第036話 呻きの洋館⑩
俺が横槍を入れたことでイレーネとルーシーが呆気にとられた顔を向けてきた。
唐突な提案にどう反応すれば良いのか戸惑っているようにみえる。
「今は私の側近しか住んでいないので空き部屋ならいくらでもあります。
魔国領にあるので人間が訪れることもありません。
寝泊まりするだけなら充分ではないかと」
「ま、魔王城ですか……」
イレーネは言葉を詰まらせた。
「確かに我々にとっても理想的な場所ではあります。
ですが、私たちにはあなたに支払える宿賃がありません」
俺の提案に頷きながらも、イレーネは気まずそうに目を逸らす。
「いえ、宿代なんて要らないですよ。
城内は蜘蛛の巣だらけだし、青臭い蔦も壁中に絡みついてるし、お世辞にも綺麗な場所とはいえないですから。
宿賃代わりに掃除でもしてくれたら助かるくらいです」
「む、無償で暮らしていいと!?
ですが本当によろしいのですか!?
魔族でもない我々が魔王城で暮らすなんて。
それも何十人も――」
イレーネが目を見開き、言葉を続けられず口をパクパクさせている。
「別に私は構いませんよ。
勇者殿もそれでよろしいですよね?」
気の抜けた顔のイレーネに答えつつ、俺は改めて勇者に話をふった。
「マキナ殿がそう仰ってくれるなら私も賛成です。
ハワードさんの依頼も解決しますし、彼女たちを騎士団に引き渡さずに済む。
むしろ、これ以上の解決策はないと思います」
勇者はほっと一息つくと聖剣を鞘に収めた。
聖剣の力が解除され光の粒子状に霧散する無数の白剣。
瞬く間に部屋の中が暗闇に包まれる。
丸くおさまりそうな気配を感じとった俺は両の手をパチンと鳴らした。
「よし! 決まりですね!
それでは日が昇る前に撤退の準備を進めましょう。
私は魔王城にいる側近に一筆書きます。
いきなり押しかけると混乱するでしょうから。
その間に手分けして洋館に施されている呪術を解除してもらえますか?」
「わ、分かりましたぁ!!
すぐに呪符を剥がしてきますぅ!!」
俺の指示を受けたルーシーが大袈裟に敬礼すると、ドタドタ走りながら部屋から出ていく。
その跡を追うようにほかのキョンシーも退出したため、部屋の中は俺と勇者、そしてイレーネだけになった。
なんだかんだで穏便に片付きそうだな。
俺もルシウスに事情を説明する言い訳でも考えるか。
あいつが元人間のキョンシーと共同生活を送れるか不安ではあるが、まぁあがり症を改善するいいきっかけにもなるだろう。
そんなことを考えながら近くの机に向かうと、椅子に腰掛け、羽ペンを手にとる。
すると、イレーネが訝しげな表情を浮かべ俺の元に近づいてきた。
「どうしました?」
「…………いえ、正直に言えば何か裏があるのではないかと勘繰っています。
なぜ魔王でもあるあなたが見ず知らずの私たちに住居を恵んでくださるのか。
死体とはいえ私たちは元人間。
ふつうに考えればありえないので」
イレーネの問いかけに俺は肩をすくめた。
「裏なんてないですよ。
まぁ確かに魔族は好戦的でどうしようもない輩が多いです。
だけど人間社会から爪弾きにされた私を快く受け入れてくれたいい魔族もいます。
私はその時に受けた恩を返しているだけです」
「…………そうですか」
イレーネはそれだけ言い残し、部屋から出ていった。
やっぱりまだ信用されてないみたいだ。
まあ疑われるのも無理ないか。
実際、俺も魔国領に迎え入れられた当初は半信半疑だった。
何もできない俺に食べ物を恵んでくれるなんて、おかしいと思っていたし、後から臓器単位でバラされるんじゃないかと怯えていたのを覚えている。
だけど、そんな疑念を一掃してくれたのが、第一塔の魔族たちだった。
塔首のエミスをはじめ、鬼人のマルクスや獣人のラナ。
他の塔の魔族とは違い、彼らは俺を仲間はずれにせず対等に接してくれた。
どんな相談にも応じてくれたし、混血であることをバカにしたりもしなかった。
小汚い路地裏でひとりぼっちだった頃とは雲泥の差だった。
こんな日々がずっと続けばいいのにと思っていた矢先に、第一塔は崩壊してしまったわけだが。
昔のことを思い出しながらルシウス宛ての手紙を書き終えると、それを三つ折りにして封をする。
俺が魔王になって成し遂げたかったこと――それは第一塔のような暮らしを取り戻すことだ。
友好的な魔族の拠り所となる居場所を作り、昔のように平穏に暮らす。
俺の望む魔国領はそんな場所だ。
その第一歩として、行き場のないキョンシーたちを魔王城に招き入れる。
イレーネの疑う裏があるとすればその程度だろう。
そこから先の展開は予想以上に早かった。
ものの数分で呪符を剥がし終えたキョンシーたちが戻ってくると、いつの間にか洋館に張り巡らされていた嫌な感覚も消えていた。
聞けば呪術によってキョンシーたちは壁の中を自由に出入りできたらしく、俺たちが油絵から感じていた視線も壁の中からこちらを観察していたのが原因だった。
術式について熱心に教えてくれるルーシーだったが俺の頭ではさっぱり分からなかった。
そのあとも俺の想像よりずっと早くキョンシーたちの荷造りは片付いてしまった。
そもそもの私物が少なかったのもあるだろう。
ひとりひとりの持ち物がカバンひとつくらいしかない。
正門前にキョンシーを集めた俺は先ほど書いた手紙とテイレシアスの助言を元に作った地図をイレーネに手渡す。
「魔王城についたら妖狐のハーフにこの手紙を渡してください。
置かれた状況を理解してもらえるはずです。
それと、魔王城までの道のりを簡単に地図に描いてみました。
地図に沿って向かえば迷うこともないはずです」
驚いた顔で手紙と地図を受け取ったイレーネは胸の前で手のひらに拳を打ちつけ、深々と頭を下げた。
他のキョンシーたちもそれに倣って同じポーズをとる
「なにからなにまでありがとうございます。
おふたりにはご迷惑をお掛けしました。
この洋館の持ち主にも私の代わりに申し訳なかったと伝えてください。
それでは、おふたりも夜道にお気をつけて」
そう告げると、キョンシーたちは一瞬のうちに姿を消した。
流石に武闘家の身のこなしだ。
あれなら帝都の人間に気づかれることもないだろう。
残された俺はぐっと伸びをして、隣にいる勇者に向き直る。
「なんだかんだで丸くおさまりましたね。
私たちも早く商業ギルドに戻って結果を報告しましょう。
ハワードさんが心配してるでしょうから」




