1-21 死にゆくものより、最期の復讐《テイコウ》を。
拝啓、これを読んでいるクソ野郎どもへ
この日記は、お前らがイジメていた人間が
いかに、幸せに死んでいったかを記した
死にゆくものからの、ささやかで、全力な。最期の復讐だ――
夏。じっとりと張り付くような湿っぽい空気が、ただでさえ暑い空気をより鬱陶しく感じさせる。
今にも泣き出してしまいそうな雲は。低く、黒く。そして、重々しく。いつ空が落ちてきても不思議ではないほどだった。
セーラー服に染み込む汗は。暑さからくるものか、あるいは。
マンションの屋上。五階に相当するそこで。ゆっくりと端に向けて歩いていく。
落下防止用の柵に手をかけ、グッと力を込める。
そしてそのまま、姿勢を前傾にして――、
「やめとけやめとけ。こんな中途半端な高さから落ちても、痛いだけて死ねない可能性も高いぞ」
後ろから、聞き覚えのない男の声がして。
その言葉が、自分の思っていたことを言い当てたがために、ビクリと驚いてしまう。
トッ、と。コンクリートの地面に足を降ろし、くるりと振り返ってみると。そこには、ひとりの男がいた。
茶髪で妙にラフな格好をした彼からは、軽薄であるとか、そういう印象を受ける。
正直、あまりいい気分ではない。
「……なに?」
「いんや? ただ、面白そうなことをやってる奴がいるなあって」
ケラケラと笑ってみせる男に。段々と苛立ちを覚えていく。
いったい人のなにを知りながらそんなことを言ってくるのだろうか。文句のひとつでも言ってやりたくなってくる。
「別に自殺を引き止めようとか、そういう意図はねえよ」
「ふーん、じゃあなに。ナンパ?」
「ははっ、そいつぁいいな。お前さん、顔はいいし」
どうにも相手にされていないような感覚がする。それに、更にイライラを募らせてしまう。
こんなやつに同情とか、そんなことをされたくはない。
「じゃあなに、どうせ死ぬんだったらその前に一発ヤらせろとかそういうアレ? それなら他をあたって頂戴」
「別にお前みたいなケツの青そうなの興味ねえよ。そもそも俺は童貞じゃねーし。心に誓ったやつがいたし」
別にお前の情事は知らない。なんて、実質的に自分から振った話題のくせにそんなことを考えてしまう。
ああ、むしゃくしゃする。どうにも相手にペースを握られていて、やりにくい。
「言っとくけど、かわいそうとかそういう言葉なら全く心に響かないから」
「うん、知ってる。別にそういう言葉がかけられたいわけじゃないよな」
スン、と。急に目の前の彼から軽薄さが消える。
見た目の云々は相変わらずなのだけれども、纏っているオーラが変わったというか。
暑くて湿っぽくて仕方がなかったはずの空気が、突然に凍りついたかのように。
「あんたに、なにがわかるってのよ」
それは、ただの苛立ちの押しつけだった。
別にこの男に共感してほしいとか、そういうわけではなく。ただただぶつけ先が欲しかっただけの、乱暴な言葉。
しかし、それに対して返ってきた言葉は。思いもよらないものだった。
「わかるさ。だって俺も、自殺志願者だから」
その言葉は、氷のように冷たく。針のように尖っていた。
男のこちらを見つめる視線は、恐ろしいまでに生気がなく。その言葉を、ふざけていったわけではないということが明確と受け取れる。
「……それじゃあ尚更、私に声なんかかけてきたのよ」
「まあ、たまたまかな。俺とおんなじ顔をしてる奴を見かけたから、興味を持ってさ」
先程までの飄々とした様子に戻りながら、男はそう言い。そしてポケットからなにか取り出し、指でクルクルと回し始める。
見れば、彼の見た目に似つかわしくないファンシーなキーホルダーがつけられた、車の鍵だった。
「そこで、提案だ。……まあ、ある意味ではお前がさっき言っていたような、軟派な話なんだが」
そうして彼は、鍵の切っ先をこちらに差し向けながらに、言ってくる。ドヤ顔が、少しウザい。
「一緒に、地獄行きのドライブデートとでも洒落込まねえか?」
「……はあ?」
突然なにを言っているのだ、と。正気を疑う。
今の会話の流れで、そんなふざけたことを――。そう抗議をしようとしたが、その言葉を言うより先に、彼が口を開く。
「俺は遠くないうちに死ぬつもりだ。だが、そのまま死んだところで面白くねえ。なにより、俺が稼いだ金が遺産としてクソ野郎どもに相続されるってのが気に食わない」
男のその言葉に、心臓を締め付けられるような、そんな感覚がして。
聞こえるはずのない両親の、クラスメイトたちの。刃物のような言葉が聞こえた気がして。
「だから、死ぬ前に使い切っちまおうってな。そうして今、地獄への超高級な片道切符で旅行中」
全てを切り捨てて、あっけらかんと言ってしまう彼の姿が。どこか、羨ましく感じた。
「……被害者なのに、地獄行きなんだ」
「まあ、自分自身を殺すわけだから、少なくとも天国にゃあいけねえだろうなあとは」
なるほど、たしかにそれは道理だ。
「だが、ちいと困ったことがあってな。俺が天才だったばっかりに、金が存外に多くて使い切るのに時間が掛かりそうなんだ」
「うわぁ、嫌味ったらしい」
「そこで、さっきの提案だ」
地獄行きの、ドライブデートに同伴しないか――、と。
「見方によっては、ただの逃避だ。それになんの間違いもねえ。ただ、意味もなく逃げる迷走ではなく、理由を持って逃げる、逃走だ」
「それ、どう違うの?」
「全然違うだろうがよ。なんだ? もしかして国語の成績悪かったか?」
いちいち癇に触る言い方をしてくる。別に、そこまで悪くはなかった。……然程良くも無かったけど。
ケラケラとしばらく笑っていた男だが、次第にそれを落ち着かせて。ジッとこちらを見ながらに口を開く。
「それに、お前さんにとっても悪い話じゃあねえぞ?」
「……どういうこと?」
「さっきの自殺。迷いがあったろ」
ピタリと言い当てられて、身体が強張る。
この男に見透かされるのは癪だが。しかし、どうにもそれは避けようのないことらしい。
なにせ、こいつは私とおんなじだから。
「その理由は単純だ。悔しいんだよ」
「悔しい? そんなわけ――」
そんな感情、遠の昔に。……諦めたときに、棄てたつもりだった。はずなのに。
「お前だって、苦しんだままに死んで。周りの奴らがファッション気取りに悲しんで、それでのうのうと生きていくのはムカつかねえか?」
男のその言葉に、私はなにも言い返せなかった。
全てが容易く想像できてしまって。そして、久しく感じたその苛立ちが、悔しいというソレだということを知覚するのは然程難しくなかった。
「だから、死に際の足掻きとして。醜くても、無様でも、最ッ高に楽しんでから死のうじゃねえか。閻魔サマだって、それくらい赦してくれるさ」
男の言うそれは、不思議とスッと身体の中に入ってきて、まるでそこにあるのが当たり前かのように馴染む。
「死ぬことには変わりはない。それによって、奴らにひとつの達成感を与えてしまうことには変わりはない。だけれども」
ニヤリ、と。男が不敵に笑う。
その瞳の奥には、先程見せた死人の瞳とは真逆で、明らかな闘志が宿っている。
これが同じ人間のものなのか、と。そう疑ってしまいそうなほどに。
「自分たちより下だと思っていた人間が。自分たちが不幸にしてやったと思っていた人間が、幸せに死んでいって。死んでしまったからもう不幸にしてやることができない、なんて。最高の意趣返しだと思わないか?」
「――ッ」
「ささやかで、小さくて。けれども暴力に訴えかけるわけでもなく。ただ、全力で」
幸せになってから、死ぬんだ、と。
それがさも当然の権利であるかのように、男はそう言い放った。
「ルールはひとつ、単純だ。相手のことを詮索しないこと。なぜ死のうと思ったか、とか。そういうことだな」
お前だって身の上を探られるのは嫌だろう? と、そう言われて。まさしく先程、考えを言い当てられていたときのそれを思い出しつつ、コクリと頷く。
「さて、それじゃあどうする? 乗るか、反るか」
「……未成年誘拐とか、そういう罪に問われる可能性とか考えないわけ?」
「これから死のうって奴が、そんなこと気にすると思うか?」
それもそうか、と合点する。
……どうやら、気に入らないところはありはするものの。私は、こいつのことを、それなりに信用ができそうに感じた。感じてしまった。
私の心は、もう決まっていた。
やれるものならやり返してやりたい。そんな火が、悔しいけれどこの男によって焚き付けられてしまった。
これはもう、責任を持ってコイツに支払わせてやらないといけない。
パンパン、と。スカートを手で払ってから。改めてまっすぐに立つ。
男の視線に、目を合わせて。
「……いいわ、乗ってあげる。男ひとりじゃ華やかさが足りなさそうだし」
「言ってくれるじゃあねえか。そのとおりだよ」
不機嫌そうに返してきた彼に、私は小さく笑う。
「改めて自己紹介といこうか。尤も、これから死にに行く奴らの名前だ。本名である必要性はない。……お互い、その柵は棄てたいだろう? 呼ばれたいように、好きに名乗りな」
「……それじゃ、私はアカリ。よろしく」
「おう。俺はシンジだ。これから死ぬまで楽しくやろうぜ、アカリ」
文字通り、死ぬまでの、逃避行を。
死にゆくものからの、最期の復讐を。
「それで、どこに行くとか決めてるの?」
「いんや、全く決めてなかったが。……そうだな、死ぬほど高いところなんて、どうだ?」
終わりへ向けて、始めていこう。





