第043話 修道院
フィオネの母親が療養しているのは南区の一角に建つガルディア修道院とのことだった。
ここには癒しの魔法を扱える修道士や医師たちが多数在籍しており、日夜、病人やケガ人の看護にあたっているらしい。
「見えてきました。あれが修道院です」
南区の裏通りを進んでいると、フィオネが少し先を指差した。
街並みの向こうに乳白色の石で築かれた聖堂建築が姿を現す。
中央に掲げられた鐘楼の尖塔が空へ伸び、その周囲を薔薇の蔦を模したアーチが彩っていた。
正門の両脇には木の根を全身に絡ませた異形の彫像がどっしりと構えている。
どこかで見覚えがあると思ったら、あれだ。
商業ギルドの三角屋根にも似たような像が奉られてたはず。
あれは帝都の象徴なのだろうか。
修道院前の広場でぼんやりそんなことを考えていると、フィオネがキョロキョロ周囲を見渡しながら呟いた。
「ええっと、このあたりで聖女様と待ち合わせてるんですけど……」
ん? 聖女様?
聞き覚えのある言葉に顔を上げると、遠くでぶんぶん手を振っている女の子に気づく。
肩まで伸びた純白の髪に身の丈ほどある司祭のローブ。
どこからどうみてもハクアの姉御だった。
「マキナじゃない! 久しぶりね!」
こちらに駆け寄ってきたハクアが嬉しそうに喋りかけてくる。
「お、お久しぶりですハクア様」
「コルキス皇帝陛下との謁見後に別れたきりだから2ヶ月ぶりくらいかしら?
だけど、あんたも薄情よね!
あの日から全然連絡をよこしてくれないもの!」
「い、いえ、単に忙しかっただけですよ。
私もはじめての学院生活に戸惑っていたので。
それに、あの時お借りした宿代もちゃんと覚えてますし」
「宿代って――まだそんなこと覚えてたの!?
あれはあんたにあげたんだから返さなくていいの!
それだと私が催促してるみたいじゃない!」
ぷんすかと口を尖らせるハクアに思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「まぁいいわ、それで?
あんた達はどうしてガルディア修道院に来たの?」
ハクアが俺と勇者を交互にみつめながら不思議そうに尋ねてきた。
「私とマキナ殿はノブリージュ活動の一環で来ています。
未知の病いの解明に取り組んでほしいとクレア先生から依頼されたので」
「ノブリージュ活動? なにそれ?
まぁ、おおかたクレア先生が思い付きで始めた活動なんでしょうけど。
それでも解明にあたる人は多いにこしたことないし歓迎するわ。
時間も限られてることだし早く中に入りましょ!」
呆れ顔でため息をついたハクアが急かすように俺の背中を押してくる。
中庭を取り囲むように続く修道院内の回廊を歩いていると、ハクアが今の状況を簡潔に説明してくれた。
「病いの原因は未だに分かっていないわ。
帝国中の薬師がありとあらゆる薬草を調合して試してるけど、どれも全く効果なし。
はっきり言ってお手上げ状態よ」
「ハクア様の聖女の力でも治せないのでしょうか?」
「私の癒しの力でも無理。
病人の体力は回復できても完治まではできない。
症状の進行を遅らせるだけで精一杯だわ」
ハクアは悔しそうに唇を噛みしめながら、ある扉の前で足を止めた。
ドアを静かに開けると、フィオネの母親らしき女性がベッドの上で静かに寝息を立てている。
蒼白い肌に汗ばんだ額。
みるからに顔色が悪く、時折苦しそうに眉をひそめている。
「…………お母様」
フィオネはベッドに近づくと母親の額の汗をぬぐい、その場にしゃがみ込んだ。
その背後で、俺は手がかりになりそうな症状を黙々と探す。
なにかテイレシアスへのヒントになるものはないか。
手、腕、顔……と順に目を走らせていく。
そのとき、ふと気づいた。
首筋に楕円状の黒い斑紋がうっすら浮かび上がっていることに。
――なんだ、この斑点?
俺が眉をひそめた瞬間、テイレシアスがぼそりと呟いた。
『…………黒斑病じゃな』
「黒斑病?」
俺が反射的に復唱するとハクアが驚いたように振り返ってくる。
「あんたよく知ってるわね!
そう、黒斑病みたいな病斑が体の節々に現われてるのよ。
だけど黒斑病は植物が患う病気。
人間が発症した事例なんて今まで聞いたことがない。
だから余計に分からないのよね……」
『うむ、確かにこの娘のいう通り黒斑病は植物に現れる病気じゃ。
基本的に人間には伝染せん。
じゃが――大昔、人間に似たような症状が広がったことがあったはずなのじゃが……うーむ、どうしても思い出せん』
悩ましげな声でテイレシアスが呻く。
賢者のくせに大事なとこ忘れるなよ。
だけど植物が関係してそうなとこまでは分かった。
となると、こっちにも適任者がいる。
ルシウスだ。
ルシウスは体内に魔喰樹と呼ばれる植物を飼い、魔力が体の外に溢れ出さないようにしている。
妖狐特有の膨大な魔力を混血であるルシウスは制御できなかったからだ。
それゆえルシウスは幼小期に魔喰樹の種をむりやり食べさせられ、魔力の一部を魔喰樹に与える代わりに植物を使役する能力を身に付けた。
植物に関する知識ならあいつに勝てるやつなんているはずない。
ひょっとして、すぐに解決できるかもしれないな。
顎に手をあて考えを巡らせていると不意に修道院の鐘が鳴り響いた。
窓の外をみると薄っすら日が暮れかけようとしていた。




