第066話 包帯の男
包帯の男と視線が交錯した瞬間、ゾクリと背筋に悪寒が走った。
この邪悪な眼光――禍々しく、底知れぬ闇を纏わせたまなざし。
どこかでみた記憶がある。
だけど、いつ、どこでだったか、どうしても思い出せない。
「――不届き者? それはあなたの方では?」
俺はわざとらしく口角を吊り上げ、余裕を装って言葉を返した。
「私は先代の魔王サタンを打ち倒した、正真正銘の魔王――マキナですから」
名乗りを聞いた瞬間、包帯の男の眉がぴくりと動いた。
目を大きく見開き、どこか懐かしさを帯びた色がその瞳に浮かぶ。
「マキナ……?
そうか! 誰かと思えば、あの時の小僧か!」
小僧? なんの話だ?
誰と勘違いしている。
「だが、あの時と性別が変わっておるな。
くく……もしやおまえ、あの尻尾を喰ったのか?」
――!
途端に心臓が跳ねた。
なんでこいつ、俺の性転換の秘密を知ってるんだ!?
それにテイレシアスの尻尾のことまで。
俺が目を見開いたその時だった。
包帯の男の背後に黒い亀裂がふたつ、空間を裂いて現れた。
その亀裂からひとりの巨躯が姿を現す。
獅子のようなたてがみに、頭部に四本の角を生やした猛獣の如き男――ヘイズバルだ。
サタン軍の第三塔主にして、デーモン族を束ねるデーモンロード。
俺が魔族軍を離れたあの日、最後に見た姿と寸分違わぬ威容で俺の前に立ち塞がった。
続いて、もう一つの裂け目から現れたのは漆黒のローブに身を包んだ女。
流れるような水色の髪に紅と蒼のオッドアイ。
サタン軍、第4塔主のナクシャだ。
仮面のように感情の読み取れない顔立ちが特徴的で、いつも分厚い本を片手に携えている。
こいつについては俺もよく分かっていない。
今まで喋っているところを見たことがないからだ。
「サタン様? こいつは誰なんです?」
ヘイズバルが包帯の男に問いかける。
――サタン?
頭が追いつかない。
俺の理解を遥かに超えた何かが目の前で進行している。
包帯の男は愉快げに喉の奥を鳴らすと笑いはじめた。
「昔、エミスのとこにいたガキだ。
性別が変わっているのはテイレシアスの尻尾を喰ったからだろう。
勇者に敵わぬと見て、女の姿になって色仕掛けか?
混血とはいえ魔族のくせに情けない奴め」
「なっ……! どこで尻尾のことを……?」
動揺が胸を突き上げる。
だが、その声を遮るよう男の冷ややかな声音が続いた。
「その女口調も耳障りだ。
聞いていて虫唾が走る。
素の口調で話せ、小僧」
視線が俺の顔に突き刺さる。
全身に巻かれた包帯から覗く素肌は、まるで炭のように黒く焦げついていた。
目元だけが異様に生々しく、かえって不気味さを際立たせている。
軽く息を飲むと、自然と普段の口調にもどっていた。
「……お前、誰だよ?
なんでヘイズバルやナクシャ、それにガブリエルまで従えてやがる!」
一瞬の沈黙。そして――
「くく……まだ分からんのか?
我はお前に殺されたサタンよ。
見ての通り、転生して生き返ったわけだ」
「な、にを……?」
思わず後退る。
状況についていけず言葉がでてこない。
「魔術の一種だ。
生き物である以上、我も老いには抗えん。
老いて衰えた我は深く考えた。
どうすれば再び過去の栄光を取り戻せるか。
そして辿り着いた答えが転生の魔術だったわけだ。
代償として、この有様になったがな。
くく、我を倒すという茶番に付き合ってくれたこと、感謝しておるぞ小僧」
包帯の男の嗤う声が森に吸い込まれていく。
俺が倒した魔王――あれは演技だったのか?
全部仕組まれていたことだったのか?
だとしたら、俺はいったい……
「こいつ、どうします?
ここで殺しときますか?」
ヘイズバルが俺に向かって手のひらを向ける。
反射的に身構えるも、全身から吹き出す汗が止まらない。
たったひとりで、こいつら三人を相手にするなんて――正気の沙汰じゃない。
「――いや、こいつは殺すな。
あとで役に立つ可能性がでてきた。
ひとまず生かしておけ」
「ふふ、そうね。
あれを食べてるなら生かしておく価値はありそう。
良かったわね、マキナちゃん。
首の皮一枚で繋がったわけだ」
ガブリエルが意地悪く笑う。
なんのことだ?
俺を生かしておくことに価値がある?
意味が分からない。
そのときだった――ナクシャが静かに口を開いた。
詠唱ではない。
魔法の構築とは本質が違う。
これは……魔術か?
次の瞬間、サタンの足元を中心に地面が黒く染まりはじめた。
漆黒の円が広がり、空間そのものがじわじわと沈み込んでいく。
まるで、大地が口を開いてサタンたちを呑み込もうとしているようだった。
「バイバイ、マキナちゃん」
ガブリエルが手を振り、冗談めかした声で別れを告げる。
その手もまた、漆黒の円へと沈んでいった。
そして――魔王サタンとその一派は森の湖畔から音もなく姿をくらませるのだった。




