1-24 越すに越されぬアタカとは〜あるいは時計師が竜を討ち滅ぼすまで〜
執筆時BGM『舞踊歌舞伎舞踊 https://www.nicovideo.jp/watch/sm34801249 』
さらさらと回る砥石に水を振る。そしてその砥石に滑龍の骨の小片をそっとあてる。シュルシュルと小気味の良い音に合わせて、それは徐々に細く削れる。均等に、歯車の軸として使えるように、細心の注意を払って緩徐に回しながら、指先の感覚を極限までに張り詰めて仕上げる。滑龍の骨は貴重で、現状採取の依頼は出したものの納品はいつされるかわからないのが実情だ。残りの素材はすでになく、最後の一つを今使って製品をつくっている。細心に繊細に。そして
ぺ
き り
ょ
折れた。ペダルから足を離して砥石の動力を止めて自由に任せ、現実逃避にげんなりと窓の外へと視線を誘えば、空を舞う大きな竜、忌々しきは『アタカ』の姿。その雄大さに、一種の恨めしさを通り過ぎた憧憬にも似たなにかさえ感じる。だめになった製品の出来損ないをぶん投げて、目をつぶって。誰も僕を愛さない。
時計、それはあまりも大きい需要がある装置だ。日の入る事なき常闇のダンジョンであるとか、或いは右折のやまぬ常雨の南方山林とか、そういったところであっても正確な時を知ることができれば、正確なマッピングができる。時計と同様の仕組みの歩数計というものも同様の需要があってに売れるものだ。そしてそれにはさまざまな特殊な素材が必要なのだ。例えば、テンプや歯車の軸は摩耗に強い自己潤滑性もある滑龍の骨を用いたり、時計の外装のケースは錆の出なくて頑丈なミスル鋼が適している、とか。あるいはこだわって骸亀の甲を釉薬に焼いた針であるとか、海竜の骨を挽いた文字盤であるとかいうような高級な「見世物」としての需要もある。こういった見世物の時計は、そういう材料を手に入れられる一流の探索者たるのあかしとして名高い時計師が依頼されることもある。いつかそういったものを依頼されるようになるというのは、時計師の夢であり希望なのだ。師匠の作ったそういった高級時計は、まるでこの世の最高のアーティファクトであるようにさえ思ったものだった。いつかは、きっと。
僕はここで時計師として仕事を得ている。師匠の下で15年にわたって修行し、独立開業して今3年目の節目を迎えようとしている。決して数多く作れる仕事ではない。決して数多く売れるものでもない。この三年間の売り上げは32個の時計と59個の歩数計、おまけの各種測量用品もつくっている。大体そんなところで、あとはこれらや先代の製品の定期修繕や突発修繕などで食いつないでいる。時計師なんて大体儲かるものではない。しかも材料費も高くつくので、これで足が出るのもしばしばだとさえいえる。そういう時はさすがに他の仕事、例えば口述筆記の請負をやったり手紙の代筆をやったり、まあまあどうにかして食えるだけはどうにかしている。今月もまたそうなりそうか。とりあえず店じまいをして、仕事の斡旋所に行くよりほかない。掃除用具を手に取る。作業場は常に清潔に整頓されていなければならない。これは師匠からの大切な教導だ。
最近このミチノク地方に、どこから来たかは知らないが、巨大な竜がやってきて住まうようになった。この竜は識別に『アタカ』と名付けられた。それ以来家畜が襲われたり交易の車馬が襲われたり、あるいはそれを恐れてか滑龍はどこかに引きこもって出てくることもなくなり、従ってありとあらゆる苦難があふれるようになった。とは言ったって生きてゆかねばならないとなれば人間は案外しぶといもので、この状況下でさえ生活をし、娯楽をしている。以前ほどの活気はなく、あるいは物の値は跳ね上がっても、生きることとはこういうことだ。時には街に竜の災いが降ろうとも、そのがれきの近くでは生活が営まれている。
斡旋所の隣の酒場では紙切れで作った牌で賭け麻雀に興じる者あり、あるいはざる碁のあり。まあそんなものだ。斡旋所に入る。受け付けはようやくなじみになったリリアちゃんだ。まあ、よく通うようになった、というのはあまりいい情勢ではないということだ。
「いらっしゃい。あら、クワンジュじゃないの。お久しぶり」
「ええ、お久しぶりです。今月もなのですが」
「あら~まあまあ、そうよね、このご時世、素材には苦労するものね」
「はい」
そんな世間話や何やらそうしつつ、パラパラと台帳をめくる音がする。時に流れは一定であるはずだが、ゆるりと流れて感じる間がここにある。時計師が言うのもなんであろうけれど、時というものの不思議さは常々感じるところだ。
「いまだと、そうね…娼婦のお仕事くらいしか空きのある枠はないわね」
いったん自分の貧相な体を見下ろす。肉付きが全く薄く子供めいて、それに伴って女とも見られたことがさほどなく、また時計作り以上の労働をあまりしないできた、幼児めいて健康的とはいいがたい何とも言いにくいこの肉体を。そして両手を広げて冗談めいた表情を返す。
「冗談よ。でも仕事の枠がないのは本当。みんな同じことを考えるからね」
そういって、ぽんと台帳を閉じるリリア。どうにもなりそうもないか。このままでは野垂れ死にだ。そう、一種の諦念にも似た深呼吸を一つしているところ、急に外が騒がしくなってきた。そして、後ろの戸からやかましい男が飛び込んできた。
「証書を書ける者を借りたい!手配を!」
振り返ってその男を見れば、国家元帥クロウホウガンの子飼いの著名な探索チーム『辨慶』のリーダー格で知られるムサシという人物そっくり、というかそのものであった。そして、証書書き、というのもまた面倒な話を持ってきたと思った。要するに国家に登録された印を持って、様々な証文などにそれを押すことで効力を持たせられる者のことだ。なぜ面倒ごとかというと、この手の探索者が証書書きを求めるのは、討伐証明を書かせる必要がある大物退治であるとかに連れ立つためだ。そうなれば『アタカ』の退治であろうから、これについていったら命はないだろう。
「そこにちょうど手空きの証書が書ける者がいるわ」
と、リリアが僕を指さす。そう、時計の品質保障であるとかその素材の保証とかで、時計師は証書がかけなければならないので証書の資格を持たされる。もちろんこの一介の田舎時計師の僕であってさえ。思わず素っ頓狂な声で反抗する。
「僕!?そんないくら手空きであったってこう、あの!??」
「どうせこのままじゃおまんまの食い上げで死んじゃうでしょ」
「うぐぐ……」
それも、そうなのだ。『アタカ』がどうにかならない限り本当にどうにもならない。
ムサシは僕を一瞥して、そして少し逡巡したように見えた。まあ、僕は貧相だから、連れ立つには不向きとして断るかもしれない、そう思う間もなく、手を差し出してくる。
「よろしくお願いできるか?」
こうなったらもう逃げようもない。その手をとる。
「僕でよろしければ」
いっそやけくそめいてその手をとる。こうなれば、毒を食らわば皿まで、やって見せましょうとも、できるこちならできるとこまで。





