第056話 商品の価値
まさか、そんな人物が商業区の片隅で?
けど、思い返してみれば確かにあのばあさんの目には只者ではない職人の気質が宿っていた。
「ど、どういうことなの!?
あの人、もうとっくに引退したはずじゃ――」
ベヨネッタが動揺を隠せずわめき散らす。
いつもの毅然とした優雅さが嘘のようだ。
「ええ、永らく引退していましたが、先ほども仰ったよう最近になって時計作りを再開したそうです。
有名な方だったとは思いもしませんでしたが。
偶然に宿る縁というのは案外馬鹿にできませんね」
俺がにこりと笑ってみせると、ベヨネッタがぎしりと奥歯を噛む。
その瞬間、今まで静かに傍聴していたクレアがパチンと両手を鳴らした。
「さて、騒ぎも落ち着いたことだし勝負の判定といこう。
どちらも素晴らしい作品だ。
宝石箱は素材、技術、機能性ともに申し分ない。
木材由来の温かみもある。
実際に帝都の職人の手によるものであれば、かなりの高値で売れるだろう。
ただ……中に入る”宝石”の価値はそのまま外側の価値も左右する。
中身あっての箱――という意味では容れ物としての価値には限界がある」
その言葉にベヨネッタの肩がぴくりと震える。
「一方、スカーレットの懐中時計。
時間には個人の経験や感情、人生、そのものが込められていく。
この時計が刻むのは“時間”だけじゃない。
所有者の“記憶”と“想い”もだ。
ウィスタリアの刻印がそれを証明している」
クレアが俺の懐中時計を手に取り、ぽつりと呟いた。
「“時は金なり”ってな。
時間ほど商人が重んじる価値は他にない。
よって、スカーレット。
勝者はお前だ」
静かな宣言だった。
だが、その一言は講義室に深い衝撃を走らせた。
無理もない。
学院でも有数の貴族であるベヨネッタが、俺のような戦闘しか取り柄のない凡人に負けたのだから。
一方のベヨネッタはざわめきの中心で微動だにしない。
背筋をピンと伸ばし、表情を必死に取り繕っている。
だが、その瞳の奥には明らかに動揺がみてとれた。
これから続くクレアの言葉が、どれほどの重みを持つか分かっているのだろう。
そんなベヨネッタにクレアが冷静な口調で告げる。
「ベヨネッタ。
約束通り、スカーレットに謝罪するんだ。
やり方は違えどこれは正式な決闘だからな。
敗者に拒否権はない」
その場の空気がぴたりと静まり返った。
俺に謝る――それは侯爵家の令嬢としてはあってはならない屈辱だ。
この場には彼女の取り巻きも、同級生たちも、クレアもみている。
だからこそ、ベヨネッタは動けずにいる。
貴族としての誇りと現実のはざまの中で、どうすることもできずに。
さて、どうしたもんか。
さすがにちょっと可哀想に思えてきた。
正直なところ、俺もベヨネッタに謝られて嬉しいかって言われたら、別に、って感じだ。
そもそも、諸悪の根源は嘘で周囲を巻き込んだセリアの方だし。
仕方ない。
ここは穏便に済ませてやるか。
「――謝罪は結構ですわ。
この場を丸く収めるための儀礼にすぎないですし。
代わりに、あなたの宝石箱からひとつ宝石を頂戴してもよろしいかしら?」
俺が微笑んでそう告げると周囲が微かにざわついた。
「…………え?」
「ベヨネッタ様に宝石を要求した?」
「まさか、金品を奪うつもりなの?」
まるで、下世話な賠償請求でも聞かされたような反応だ。
いや、別に宝石ひとつくらい良いだろ!
こんだけ宝石箱に入ってんだから。
リアンから魔王城で約束した宝石をウンザリするくらい追求されてるし、ここで宝石が手に入るなら俺としても丁度いい。
俺はリアンに対して魔王としての威厳を保てるし、ベヨネッタは貴族としての威厳を学院で保てる。
どう考えてもお互いにwinwinの展開じゃねーか!
そんな打算も込みで提案してみたものの、ベヨネッタは少しも抵抗の色を見せなかった。
「わ、私は構いませんわ。
それであなたがよろしいのなら」
言葉は簡潔だが口調にわずかな安堵が混じっている。
ベヨネッタからしても宝石ひとつで済むのなら遥かに都合がいいんだろう。
そんな本音が透けて見える。
ベヨネッタが宝石箱の蓋を開くと、そこには目が眩むような輝きがいくつも並んでいた。
とんでもねーな。
色彩も大きさも様々で、まさに選び放題って感じだ。
だが、その中で俺の目を引いた宝石はただひとつ。
――黄金色の琥珀。
他の鮮やかな宝石とは異なり、控えめな色合いで深い影を宿している。
どうみても他の宝石より異質だ。
それに、ほんのわずかだが微量の魔力を放っている。
こんな微細な魔力、普通の宝石に宿るわけがない。
もしかして――これが神樹様の琥珀か?
そんなはずはないと自分に言い聞かせるも、どこか確信めいた感覚が胸を打っていた。
俺は宝石箱に手を伸ばし、琥珀を指差す。
「……これを頂いても?」
俺が尋ねると、ベヨネッタは眉を寄せて琥珀を見下ろした。
その顔には妙な戸惑いが浮かんでいる。
まるで、その宝石の存在に――今この瞬間まで気づいていなかったかのように。




