1-22 生贄令息が死んでしまいそうなので、私が死ぬことにしました
これって本当に夢なのかな————?
薄暗い空間の床には、血で描いたような魔法陣。
それだけでも恐ろしいのに、その中にはぐったりとした人が横たわっているのだ。
何、これ。夢? 私まだ起きてるよね?
目を開けると、よく知った部屋の天井が見えた。
うん、起きているし、私の部屋だ。
そしてまた目を閉じれば、さっきの悪夢のような光景が広がる。
「……ううっ……」
苦しげな声をあげて上半身を起こしたのは長身の青年だった。
銀色の髪が揺れ、外国の俳優のような整った顔が現れた。
「お兄さん、大丈夫?」
「——っ! だめだ。こっちに来てはいけない!」
「あ、うん。怖いから行かないけど、大丈夫ですか? お水とか持ってこようかって、夢の中じゃ持って来れないか。ごめんなさい、あまりお役に立てそうもなくて」
困って謝ると、青年は目を見開いてから悲しそうに眉を下げた。
「……そうか、僕が選んでしまったのはこういう人か……」
「選んだ?」
「いや、なんでもない。謝るのはこちらの方だよ。君の夢に出てきて申し訳ない。数日間だけ見苦しい姿を我慢してほしい。すぐにいなくなるから」
「見苦しくはないけど、わかりました。数日間よろしくお願いします」
「……君、変わっているな」
青年はふっと笑った。
……う、心臓が変に跳ねたんだけど……。
夢の中でも美形が笑うと破壊力があるんだな。などと思っているうちに、いつの間にか私は眠ってしまったのだった。
§
なんか、目の調子がおかしいな……。
視界がかすむような、よく見えないことがある。
「リラちゃん、ぼーっとしてどうしたの?」
心配そうに顔を覗き込んできたのはシズカちゃん。高校の部活で出会ったおっとり優しい友人。
対して面白そうにしているのは幼馴染のサキア。遠慮がないけど、いいヤツだ。
「珍し〜、リラが部活でおとなしいとか。なんか悪いもんでも食べた?」
「失礼な。そうそう、昨日変な夢を見たんだよね。すっごいイケメンが出てきて」
「あまり眠れなかったの?」
「うーん、そんなこともなかったと思うけど」
「すごいイケメンが出てくるなら変じゃなくていい夢じゃん。ほら早く作ろう、副部長。お腹すいた」
私たちは映えアウトドア料理を追求する、料理部ソトメシ班。
部室である調理室の外の校庭にチェアとテーブルを広げ、放課後キャンプ中。
今日のおやつは焼きバナナである。
バナナを皮付きのままスキレットにのせてじっくり焼いていく。
——あれ? やっぱりなんか変……?
スキレットを握る手が、一瞬見えなくなったような気がした。
疲れてるのかな。
「橘氏、ちょっといいでござるか?」
調理室の中からひょいと顔を出したのは麻倉部長。
眼鏡イケメンなのに言動のコミカルさが台無しにしている、我が部の部長。
料理部最大派閥である再現メシ班を率いて、アニメや漫画に出てきた料理の再現に燃えている。この間はドラゴンステーキを作ると息巻いていたっけ。
部長はスキレットの中の真っ黒な物体を見て何か言いたげな顔をしていたけど、賢明にもそこには触れなかった。
「どしたの?」
私が掃き出し窓の方へ行くと、部長は声をひそめた。
「……体、大丈夫でござるか?」
「え?」
「体調とか」
「あ、顔色悪い? 寝不足なのかも。心配してくれてありがとう。大丈夫だよ」
「そうか……。それならいいけど。ああ、木曜日に部会があるので同行頼むでござる」
「了解」
心配気な部長に手を振ってテーブルに戻ると、真っ黒で食べごろになったバナナが待っていた。
皮をむくと鮮やかな黄色のとろりとした身が覗いている。
「おいしそう〜!」
「焼いただけなのにな!」
「シナモンとかかけちゃう?」
「ヤバ、しずっち天才じゃね?」
夕暮れの空の下で食べる焼きバナナは、めちゃくちゃおいしかった。
§
目を閉じるとまた彼がいた。綺麗な銀髪の青年。
本当に数日間いるんだ。変な夢だな。
「体調どうですか?」
「昨日よりは少しつらくないよ」
魔法陣の真ん中で片膝立てて座っている青年が答えた。
昨日は突然のことで気づかなかったけど、なんだ、美形は声まで美形なのか。
どこからどう見ても外国の人なのに、言葉が通じるのも不思議。
「よかったですね。何か飲み物とか食べ物とか渡せたらよかったんですけど」
「大丈夫。食べてみたいけどね。あの黒い物体……いやなんでもない。あまり時間がないから先に言っておくけど、僕に何かあってもこの円の中に入ったらだめだよ。僕の世界に召喚されてしまうからね」
「召喚……? え、お兄さんの国に連れ去られるってことですか?」
「そういうことになるね」
「どうして……」
夢にどうしてなんて意味ないけど、言わずにはいられなかった。
「それは、君が聖女だからだ」
「聖女……?」
優しい女の人のことを聖女とか呼ぶけど、そういう意味ではないよね?
あ、部長が聖女の聖なる料理とか騒いでいる聖女? いや、結局なんなのかわからないし!
「聖女って、なんですか?」
「君たちの世界にはいないのか。聖女や聖者は聖なる存在だ。癒しの聖女は怪我を癒し、護りの聖女は悪しきものが入れぬ結界を張り、破邪の聖女は穢れを祓う」
「ええっ⁉︎ 私そんなことできないですよ!」
「君と会ってから体が少し楽になったから、君は多分、癒しの聖女だ」
「癒しの聖女……」
「逆に君の世界では怪我をした時にどうするのか不思議だよ」
「それはいろいろ薬とか手術とか」
「なるほど、薬師が優れているのか。興味深いね」
楽しそうな青い瞳が瞬いた。
この国を見せてあげられたらいいのに。
できない分、いっぱい説明した。
青年の国のことも聞いた。
魔法がある世界。一体どんな世界なんだろう。
§
朝起きると、腕が見えなくなっていた。
感覚はあるし物を掴むことはできる。でも、見えない。
どういうこと……怖い……。
心当たりは青年が言った召喚という言葉しかない。胸が変な音をたてる。
見えない腕を隠すのに、まだ暑いけどカーディガンを羽織って学校に向かった。
「橘氏!」
振り向くと焦っているような麻倉部長がいた。
「何が起こっているでござるか⁉︎」
「何って……」
「自分、色覚異常でよく見えない色があるでござる」
なんの話が始まるのだろうと、部長の顔を見上げた。
「白とピンクの縞みたいなものはチラチラと変な感じに見えて——今の橘氏は、そう見えているでござる」
変な話だねと笑おうとしたのに、上手く笑えなかった。
他の人にもおかしく見えているんだ……。
不安で怖くて、変な夢を見ることや腕が透けてきたことなどを、吐き出していた。
「——それは異世界召喚の可能性があるでござるな」
「私、聖女だって……」
「よくある話でござる」
「えっ⁉︎ よくあるの⁉︎」
「たいがい召喚といえば勇者か聖女でござる」
「そうなんだ……。よくあることなんて知らなかったよ」
「異世界に不慣れな橘氏に教えておくと、召喚には良い召喚と悪い召喚があるでござる。例えば、聖女が死にそうな瞬間に召喚して助けるのが良い召喚でござるな。対して、自分たちの利益のためにするのが悪い召喚で、資源として使いつくされるでござる」
「うわぁ……」
頭を抱えると、部長は眼鏡をクイッとあげた。
「その夢の中の男は生贄のようだし、悪い召喚の可能性が高いでござる。立場が上そうな人が立派な服を着て高圧的な態度なら————逃げるでござる」
召喚なんていまだに信じられない。
でも召喚されてしまってから慌てるよりは、可能性があるのなら考えておく方がいい。
私はもう学校に行ける気分じゃなくて、そのまま家に帰った。
部長のアドバイス通り、邪魔にならない大きさのバッグにナイフやバーナーを突っ込んで枕元へ置く。
そして早々にベッドへ潜り込んだ。
あの青年に聞きたいことがある。
意気込んで目をつぶったものの、青年はぐったりと倒れていた。
目は開けたものの、かなりつらそうで荒い息を吐いている。
「ねぇ、お兄さん! 大丈夫⁉︎」
「大丈夫、ではないな……。もうすぐ、この姿も見えなくなるだろうから……安心して……」
「まさか見えなくなるって、お兄さん死んじゃうってこと⁉︎」
そうだ、生贄って部長も言っていた。
「君さえこの中に入らなければ……大丈夫だから……」
私は自分の体を見下ろした。
もう半分くらい見えなくなっている。
とても大丈夫とは思えなかった。
たとえ魔法陣に入らなくても、この人が亡くなったら召喚されてしまうのでは……?
ああ、でもそんなこと言えないよ。
私のために自分だけ死のうとしている人に、無駄になりそうだなんて。
「私が癒しの聖女だとしたら、お兄さんを助けられる?」
「絶対にだめだ……君がこの先、幸せに生きてくれることが、僕の望みだよ」
つらそうなのに青年は頭を持ち上げてわたしと目を合わせた。
そんな姿まで本当にかっこいいなぁ。
多分、もうどちらにしても私がこの世界に残れることはないのだと思う。
あとは彼が亡くなって召喚されるか。
魔法陣の中に入り、癒しの力とやらで彼を生かして召喚されるか。
————どうせ異世界とやらに行くのなら、あなたがいる世界がいい。
覚悟は決まった。
友人たちには部長がきっと伝えてくれる。
パパ、ママ、みんな元気で。
「だめだ……! それ以上進んでは……!」
静止する声を無視して、私はその赤黒い魔法陣の中へ足を踏み出した。





