第068話 カハクの神様(後編)
脅しとも取れる底冷えのする声だった。
しかも、それを口にしたカハクは無表情のまま微動だにしない。
先ほどまで怯えていたのが嘘のように、まるで何かに取り憑かれたかのような口調。
そこには明らかに神木様の意思が宿っていた。
「――ったく……」
俺は溜息をついて頭を押さえた。
脅されたことに腹が立ったわけじゃない。
ただ、ここまでこじれた状況をどう納めればいいか考えるのに頭が痛かった。
こいつらの正体を人間たちに伏せるのは、それほど難しくないだろう。
そもそもが伝承上の生き物だ。
森の精霊だの神木様だの聞かされたところで、大多数の人間は信じない。
魔王サタンは森の奥で何も手にいれられず、手ぶらのまま姿を消した。
そう報告すれば疑われることなく押し通せるはずだ。
――だが、もうひとつの条件。
こいつらを魔国領に受け入れるのは簡単じゃない。
俺の治める魔国領にこいつらが住めるような場所なんてあったか?
樹妖のはびこる枯れた大地に瘴気のこもった沼地、硫黄の噴き出す火山地帯。
どれも碌でもない場所ばかりだ。
少なくとも、今目の前に広がる美しい森とは比べ物にならない。
「言っておくが、魔国領にこんな綺麗な森はないぞ?
移住するとしても汚ねぇ沼地くらいだ。
それでもいいなら俺は別に構わないけどよ」
皮肉混じりに言ってみせると、カハクは即座に首を縦に振った。
「沼地だろうと構わん。
人間さえ寄り付かなければ、どこでもいい」
感情の乏しい声だったが、その奥には深い憎悪がにじんでいた。
過去に人間となにかあったのだろうか。
「……よし、じゃあ話はまとまったな。
この青い霧をはやく晴らしてくれ。
あとで俺の側近たちをここに寄越すから」
俺たちにはキョンシー族の呪術がある。
呪符を使ってゲートリンクを展開すれば、こいつらを沼地に移すのも簡単なはずだ。
「――承知した」
カハクが一礼するや否や、空気が震えた。
森を包んでいた青い霧が風にさらわれるよう溶けていく。
ほんの数秒で視界が晴れ、色を取り戻した原生林が本来の鮮やかな姿を取り戻した。
さっきまでの息苦しさが嘘のようだ。
俺はカハクに一言だけ別れを告げると、足早に森を抜けてルシウスたちとの合流地点へ向かった。
帝国の魔導師たちが一様にうずくまっていたが、その表情は先ほどよりも明るい。
ハクアの姉御が癒しの魔法を施したのだろう。
俺はその傍らで、一連の出来事をハクアの姉御に伝えた。
「ハクア様。
どうやら魔王サタンが生き返ったようです」
その一言に、ハクアがぴくりと眉をひそめる。
「――なに言ってんの、あんた?
魔王サタンが生き返った……?
そんなバカげた話し、あるわけないじゃない」
「いえ、間違いありません。
奴らは転生の魔術を使ったと公言しました。
魔王サタンは森の奥地で目的を果たせず姿をくらませましたが、今もどこかに潜んでいるはずです。
帝国の監視網に引っかからないなら、強力な魔術で身を隠している可能性が高いかと」
ハクアは沈黙したまま顎に手を添えて考え込む。
理屈ではなく直感で感じとったのだろう。
現実逃避をすれば、取り返しのつかない状況に陥る可能性があることに。
おそらく、術者は第4塔主のナクシャ。
俺が魔王軍にいた頃、ナクシャはネクロマンサーとして知られていた。
魔族の配下をいっさい持たず、屍人と呼ばれる死者の軍勢を引き連れる異質な塔主。
ジャクリットとよく行動を共にしていたため、あの男から魔術を学んでいた可能性は高い。
となると、レベルの上限を打ち破る魔術も奴らはすでに掌握しているのかもしれない。
転生を果たした魔王サタンでさえ、今の勇者には絶対に勝てないからな。
勇者かジャクリットの野郎か。
俺も早くその魔術を手に入れる必要がある。
そんな考えを巡らせていたときだった。
ふわり、と俺の足元を白い霧が這うように広がり始める。
あの蔦の化け物が約束を守ったのだろう。
この霧が帝国全土を覆えば、黒い斑紋の病気も根絶されるはず。
静寂の中、しばらく黙っていたハクアの姉御が視線を上げた。
「――分かったわ。
帝都で詳しく話しを聞かせてちょうだい。
あなたの言ってることが事実なら、すぐにでもコルキス皇帝陛下に報告しないといけないから」




