第072話 日常の変化
翌朝、俺はいつものように学院へ向かい、敷地内の舗道をひとり歩いていた。
空気はひんやりと澄み、街路樹の葉が赤や黄色に染まりはじめている。
生誕祭まであと一ヶ月。
ここで失敗すればいよいよ後がなくなる。
これが勇者の口を割らせる最後のチャンスになるかもしれない。
そんなことを考えていると、ふと聞き慣れない声が耳に届いた。
「おはようございます、スカーレット様」
顔を上げると、前を歩いていた女子学生がわざわざ立ち止まって俺に頭を下げている。
その表情はどこか緊張を含みつつも親しげだった。
こういう態度……最近ほんとに増えたよな。
未知の病いがひと段落してからというもの、俺の周囲の空気は劇的に変わりはじめていた。
かつては俺に目を合わせようすらしなかった連中が今ではこんなふうに挨拶してくる。
陰口や腫れ物扱いもすっかりとなりをひそめ、まるで何年も前から知り合いだったかのように喋りかけてくる者まで現れたくらいだ。
どいつもこいつも、どういう手のひら返しだよ。
少し前まで俺を怪物でも見るような目つきで見てたくせに。
こうなった背景だが、どうやら裏でウィスタリアの婆さんとベヨネッタが絡んでいるらしい。
婆さんが俺に助けられたことを商人仲間に吹聴した結果、商人たちの間で俺の株が急上昇しているそうだ。
さらに学院内では、ベヨネッタが俺に対する悪口を片っ端から諌めているんだとか。
まるで後援会だな。
通りすがりの学生に軽く微笑みを返しながら歩くも、その光景にいまだ馴染めない。
ついこの間までみんな俺を避けてたってのに。
そんなことを考えていたその時――ふと目の前をひとりの少女が立ち塞いだ。
ポニーテールの茶髪が風に揺れ、鋭い眼差しがまっすぐ俺を射抜いてくる。
刺繍の入った騎士の官服を身にまとい、腰には木製のロングソードを携えていた。
明らかにここの学生じゃない。
「私はカリナ・ライオネット。
あなたがマキナ・スカーレット?」
「ええ、まあ……そうですけど」
警戒しながら眉をひそめると、カリナは小さく口角を上げ、ふっと笑った。
「やっと見つけた……いざ、尋常に勝負!」
「はあ!?」
次の瞬間、カリナが腰に携えた木剣を勢いよく振り抜いてきた。
反射的に身をひねってそれを避ける。
いきなり何を――ってか、誰だよおまえ!?
しかも、その太刀筋が尋常じゃなく速い。
こいつ、只者じゃねぇ。
明らかに戦場で鍛えられた剣だ。
相手の剣に集中し、連続して襲いかかる神速の木剣をすべて指先で弾き返す。
チャンバラめいた応酬が舗道のど真ん中で繰り広げられ、周囲の学生たちが次々に立ち止まり、ぽかんと口を開けて俺たちの様子を見守っていた。
「さすが……兄を打ち負かした魔王。
なら、これならどうだ」
そう言うと、カリナは木剣を構えたまま詠唱を始めた。
「ちょ、ちょっと……!
学院内での魔法の行使は禁止され――」
俺が言い終える間もなく、カリナの手の平から眩い魔力の光が木剣に伝っていく。
「秘剣――雷鳴剣ッ!」
「ちっ……バフィカル!」
咄嗟に右手の指先へ内功を集中させる。
その瞬間、雷光を帯びた木剣が振り下ろされ、俺の指先と激しくぶつかった。
耳をつんざくような閃光と衝撃音。
空気を切り裂くような火花が飛び散り、あたり一帯にスパークがはしる。
そのあまりの衝撃に周囲の学生たちが一斉に悲鳴を上げた。
「す、すごい……!
これを指先だけで受け止めるなんて!
やっぱり本物だ!」
カリナが目をキラキラ輝かせながら呟く。
まるで憧れのヒーローに出会った子どもみたいだ。
「――どういうつもりですか?
喧嘩を売るなら場所をわきまえてください!
ここは学院ですよ」
俺がジト目で睨みつけたその時だった。
「なにをやっとるんだおまえらーーッ!!」
轟く怒号とともに地響きのような足音が迫ってくる。
こ、この声は……!
慌てて振り返ると、鬼の形相を浮かべたクレアが猛牛のような勢いで向かってきていた。
や、やべぇ……本気で怒ってる……!!
俺は顔をひきつらせながら必死に両手を上げて無実をアピールするも、カリナは状況をまったく理解していない様子できょとんと立ち尽くしていた。




