第069話 帰還
帝国全土を覆っていた白い霧が晴れてから、はや一週間が過ぎた。
長らく病に伏していた住民たちは、まるで夢から覚めたように次々と快方に向かい、元の暮らしへと少しずつ戻り始めている。
フォーリッジ領の中心地サイプレスも、かつての喧騒と賑わいを取り戻しつつあるそうだ。
一方で、カハクたちはルーシーの用意したゲートリンクを通じて、魔王城の裏手に広がる毒の沼地へ移住を果たした。
あの過酷な環境にも関わらず、彼女たちは今、自らの手で土地を整え、瘴気を浄化し、新たな森を創りあげようとしているという。
――で、俺はというと、朝からコルキス皇帝陛下に呼び出されていたわけだ。
「――貴様、虚偽の報告ではあるまいな?」
魔王サタンの転生話をした途端、いつものように眉間にシワを寄せ、全力で疑ってくる皇帝。
延々と詰問されるわ、過去の話を引っ張り出されて揚げ足を取られるわで、完全に嘘つき扱いである。
俺だって好き好んでこんな話をしているわけじゃないってのに。
結局、ハクアの姉御とルクソール公国の魔導士たちが間に入ってくれたおかげで、ようやく事態は収束。
気がつけば夕陽が傾き、解放されたのは夜も更けかけた頃だった。
とぼとぼと北区の大通りを歩き、女子寮の門をくぐったのは――まさかの夜の八時。
すでに門限ぎりぎりの時間だ。
玄関を抜けて階段をのぼるたびに、疲労がどっと全身にのしかかる。
背中が重く、足が鉛のようだ。
あのクソ皇帝――朝から晩までこき使いやがって。
いつかとっちめてやるから覚悟しとけよ。
ぶつぶつと恨みごとを呟きながら自室の扉を開けると、薄暗いランプ明かりのもと、ベッドの上で丸くなっているリアンの姿が見えた。
ピンクの髪から覗くタヌキの耳が、寝息と共にピクピク動いている。
ようやく戻ってきた自分の居場所に安堵しつつ、そのままべッドに倒れ込んだ、そのとき。
――ぐぅぅぅ。
何とも情けない音が響いた。
しかも、俺の腹からじゃない。
リアンの腹からだ。
「マッキー、腹がへって眠れないあるよ……」
「なんだ、起きてたのか」
欠伸混じりに寝返りを打つと、不貞腐れた顔を浮かべたリアンと目が合う。
「がまんしろよ。
俺だってパン一個で毎日凌いでんだぞ?
期待してた報酬も手に入らなかったからな」
本来なら黒い斑紋の原因を突き止めた功績を賞され、金貨1000枚もの報奨がもらえるはずだった。
だが、帝国が世間に発表したのは『神樹様が神秘の霧で帝国を癒した』というお伽話のような美談。
今のところ、帝国の窮地は神樹様によって助けられたことになっている。
実際は俺が命懸けで樹海に潜って、魔族と戦って、蔦の化け物と交渉して、その場をなんとか丸くおさめたってのに。
どうにも納得いかない。
だが、カハクたちの存在を人間に明かさないと約束した以上、表沙汰にもできなかった。
「だけど、このままじゃ絶対に眠れないあるよ!!」
リアンがベッドの上でのたうち回るように叫ぶ。
「こんな食生活してたら発育にもよくないあるね!
わたしの身長がこれ以上伸びなくなったら、どうしてくれるあるか!」
「し、知らねぇよ!
一日一食あれば充分だろ!
寝る子は育つって言葉もあるくらいだし、さっさと寝ろ!」
「そんなの信じられないあるよ!
もう無理ある!
その辺の池でカエルでも捕まえて食べてくるあるね!!」
「お、おいっ! やめろっ!!」
バッと跳ね起きたリアンを慌てて後ろから羽交い締めにする。
扉に手をかけたところを何とか引き戻し、じたばたと暴れまわるリアンを無理矢理ベッドまで引きずった。
「寮母の婆さんに見つかったらどうすんだ!
夜に無断で出歩いたら次こそ本気で退寮処分だ。
明日の朝まで我慢しろっての!」
「朝まで待てるわけないあるね!
このままじゃ餓死しちゃうあるよ!
もう限界ある!」
「わ、分かった、分かったから!
すこし落ち着け!!」
暴れるリアンの腕を掴み、ずるずると壁際まで引っ張っていく。
貼っていたポスターをぺりぺりと剥がし、その裏に隠していた魔王城へのゲートリンクを露出させた。
「魔王城に戻れば、なにかしら残ってるはずだ。
ルシウスに夜食でも作ってもらおう。
それで文句ねぇだろ?」
その言葉を聞いた瞬間、リアンの瞳がぱぁっと輝きを取り戻す。
「さすがマッキー! 物分かりがいいあるね!」
「お、おう……って、くっつくな!
腹減ってるくせに元気だな、おまえ」
苦笑いしながら、俺はゲートリンクの前で呆れたようにため息をついた。




