第045話 黒い斑紋(後編)
「とある人間の領で黒斑病に似た斑紋の現れる病いがはやってるらしい。
黒斑病は人には感染しないと帝都の薬師は言ってるみたいだが合ってるか?
俺は樹妖が絡んでる可能性も疑ってるんだが」
俺の問いかけに対し、ルシウスは顎に手を当て少し考え込んだあと、すぐに首を横に振った。
「うーん……少なくとも私の知る限り、人に感染することはありません。
その薬師の言うとおり、黒斑病は植物特有の病気ですので。
それに樹妖が絡んでいるとも考えにくい。
樹妖はどれも非常に凶暴で目立つ存在。
人間社会に紛れ込んで繁殖するなどまず不可能です。
仮に誰かが持ち込んだとしても、帝国の騎士団が即座に殲滅しているでしょう」
そう言って、ルシウスはわずかに肩をすくめた。
大多数の樹妖を使役できるこの男が断言するなら、まず間違いないのだろう。
ルシウスの中に巣くう魔喰樹は樹妖の中でも特異な存在だ。
こいつを体内に宿しているおかげでルシウスは様々な樹妖を使役できる。
地中からみえない蔦を伸ばして相手の身動きを封じる不可視蔦や、酸性の毒を撒き散らし身体を溶解させる腐食草など。
つまり、ルシウスが「違う」と言うなら、その通りなのだろう。
俺は黙って腕を組み、別の可能性を探るべく思案をめぐらせる。
皇帝から要求されている莫大な税金に備え、金貨を少しでも蓄えておきたかったんだが。
今回の報酬は諦めるしかないのか。
そう思った矢先、ルシウスがふと顎に手を添え、何かを思い出したようにぽつりと呟いた。
「もしかすると……森の精霊と呼ばれるカハクが関わっているのかもしれません」
「カハク? なんだよそれ?」
聞き覚えのない言葉に首をひねると、すぐさま脳内で騒がしい声が上がる。
『そうじゃ、カハクじゃ!!
やっと思い出せたわい!
カハクは森の薬師とも呼ばれる伝承上の生き物じゃ!!』
「…………森の薬師?」
「どうやらテイレシアス殿もご存知だったようですね。
はい、その通りです。
カハクは古文書の中で森の薬師とも記されている、伝承上の生き物です」
ルシウスの声音が一段低くなり静かな響きを帯びる。
そのあと語られた内容は、まるで子ども向けに作られた童話のようだった。
「身の丈は約五寸ほど。
肌は透き通るように白く、背中には蝶のような羽を生やした姿をしていると記されています。
その羽から落ちる鱗粉は、あらゆる病を癒やす薬の触媒になるんだとか」
ルシウスは一息つくと、陰りを含んだ表情を見せた。
「しかし、あまりに強力な薬効ゆえ、人間たちはその存在を追い求め狩り立てたそうです。
結果――多くのカハクが命を落とし、生き残った個体は深い森の奥に身を潜めた。
中には人間を欺き、毒薬を調合した者もいたとされています。
その毒を飲んだ人間は悶え苦しみ、その肌には黒い斑紋がいくつも現れていたと。
もっとも、これはあくまで伝承上の話しであり、史実として証明されているわけではありませんが」
そう言いながら、ルシウスが思案の表情を浮かべる。
森の精霊カハクか。
まるでお伽話のようだが、テイレシアスが知っている時点で完全な作り話とも言い切れない。
一度、フィオネやハクアの姉御にも聞いてみるとしよう。
「分かった、助かったぜ。
帝都の連中にも話しを通してみる。
今回の報酬は簡単には諦めきれない額だからな」
「報酬? 例のノブリージュ活動ですか?」
「ああ、病いの原因を解明した者には金貨1000枚もの報酬が与えられるそうだ。
俺たちは1年後に備えて金貨1万枚集めておく必要があるからな。
レベル上限の解放に難航すれば、税金を支払って時間を稼がねぇといけねぇし」
「なるほど。
確かにその報酬を逃すのは惜しいですね。
状況は分かりました。
私の方でもカハクについて調べてみます。
魔王城には数万冊の蔵書を誇る図書室もありますので。
なにかしらの手掛かりが掴めるかもしれません」
「ああ、なにか分かったらまた教えてくれ。
じゃあ俺はそろそろ寮に戻るぞ。
寮母の婆さんに夜の外出がバレたら面倒な説教が待ってるからな」
「ふふ、それは大変ですね。
魔王様もどうかお気をつけて」
軽く手を振るルシウスに背を向け、俺はゲートリンクをくぐり女子寮の自室に戻るのだった。
◇ ◇ ◇
翌日の昼休み。
俺は学院の裏庭でパンを頬張りながら情報の整理をしていた。
視界の先では風にそよぐ草がゆったりと揺れている。
カハクについては午後の講義のあとにフィオネに尋ねるとして――そこからどうする?
仮にカハクの調合した毒薬が原因だったとしても、そんなものが帝国の市場に出回れば誰かがとっくに気付いているはず。
それに、森の奥深くに潜むカハクを人間がみつけられるとも思えない。
そもそも本当に実在しているのかも怪しいくらいだ。
「なあ、テイレシアス?
伝承だとカハクはどこに姿を隠したことになってるんだ?
なにか情報があるなら教えてくれ」
『ふむ……そうじゃのう。
伝承上では獣も道を見失うほどの深淵の森に棲むとされておるな。
妾も実際の姿を見たことはない。
本当に実在しておるなら是が非でも拝んでみたいくらいじゃ』
獣も道を見失うほどの深淵の森ねぇ。
テイレシアスですら姿をみたことないのに、俺たちが探し回ったところでみつけられるのか?
解決までの道のりはまだまだ遠そうだな。
と、その時
――地方の…………くせに…………ですか?
遠くの方で騒いでいる声が聞こえてきた。
その声音は張りつめていて、どこか怒気を含んでいる。
くそ、誰だよこんなところで。
喧嘩でもしてるのか?
好奇心に煽られ立ち上がると、スカートについた埃を払い、足音を忍ばせながら言い争いの聞こえる方に向かうのだった。




