったふりをしてもらうことにした。
本当に有梨沙は死のうとするのか、それだけが疑問だった。
屋上の空の色が青から橙色に染まっているのが綺麗だった。
屋上の柵を飛び越えて有梨沙は笑った。
「じゃあね」
屋上から落ちそうになっていた有梨沙の手を掴んで引っ張り上げようとした。
「余計なことしないでよ、私はこれから死ぬの」
「先生~、誰か来てください!」
私が大声で叫ぶとすぐに顧問の教師が戻って来た。なんとか二人で有梨沙を引っ張り上げることが出来た。
「なんでこんなこと……したの?」
「敦子って余計なしがらみとか無くて良さそうだなって思って、それってずるいなって、私が目の前で死んで敦子にとって一生忘れられない人になって苦しめばいいって思った」
「ひっど」
「お母さんが芸能界でうまくやって欲しいって思ってるの知ってていろいろ試したんだけど、どうにもならなくて……」
「そうなんだ……」
「うん。お母さん、私が芸能界でうまくできなくても私に存在価値があるって思ってくれるかな……」
「有梨沙のお母さんが存在価値が無いって言っても、私が有梨沙に存在価値があるって言ってあげる。だって、有梨沙と過ごした時間は楽しかったから」
私は有梨沙に微笑みかけた。
「死にたいって思ったら、放課後屋上同好会で活動しよう。何の慰めにもならないかもしれないけど、一緒にいることは出来るからさ」
「敦子……」
それから有梨沙はしばらく子どもみたいに泣きじゃくっていた。恐らく、何年も泣くのを我慢していた。そういう泣き方だった。
有梨沙の自殺未遂により、屋上は再び閉鎖された。放課後屋上同好会は名前を変えずにひっそりと自殺志願者を救う同好会になった。救うといっても、何か大層なことをするわけでは無く、一緒にテスト勉強したり、悩み事を聞いたりするだけの同好会である。
「あの、同好会に入りたいんですけど、よろしいでしょうか……?」
3学期に入った頃、新しく入りたい子が現れた。
「こんな同好会に入りたいなんてもの好きだね」
「私、中学生の頃にいじめられている子を見ていたんですけど、どうにも出来なくてどうしたらいいか悩んでいた時に、その子が急に自殺したんです。この同好会がそういう人を救ってるって噂を知って、私も入りたいなって思いました」
「なるほど……ですが、この同好会は放課後屋上同好会なので屋上への愛を語ってもらわないことにはねぇ……敦子」
私は有梨沙にチョップした。
「何テキトーなこと言ってるの、有梨沙。そんなの必要無くても同好会には入れるでしょう」
「はいはい、そうだね」
「じゃあ、この書類書いてもらってもいいかな?」
新しいメンバーの申請書類を彼女へと渡した。
「放課後屋上同好会にようこそ!」
放課後屋上同好会は意外にも、その学校で伝統的な同好会となったのだった。
放課後屋上同好会に入りたい。