第059話 セルバン・フォーリッジ
セルバン・フォーリッジは手綱を軽く引きながらこちらに近づいてきた。
「まずは腰を落ち着けて話しましょう。
私の館まで案内します」
俺とルシウスは黙ってうなずき、霧に包まれた大通りをまっすぐ進む。
霧の湿気が肌にまとわりついて気持ち悪い。
たどり着いたセルバンの館は由緒正しい威厳を感じさせる重厚な造りだった。
だが、外観とは裏腹に手入れの行き届いていない庭の花は萎れ落ち、窓辺のカーテンは日の光を拒むよう固く閉ざされている。
そして、俺たちの通された来賓室もおよそ領主の館とは思えないほど静まり返っていた。
促されるまま椅子に腰を下ろすと、セルバンは沈痛な面持ちで語りはじめた。
「この度はわざわざお越しくださり、ありがとうございます。
本来であれば相応のおもてなしをしたいところですが……あいにく、今は私しかこの地に残っていません」
声は低く、押し殺すような響きだった。
その目もどこか憔悴しきっているように見える。
「この地でも昔から霧が立ち込めることはありました。
ですが、せいぜい年に数回、森の一部を覆う程度。
ここまで長く、そして広範囲に広がったのは私の知る限りでも初めてです。
しかも――」
セルバンが言葉を切り、眉間にしわを寄せる。
「――霧が深まるのと同じくして、黒い影の目撃例が相次ぐようになりました。
姿形は定かではありませんが、多くがデーモン族らしきものだったと。
このままでは領民の命が危ない。
そう判断し、私はミストラル公爵家へ援助を要請しました。
おかげさまで領民の避難は完了しています。
ですが、私までこの地を離れるわけにはいきませんでした――」
そう言うと、激しく咳き込み襟元を押さえるセルバン。
そのとき、ちらりと覗いた首筋に黒い斑紋が浮かんでいるのを俺は見逃さなかった。
「……見えてしまいましたか。
誤魔化しきれるとは思っていませんでしたが」
弱々しく笑っているものの、その瞳の奥には明確な覚悟が宿っている。
「私もこの未知の病いを罹っています。
そして、私の妻も同じ病いに伏しており、私だけが安全な土地に避難することなど到底出来なかった。
治療を優先より、この地の病いの根源を突き止める。
それこそが私に課せられた責務だったので」
重い沈黙が続いたあと、セルバンが目を伏せる。
「ただ、娘にはまだ病いのことを伝えていません。
心配をかけたくないのです。
どうか、ガルディア学院で彼女に会っても、このことは口外しないでいただけますか?」
娘という言葉に俺は眉をひそめた。
やはり、フィオネの父親だったか。
「わかりました。
フィオネには黙っておきます」
短く答えてから、俺はひとつ気になっていたことを口にする。
「私からも聞かせてください。
勇者はこの地に来ないのでしょうか?
勇者の力があればデーモン族など簡単に一掃できるはず。
ここまで問題が大きくなっているのに、状況を放っておくとも思えないのですが」
俺が尋ねると、セルバンは一拍おいてから低い声で答えた。
「ランセル皇太子殿下は現在、秘匿性の高い公務に従事しておられます。
そのため、サイプレスには来られません」
――なるほど。
最近、学院で姿を見かけないと思ったら、そういう事情があったのか。
だけど、秘匿性の高い公務ってなんだ?
ノブリージュ活動にも姿を見せず、俺に一言も残さないなんて――アイツらしくない。
「しかし、帝国がこの地を見捨てたわけではありません。
ルクソール公爵家より優秀な魔導師の一団が派遣されています」
「――魔導師?」
「はい、帝国の魔法結界を担っていた者たちです。
デーモン族の侵入を許した責任も感じているのでしょう。
数日前に到着し、サイプレスの樹海に向かいました。
中にはルクソール家の聖女様もいらっしゃいます」
そう言いながら、セルバンは曇った窓の向こうを指さした。
「彼らが向かったのは、あの方角です」
その瞬間、ルシウスが思わず息を呑む。
「――ま、魔王様!
ウェントのクチバシの向きと一致しています」
「なるほど。
つまり、あの奥地に神樹様とデーモン族がいるってことか」
肩にとまっているウェントを横目に静かに呟く。
すべてが線でつながった気がした。
神樹様、黒斑病、デーモン族。
それらが偶然重なるはずない。
背後には確実にヘイズバルが関与しているはず。
だけど……奴らの狙いはなんだ?
こんな辺境の森で何を目的に動いているのだろうか。
「セルバンさん、貴重な情報ありがとうございます。
私たちも今からルクソール公国の魔導師たちを追ってみます。
帝国の聖女様とは顔見知りですので」
俺が立ち上がってそう告げると、セルバンは疲れた笑みを浮かべ深く頷いた。
「分かりました。
スカーレット様もどうかお気をつけて」
静まり返った街を抜け、俺とルシウスはサイプレス奥地に広がる樹海へ向かう。
ここから本番だ。
ヘイズバルが何を企んでいるのか、その全貌を俺が暴いてやる。
そう意気込み、俺とルシウスはウェントの指し示す樹海に足を踏み入れた。




