第046話 フィオネ・フォーリッジ
フィオネ視点
学院の昼休み。
フィオネは小ぶりのバスケットを腕にかかげ、そっと裏庭に足を運んだ。
ここ最近は裏庭で昼食をとるようにしている。
他の学生たちと距離を置くためだ。
故郷のフォーリッジ領ではいまだ原因不明の病いが蔓延しており、帝都の医師団から「人から人への感染はない」と開示されても世間の反応は冷たかった。
噂は風よりも早く伝わり、根も葉もない情報が尾ひれをつけて広まってゆく。
フォーリッジの病人が修道院に隔離されている。
いつしか、そんな声があちこちで囁かれるようになった。
母もそのガルディア修道院にいるのだ。
そう知られた日からフィオネは人々の視線が怖くなった。
哀れみと好奇心と、あからさまな忌避の入り混じった、嫌な視線が。
――今日は誰にも見つかりませんように
心のなかでそっと祈るように呟きながら、裏庭の大きな切り株に腰を下ろす。
バスケットからサンドイッチを取り出し、木々の隙間から差し込む陽光をぼんやり眺めていると、ふとスカーレット様の姿が頭をよぎった。
魔国領からやってきた新しい魔王。
燃えるような真紅のドレスに身を包み、およそ同年代とは思えないほど美しい容姿をしていた。
瞳の色が赤いことを除けばほとんど人間と変わらない。
周囲のヒソヒソ声などまるで意に介さず、いつもひとりで堂々と振る舞う彼女は、まるで世界が自分を中心に回っているかのような雰囲気を漂わせている。
気が付けば、フィオネはスカーレット様の姿を目で追うようになっていた。
心のどこかで憧れを抱いてしまったのだろう。
自分もスカーレット様のように堂々と振る舞えたら、どれだけ気が楽になるだろうか。
無理に周囲に合わせることなく自然に振る舞うことができたら、もっと楽しい世界が広がるはずだ。
だけど、自分にはできない。
気にしてはいけないと頭でわかっていても、心が萎縮してしまう。
周囲の視線がいつも気になって仕方ない。
――私もスカーレット様みたいになれたらいいな
心の中でそう繰り返し、手にしたサンドイッチをひとくち頬張る。
それにスカーレット様は魔族の王とは思えないほど優しいお方だった。
ノブリージュ活動を紹介された時はあまり乗り気になれなかったが、スカーレット様もランセル様も嫌な顔ひとつせず、一緒に病いの解明に取り組んでくれた。
ふたりとも噂に聞いていた人物とは大違いだ。
もし、病の正体が明らかになったら。
私もノブリージュ活動のお手伝いを申し出てみようか。
そんなことを考えていると背後から声がかかった。
「あら? フィオネじゃない?
こんなところで何をしてらっしゃるの?」
びくりと肩が跳ねる。
振り返ると、そこには同学年のセリアを筆頭にベヨネッタ様の派閥に属する令嬢たちが立ち並んでいた。
セリアはベヨネッタ様の側近のような令嬢だ。
明るい金髪をふわりと揺らし、今日もお気に入りのピンクのドレスに身を包んでいる。
その瞳には、いつもの薄い軽蔑の色が浮かんでいた。
「べ、別に、何も……ただ、昼食をとっているだけです」
フィオネが無理に笑顔を作ってみせると、セリアが鋭い視線を投げかけてくる。
「こんな場所でひとりで食べるなんて珍しいですわね。
まさか、誰にも見られたくないからこそこそ隠れているのではなくて?」
セリアの言葉が突き刺さるようにフィオネの胸に響いた。
「そ、そんなことありません」
「あら、そう。
だったらいいのだけれど。
食事は誰かと一緒にとるのが普通じゃない?
それとも、あなたはみんなに嫌われているのかしら?」
笑みを浮かべながらも、セリアの言葉は容赦なかった。
取り巻きの令嬢たちがくすくすと笑い声を上げる。
どうして、セリアはこんなにも自分に冷たく接してくるのだろう。
答えはわかりきっていた。
地方の小領地の貴族。
そんな私がベヨネッタ様の派閥に加わっていることが気に食わないのだろう。
「ですがフィオネも災難ですわね。
あなたのお母様のせいで病原菌扱いされるなんて」
「お、お母様は関係ありません!
それにフォーリッジ領で流行っている病いは人から人には――」
「フィオネ?
地方貴族のくせに私に口答えするつもり?」
ぴたり、とセリアの口調が冷えた。
その冷淡さにフィオネは小さく息を飲む。
「ご、ごめんなさい……」
どうして自分が謝っているのだろう。
お母様のことを悪く言われたのに言い返せない自分がひどく情けない。
唇を噛み、俯いた視界に涙がにじむ。
その時だった。
誰かが私たちの元に近づいてくる足音が聞こえてきた。
「こんな大勢でなにをしてるの?」
その声にフィオネは、はっと顔を上げる。
スカーレット様だ。
真紅のドレスを揺れし、まるで周囲を支配するような威厳を放ちながら向かってくる。
空気が一瞬にして凍りついた。
セリアにとっても思いがけない来訪者だったのか、顔がみるみる青ざめていく。
最初は状況を読み取れず困惑していたスカーレット様だったが、今ではセリアに向けて冷ややかな視線を送っていた。




