第044話 黒い斑紋(前編)
「ハクア様。
私の従者に植物に精通している者がいます。
魔国領には樹妖と呼ばれる魔力を帯びた植物も自生していますし、その従者に尋ねれば、なにか解決の糸口が掴めるかもしれません」
俺の申し出に、ハクアは腕を組んだまま沈黙し、わずかに視線を泳がせた。
帝国内には樹妖など存在しない。
事件との関係性を疑っているのだろう。
だけど、誰かが帝国内に持ち込んだ可能性だって充分にありえる。
樹妖が黒斑病のような症状を引き起こしている可能性もゼロではないはずだ。
「樹妖ねぇ…………確かに可能性はあるかも」
ハクアが眉間にシワを寄せながら呟いた。
「帝国の薬師は樹妖についてそこまで知見がないし。
いいわ。
一度その従者に聞いてみてもらえる?」
「はい、任せてください。
勇者殿はフィオネ殿の付き添いをお願いします。
もう夕暮れ時ですし、ひとりで帰すのは心配ですから」
「わかりました」
勇者が快く頷いたのを確認し、俺はひと足先に修道院をあとにした。
今の俺にはゲートリンクがある。
魔王城に戻って、ルシウスから直接話を聞くのが一番だ。
足早に女子寮の自室に戻ると、部屋の中ではリアンとルーシーが並んでベッドに寝そべり、分厚い本を読みふけっていた。
いつの間に仲良くなったのか分からないが、最近はふたりでいることが多い。
「今日は珍しく遅いあるね?
学院でなにかあったあるか?」
俺に気付いたリアンがキョトンとした顔で尋ねてくる。
「ああ、ノブリージュ活動で新しい依頼があってな。
とある人間の領で蔓延ってる病いの原因を突き止めることになった。
ルーシー?
今からゲートリンクって使えるか?
魔王城に戻ってルシウスに聞きたいことがある」
「は、はい、いつでも使えますよぉ!
すぐに準備しますね!」
ルーシーは慌てて本を閉じると、壁に貼っていたポスターをペリペリ剥がしはじめた。
突然の来訪者に備え、呪符を隠すためにルーシーが持ってきたものだ。
ちなみにタイトルは『おてんば令嬢の変装』
なんでも、都内で最近流行ってるラブロマンス小説のポスターらしい。
恥ずかしがり屋の令嬢が男装して、密かに想いを寄せる男性に接近するという筋書きだそうだが……これって俺と状況が似てないか?
本音をいえばラブロマンス小説のポスターなんて自分の部屋に貼りたくなかったが、リアンの持ってきたサイクロプスの咆哮ポスターよりかは数倍マシだった。
そんなことを考えているとルーシーがポスターを剥がし終え、呪符で形成されたゲートリンクが姿を現す。
「すぐに戻るからゲートリンクはこのままにしておいてくれ。
万が一、寮母の婆さんが来ても寝たふりしとけば諦めて帰るはずだ」
「わ、分かりましたぁ!
しばらくこのままにしておきますね」
大げさに敬礼するルーシーを尻目に、俺はゲートリンクをくぐった。
一瞬で景色が変わり、目の前には魔王城の荘厳な内観が広がる。
それにしても未だにこの重厚さに慣れない。
間違えてガルディア城に来ていないか心配になるくらいだ。
しばらく廊下を進んでいると、前方から足元のおぼつかない人影が近づいてきた。
イレーネだ。
いつもの凛々しい雰囲気とは違って、今日はひどく顔色が悪い。
目元には疲労の影さえ浮かんでいる。
「マキナ殿でしたか……いつお戻りに?」
「ああ、ちょっとルシウスに用があってな。
それより大丈夫か?
顔色が悪いぞ?」
「い、いえ……少し気分が悪くなってしまいまして。
しばらく部屋で休めば治るので大丈夫です。
お気遣いありがとうございます」
それだけ言い残し、イレーネはふらふらとした足取りで廊下の奥へと消えていった。
いったい、何があったんだ?
首を傾げてその背中を見送っていると、ちょうどよく廊下の向こう側からルシウスが現れた。
なぜか手にはギガントードの足をぶら下げている。
なんでそんなもん持ってんだよ……
「魔王様? 急にどうされましたか?」
「ああ、ちょっとおまえに用があってな。
それよりイレーネのやつどうしたんだ?
かなり顔色が悪そうだったぞ」
俺が尋ねるとルシウスはバツが悪そうな顔を浮かべた。
「…………おそらく私が原因かと。
日頃の感謝の意味も込めてキョンシー達にスープを振る舞ったのですが、私の食材の下処理が不充分だったのかもしれません。
イレーネ殿に作り方を教えてほしいと申されたので一緒に沼地へ食材調達に行ったのですが、ギガントードを捕まえたあたりでイレーネ殿の様子がおかしくなりまして。
そこからギガントードを締めて皮を剥いでいるとイレーネ殿が部屋に戻りたいと言いはじめたのです。
おそらく腹痛なのだと思いますが」
なるほど、そういうことか。
ルシウスが食材の下処理をミスるとも思えないし、おおかたスープに鳥肉でも入ってると勘違いしたんだろう。
帝都でカエル肉なんて流通してないし、ギガントードを締める作業はそれなりにグロいからな。
ギガントードの皮剥ぎなんて見た日にゃあ、食欲も消し飛ぶってもんだ。
「まぁ本人も少し休めば治ると言ってたし大丈夫だろ」
「だといいのですが……」
「イレーネのことはいったん脇に置いといて本題に入りたいんだが、ルシウスは黒斑病って知ってるか?」
俺が問いかけると、しょんぼりしていたルシウスの眉がピクリと動いた。
「――黒斑病ですか?
黒い斑紋が葉や茎に現れる植物特有の伝染病ですよね?
それがどうかしましたか?」




