1-17 我儘姫は猫さまを拾ってから大変です!
Before
姫 >>>>>>>>>>他人≧畜生
After
猫さま≧にゃんこ> 姫 ≧同士・動物たち>>>>>他人
公爵令嬢のレティシアは、二階の自室の窓際から雨の降る庭を眺めていた。
そして、はたとする。何か聞こえる。
雨音の合間、微かに聞こえてくるその音は……。
「猫……?」
レティシアは初め無視しようとした。雨が降っているし、どこから聞こえてくるかもわからない。野良猫など掃くほどいるし、捨て置けば良い。
けれど、その声があまりにも憐れっぽいので……。
「もう! 仕方ないわね!」
レティシアは侍女を呼びつけると、庭を散歩すると言った。雨が降っているからと反対されたが、雨の中を散歩してみたいのだと言って押し通した。侍女は降り具合がそこまでひどくないのを見て、いつもの我が儘よりはマシかと雨の装いを用意する。
降り立ったレティシアは、ほう、と息を吐いた。
いつもは噎せ返るように香る百合の花も、雨に弾ける土の香りと混ざってほんのりと上品に漂っている。緑は濃く、けれども雨の隙間にあって強く主張しても来ない。雨の庭とは、なんとも風情があるものか。
晴れの日や窓から見るのとは違う趣に、出てきて良かったとウキウキで散策をはじめたレティシアは、か細い声にはたとした。
「まぁ、なんの音でしょう?」
立ち止まったレティシアを不審に思ったらしい侍女にも、その声は届いたらしい。
レティシアは一瞬で忘れていた当初の予定を、まるで今気がついたように振る舞うことで繕った。
「猫かしら。この近くにいるのかしらね。探してちょうだい」
公爵家の令嬢は、自宅の庭と言えど一人きりで行動などしない。ましてやレティシアはまだ七歳の幼……淑女である。専属侍女を残したメイド二名、護衛二名で辺りを捜索してもらうが、なかなか見つからない。
イライラするレティシアの様子に侍女が腰を折った。
「声はすれど見つかりませんね……お嬢様、諦めてお茶に致しましょうか」
「イヤよ。ずっと鳴かれたら耳障りだわ」
キッパリと断ると、ため息を吐き出すように言葉が返ってくる。
「すぐに鳴き止みますわ。ほら、先程よりずっと小さくなってるでしょう?」
思えば、自分の部屋で聞こえた声も、ここまで弱々しくはなかった。だからそうね、といつもなら言うところ、疑問が口をついた。
「なぜ、すぐに鳴き止むと思うの?」
侍女はすぐに答えた。
「この声は仔猫でしょう。雨に打たれ続ければ、すぐに弱って死にますから」
レティシアは衝撃を受けた。
こんなに存在を主張しているものがじきに死ぬ、ということに対してではない。それをなんでもないことのように答えた侍女にだ。
そして、自分の中の貴族の血が、その通りだから捨て置け、と主張することにも。
……今までそんなことなど、感じたこともなかったのに。
レティシアはその場に固まり、小さな頭でたくさん考えた。考えて考えて、頭がパンクしそうになって、ひとつ、諦めることにした。
「……私も探すわ」
考えることを諦めたレティシアは、草むらに向かって一歩踏み出した。
「お嬢様!」
「ほんの少しだけよ。すぐ見つからないなら諦めるから」
侍女は傘を差し出しながら、オロオロと見守る。見知らぬ猫の様子よりも、レティシアの手や服が汚れたらと、そちらの方が気がかりで。
レティシアはそんなもの構わずにどんどん進んでいく。そして。
「あ」
囲いの低木の下、隠れるように汚れた仔猫が体を横たえていた。実際隠れていたのだろう。小さな体格のレティシアでなくば見つけられなかった。
レティシアは何も考えず、低木の中に手を差し入れる。
「お嬢様! いけません!」
侍女が止めたときには、もうすでに仔猫はレティシアの腕の中にいた。弱りきった仔猫は目も耳も塞いだままで抵抗もしない。
「お前、こんなところにいたのね。見つかって良かった」
ぜんぜん良くないという顔色の侍女とは裏腹に、レティシアはひどくホッとして、まるで仔猫がとても大事な宝物であるかのように抱えると、屋敷の方へ歩き出す。
「お……お嬢様、それどうするんですか」
「そうね。とりあえず拭いてあげないとね」
「連れて帰るんですか!?」
「その辺りに置いたままにして、死骸になるまで放置するのも気持ち悪いじゃない」
「ですが」
「大分弱っているようだし、死んだらその時よ。でもせっかく見つけたのだから出来ることをしてみたいの」
「……かしこまりました」
屋敷に戻ったレティシアは、仔猫をきれいにするよう命じると、自分も着替えて戻ってきた。料理番にヤギのミルクを分けてもらい、手ずから与える。
「飲んでるわ。食欲があるなら大丈夫かしら」
柔らかな布にくるまれスプーンで掬ったミルクを舐める仔猫に、柔らかく微笑みかけるレティシアに周囲は驚いた。
レティシアに対する周囲の印象は、我が儘で癇癪持ちのお嬢様。自分勝手で人の感情に考慮などしない。それが仔猫に対してとはいえこんなに慈悲深げな表情をするなんて、と。
そんなことも知らず仔猫はレティシアのスプーンからミルクを飲みきると、ミャアと鳴いて目を開いた。
青灰色の体に見合う、嵌め込まれたように美しい蒼と翠の瞳をしている。
「まぁ、なんて美しいの! お前の瞳はサファイアとエメラルドのようだわ!」
レティシアは喜んで仔猫を抱き上げた。
「顔形もなかなかの美形だし、いいわね。きちんと医者に見せて問題がなかったら、私が飼ってあげてもいいわ」
「お嬢様!?」
侍女が青い顔をして止める。だがレティシアはしれっとしていた。
「なぁに? そういえばあなたはずっと猫を嫌がっていたわね。嫌いなの?」
「あの、いえ、その……」
「ふぅん、我が儘お嬢様はなんとか我慢できても、小汚ない猫までは世話できないと言うところかしら」
「そんな」
「当たり前よね。でもこの子がほしいの。猫や動物を飼ったことのある使用人を探してちょうだい。それで何が必要かわかるでしょう」
こうなれば何を言っても覆らない。結局いつもの我儘姫様である。公爵や夫人に怒られるのは自分なのに、と専属侍女は嘆いた。
だが、結局侍女が叱られることはなかった。
レティシアは父である公爵に、せっかくの縁だから飼いたいのだと主張した。
医者には問題ないと言われたこと。飼い方の分かる者に指導してもらい、できる限り自分で世話をすること。仔猫にかかる費用は自分の小遣いから出し、問題を起こした時の責任のすべてを自分が持つことを、執事に頼んで文書に起こしてもらい、提出しながら。
「ずいぶん本気なのだな」
公爵はとても面白そうにレティシアを見た。
「ええ、だって見てください。こんなに美しいのですよ」
ミルクを与えたあと、仔猫を洗ってブラシをかけたため、仔猫の青灰色の体はつやつやと輝き、宝玉の瞳は煌々ときらめいていた。
それを自慢げに掲げるレティシアの瞳も輝いている。
そう、レティシアはもうすっかり、仔猫の虜になっていた。
その様子を見た公爵は、ふむと頷いて、契約を守れるなら構わない、と言い仔猫がレティシアの側に侍るのを許した。
レティシアは大喜びで、寝床に伏せる母に会いに行った。
母には大事をとって距離をとって見せたものの、仔猫の美しさ愛らしさに目を細め喜んでくれたので、レティシアは非常に満足した。
「元気になったら、撫でてあげてくださいませ」
レティシアは顔をほころばせて退出する。仔猫だけでなく、レティシア自身も長くいることが許されていないためだ。
その後ろ姿を見送る母は、是非とも早く病魔を退け、あの天使たちを愛でるのだと決意していた。
自分の部屋に戻ってきたレティシアは、猫を四匹も飼っていたという使用人に柔らかな布の敷かれた籠を渡された。そこに仔猫を入れると、部屋の暖かな場所にそっと置く。
今日はこれで様子を見て、明日からこの子がどのような性質であるか見ようという。
明日からよろしく、と使用人を下がらせ、レティシアは眠る仔猫の側に寄った。
「早く元気におなり。私と遊ぶのよ」
しかし、この時レティシアの頭の中に描かれた理想の猫との生活は、達成されることはなかった。
翌日。
いつもより早く起きたレティシアは籠の中を見て思わず顔をおおった。
息を潜め、籠の中を見ては固まり、また顔を覆い、震え、そしてまた籠の中を確かめるのを繰り返す。
これは専属の侍女が朝の支度に訪れるまで続いた。
「どうなさったのです、お嬢様」
怪訝な顔の侍女に対して、レティシアは何も言わずに籠を指す。
さては猫が死んだのかと、籠を覗いた侍女は衝撃の光景を見た。
仔猫が籠の中で、安心しきったように仰向けに寝ていたのである。手足は上下にぴんと伸びている。
いわゆるへそ天である。
「ねぇねぇ。この子、可愛すぎない……!?」
レティシアの言に、侍女は反射的に頷く。まさに衝撃的な可愛さである。
「はい、なんて愛らしい」
つい先ほどまでの自分を侍女はすっかり忘れていた。
「うちの子は最強だわ。あぁ、なんてことなの……」
うっとりした表情のレティシアは、誰も止める者がいないのをいいことに、ずっと仔猫を眺めていた。
止まったのは、誰も予想し得ない状況によってだ。
仔猫がパチリと目を覚ました、その時。
『んあ……今何時……』
その場にはいないはずの、少年の声がした。
「ほあ?」





