第058話 フォーリッジ領
本の海に没頭していたルシウスがゆっくりと顔を上げた。
その視線が俺と琥珀を交互に見比べる。
その隣では膝を抱えて座っていたリアンが、船を漕ぐように頭を揺らしていた。
「こ、これは……この魔力の鼓動は……!」
ルシウスの声が思わず上ずる。
「魔王城の古文書に記されていた神樹様の琥珀にきわめて近いです!
一体、どこでこんな貴重なものを……?」
「学院のへんてこ決闘に勝利した戦利品だ。
前にリアンと約束した宝石のことを思い出してな。
勝ったついでに相手に要求してみたら、ちょうどこれが手に入ったってわけよ」
意気揚々と答えながら、手のひらの琥珀をそっとリアンに差し出す。
リアンはぱちぱちと瞬きを繰り返したあと、小さく唇を尖らせた。
「琥珀あるか……まぁ悪くはないあるけど」
「ん?
なんだよ、その微妙な反応。
お前、宝石欲しいって言ってたじゃん!」
「いや、それはそうあるけど。
正直に言うと、もっとこう……キラキラしてる奴を期待してたあるね。
ルビーとかエメラルドとか」
「ぜ、贅沢言うな!
琥珀だって、れっきとした宝石だぞ!」
俺が語気を強めると、リアンは琥珀を受け取り、じっと見つめたあと、しかめっ面になった。
「でも、これよくみたら虫も混じってて気持ち悪いあるね。
これじゃあ標本みたいある」
「それが琥珀の魅力だろ?
太古の昔の虫が封印されてるなんて、他の宝石よりずっとロマンを感じるじゃねーか!
宝石に興味ない俺でもワクワクすんぞ!」
俺が得意げに笑うと、リアンが盛大なため息をつく。
「マッキーは見た目が女になっても、中身はやっぱり男あるね。
女心のセンスがゼロあるよ。
まぁグリンピースよりはマシあるから、これはありがたく貰っておくある」
言葉こそ皮肉っぽいが、受け取る気はあるらしい。
リアンは指先でくるくる琥珀を回してから、こちらを見上げた。
「――それで?
私は今からウェントを呼び出せばいいあるか?」
「あぁ、話が早くて助かる。
この宝石の持ち主をはやく追いたいからな」
俺の言葉が終わるより先にリアンはすっと立ち上がった。
躊躇なく自分の指先に小さく歯を立てると、滲み出た血を床へ落とす。
血が石床に触れた瞬間、紅い魔力が脈打つように広がり、緻密な魔法陣を形成していく。
図書室の空気がきしむような圧を帯びるなか、魔法陣から赤い羽毛に覆われた魔獣がふわりと姿を現した。
――ウェント。
魔力を感知し、追跡することに特化したオウムのような魔獣だ。
「……よし」
俺はそっと琥珀をウェントの鼻先に近づける。
小さな羽をパタつかせたあと、ウェントはぴたりと動きを止めた。
クチバシをぴんと伸ばし、ある一点をまっすぐに指し示めす。
「魔力の主を感知したようです……!」
ルシウスが押し殺した声で言う。
これで魔力の持ち主が生存していることが分かった。
すでにこの世を去っていればウェントは反応しなかったはず。
おそらく、このクチバシの先はフォーリッジの森に続いているんだろう。
「追跡対象が生きてるなら話は早いな。
フォーリッジ領の立ち入り許可は2通発行してもらった。
俺とルシウスのふたり分だ」
「――私ですか?」
「あぁ、こっから先は毒に耐性のある奴じゃないと話しにならねぇ。
出向いた先で病いに伏したら意味ねぇからな」
ルシウスの体内には毒素を喰らい、分解する魔喰樹が根づいている。
普通の人間なら命を落としかねない毒の沼地でも、ルシウスなら問題なく耐えられる。
俺はウェントを肩に乗せると、リアンに手短かに別れを告げ、ルシウスと共に魔王城を後にした。
◇ ◇ ◇
琥珀が示す魔力の痕跡を辿った先はフォーリッジの領都サイプレスだった。
確か……この街はフィオネの故郷だったはず。
木造家屋と緑豊かな並木道の続く美しい街だと聞いていたが、どうにも様子がおかしい。
その美しさはうっすら続く霧に覆われ、輪郭を失っている。
そして何より異様なのはその静けさだった。
日中にも関わらず、大通りにひとっこひとりいない。
開かれた店もなく、家の窓は固く閉ざされている。
人の気配がまるで感じられなかった。
「……妙だな」
思わず漏れた俺の呟きに隣のルシウスが頷いた。
「病いの拡大を防ぐために外出を禁じてるのでしょうか?
それに、この薄い霧。
先ほどから私の中の魔喰樹がしきりにざわついています。
なにかよからぬ成分を含んでいそうです」
そのときだった。
静寂を切り裂くよう大通りの奥からカツン、カツンと馬蹄の打つ音が響いた。
視線を向けると霧の向こうから、立派な馬に跨がった男が姿を現す。
歳はそれほどいっていない。
ぱっと見だと30前後だろうか。
仕立てのよい上衣を纏い、背筋を伸ばして馬を操る様は威厳と冷静さを兼ね備えているように見える。
「スカーレット辺境伯様でしょうか?
商業ギルド長のハワード様より話しは伺っています。
この地の異変解決に動いてくださっていると。
私はこのサイプレスの領主、フォーリッジ家当主のセルバン・フォーリッジです」




