第053話 ジャクリット卿(後編)
「…………ヘイズバル――ですか?」
「はい、左様です。
デーモン族を束ねるデーモンロードにして魔王サタン軍の第三塔主。
とりわけ、ヘイズバルは第三階位の古代魔法を自在に操る恐ろしい魔導師でした」
ジャクリット卿が空を仰ぎ、遠い昔のことを思い出すように呟く。
そういえば、マキナ殿もサタン軍の塔主たちを気にしてた気がする。
もしも噂が本当なら、彼らはいったい何を目論んでいるのだろうか。
魔王サタンはすでにこの世を去ったというのに。
「やっと見つけたジャクリット様ーっ!!」
突如、背後から甲高い声が響いた。
振り返ると、幼い男の子が砂埃を巻き上げながら駆け寄ってくる。
「ク、ククル……っ!
ランセル殿下の御前ですよ!」
ジャクリット卿が咎めると、男の子はハッと我に返り、勢いよく頭を下げた。
「も、申し訳ありません!
この子も悪気はないんですが……」
「いえ、お気になさらず。
子供らしい元気の良さでなによりです」
私が笑って応じると、ジャクリット卿も肩の力を抜き、表情を和らげる。
「そ、そうですか。
それでククル?
どうしたのですか、そんなに慌てて?」
「ええぇ!?
ジャクリット様が“魔術の触媒になる材料を持ってきたら、簡単な魔術をひとつ教えてやる”って言ったんじゃないか!」
ククルは興奮を抑えきれない様子で、小さな手を掲げてみせた。
その手のひらには金色の外殻に包まれた蛹がちょこんと鎮座している。
「これは……トラフマダラの蛹ですか?」
「そうだよ!
町の外れで見つけたんだ。
これって魔術の触媒になるよね!?」
期待に満ちた目を向けるククルに対し、ジャクリット卿は小さくため息をつくと、そっと指先で蛹を摘み上げる。
「仕方ありませんね。
約束しましたし。
簡単な魔術ならひとつ教えてあげましょう」
「ほ、ほんとにっ!?
やった!
シスターにも伝えておいてよ!」
ククルは歓声を上げると、そのまま踊るように駆け出し、またくるりと振り返って大きく手を振ってきた。
私も笑顔で手を挙げ応じると、ジャクリット卿が困ったように呟く。
「……これはまた、シスター・アリシアに怒られてしまいますね」
「シスター・アリシア?」
「はい。
私と共に孤児院で子供たちの世話をしている修道女です。
この町の孤児院は修道院も兼ねていますので。
彼女は魔術というものが対価を伴う以上、軽々しく子供に教えるべきではないと考えています。
とはいっても、簡単な魔術であれば髪の毛を一本失う程度の代償ですが」
そう言って、ジャクリット卿はトラフマダラの蛹を指先で転がしながら微笑む。
その横顔はどこか寂しげであり慈愛に満ちていた。
「――すみません、話しが逸れてしまいましたね。
ランセル殿下の聖痕のケアには概ね1週間ほどお時間を頂戴します。
帝都の王宮ほど広くはありませんが、どうぞゆっくりお過ごしください」
「はい、お気遣いありがとうございます」
1週間か――思ったよりも長い。
こんなことなら、マキナ殿にしばらくノブリージュ活動に参加できないと伝えておくべきだったかもしれない
いや、マキナ殿のことだ。
言葉にせずとも察してくれるだろう。
そう思いながら、私はジャクリット卿と共に孤児院の門をくぐるのだった。
◇ ◇ ◇
「参ったな……なにもアイデアが思いつかないぞ」
俺は帝都の商業区にある木陰のベンチに腰かけ頭を抱えていた。
商業ギルドでハワードのおっさんから立ち入り許可を貰うところまでは良かった。
だが、肝心の“神樹様の琥珀“に関しては、おっさんですら記憶にないらしく、心当たりのありそうな貴族の尻尾すら掴めなかった。
その後はせめて商品対決の案だけでもと商業区をひたすら歩き回ったが、どれも既視感のあるものばかりで目新しさがない。
どうしたもんか。
今日中にはアイデアを固めたかったってのに。
ベンチに深く沈み込み、通りを行き交う商人をぼんやり眺めていると、テイレシアスが愉快そうに尋ねてきた。
『そろそろ妾の助言が欲しくなった頃合いじゃないか?』
「――いらん!
あとちょっとで思いつきそうだからな」
『おぬしは変なところで真面目じゃのう。
まぁ、そこがいいところでもあるんじゃが』
テイレシアスの茶化すような口調を受け流しつつ、俺は今日得た情報を頭の中で整理する。
フォーリッジ領は林業と農業の盛んなミストラル公国に属するらしい。
ミストラル領の小領地にはベヨネッタの実家であるグリニッジ領があり、さらにその小領地にフォーリッジ領が含まれているんだとか。
フィオネが“地方貴族”と軽んじられている背景には、こうした土地の格差が関係しているのだろう。
加えて、ハワードのおっさんから聞いた話では、フォーリッジ領の森の奥地でデーモン族らしき存在が目撃されたという。
これを受け、ルクソール公国の魔導師たちが直々に調査に乗り出しているそうだ。
ってことは、ハクアの姉御も現地に向かっているのだろうか。
だけど――どうしてデーモン族がそんな辺境に?
奴らは強大な魔力を持つため、帝国内での活動など通常ではあり得ない。
帝国の魔導師による探知網をどうやってすり抜けたというのか。
それとも、この一連の異変も例の黒斑病と関係しているのだろうか。
考えれば考えるほど、もやがかかったように思考がまとまらなくなる。
そんな時だった。
路地の向かい側で立ち往生している年老いた婦人が目に映った。
荷車の車輪が外れてしまったのか、道の真ん中で動けずにいる。
その隣には茶色のベレー帽をかぶった小柄な少女が立っていた。
――ん? あれってルーシーだよな?
こんなところでなにしてんだあいつ?




