第035話 呻きの洋館⑨
無数の鉄のリングを腕に嵌めた者や三節棍を胸の前で構えた者。
鉄の扇子を手に持ち、優雅に仰ぎながら近づいてくる者もいる。
どのキョンシーも何かしらの武術を極めた達人に違いない。
揃いも揃って並々ならぬ気力を漂わせていた。
「この状況を前にしてまだ虚勢が張れますか?」
八卦棍を俺に突きつけていたイレーネが冷たく微笑んだ。
死者とは思えないほど整った容姿だが、その目はまるで氷のように冷たく、俺をまじまじと値踏みするように睨んでくる。
「確かにこの状況は予想外です。
あなた方のような武闘家が洋館に潜んでいるとは思いもしませんでした」
ジリジリと後退しながらイレーネに答えるも、胸の内は穏やかじゃない。
どのキョンシーも達人クラスの武闘家だろう。
それに不死という特性まで兼ね備えている。
仮に武術が効くとしても、今の状況では明らかに不利だ。
勇者を人質に取られでもしたら、この場はどうしようもなくなる。
頭の中に「撤退」の2文字がちらりとよぎる。
その時、ふと目を向けるとソファーに座っていたはずの勇者がいない。
次の瞬間――黒い影が目の前を横切り、イレーネの八卦棍を荒々しく弾いた。
「つっ……!!」
衝撃が手に伝わり、イレーネが顔をしかめる。
すぐにバックステップで身を引き、棍を弾いた相手を睨みつけた。
純白の剣を手にした見覚えのある人影。
俺の前に割り込んだのは、ついさっきまで気を失っていたはずの勇者だった。
戦闘に集中しているのか、勇者は俺に声をかけることなく踏み込むと、一瞬のうちにイレーネの背後に回り込み聖剣を振り抜く。
すかさずイレーネも八卦棍を後ろに打ち払うが表情に余裕はない。
目にも止まらぬ速さで聖剣を振るう勇者にイレーネは赤子のように翻弄されていた。
「まじかよ……」
俺は唖然とするしかなかった。
これが勇者の戦う姿なのか?
もはや人間の動きじゃない。
周囲のキョンシーたちも、イレーネの邪魔になることを恐れて助太刀に入れないほどだ。
レベルの概念を超えた勇者だからこそ踏み込めた領域なんだろう。
イレーネも負けじと無数の突きを放つが、勇者に一瞬で打ち捌かれ、棍と剣の触れた箇所から激しい火花が散る。
劣勢ではあるがイレーネの動きも常人離れしている。
むしろ、幻影の残るような勇者の動きにここまで食らいつけているのが異常なくらいだ。
「この人間離れした身のこなしに純白の剣。
なるほど……これが聖剣に適合した勇者ですか」
イレーネが冷静に言い放った。
その言葉には感嘆と警戒の色が混じっている。
「ただ、この動きは人間の到達できる限界をはるかに越えています。
あなた、なにか良からぬものに手を出していますね?」
勇者との間合いを一気に広げたイレーネが強い口調で問いただす。
イレーネも感じ取ったのだろう。
勇者がレベルの上限を突破していることに。
俺たちの世界では、その者の成長度合いを特殊な水晶を通して確認することができる。
この成長度合いをレベルといい、世間一般では99が上限とされているわけだ。
この上限を超えた者は過去にひとりもいない。
ただ、勇者はなんらかの方法でこれを突破しているはず。
そうじゃなければあの異次元の動きは説明できない。
「…………良からぬものですか」
勇者は静かに笑った。
だが、その笑みにはどこか含みがあった。
「ふふ、私はあなたが思っているような怪しげな呪術に手を出してはいませんよ。
ただ血の滲むような鍛錬を積んだだけです」
涼しい顔で聖剣を構える勇者。
あれほどの剣捌きをみせておきながら顔に汗ひとつかいていない。
おそらく勇者は少しも本気を出していないのだろう。
相手を生け捕りにするため、手加減しているようにさえ見える。
「戯言を……」
イレーネは冷笑しながら答えた。
「ただ鍛錬を積んだだけでその領域にたどり着けるはずがありません。
まぁいいでしょう。
私たちも人間から恐れられた不死のキョンシー。
実力差がいくらあろうと、不死身である我々の敗戦はありえません」
八卦棍をくるくる回し、イレーネが再び応戦する構えを取る。
確かに不死身である限り彼らを捕縛するのは難しい。
時間経過で回復されれば、どんな拘束具も意味をなさない。
どれほどの効果があるのか分からないが、この場は勇者に任せて俺は化粧台の鏡を取りに行った方がいいか。
「勇者殿!」
俺は急いで口を挟む。
「奴らの弱点は鏡です!
鏡に映る自身の姿をみせれば、奴らは不死身ではなくなります。
生け捕りにするのであれば、この場を少々お任せしてよろしいでしょうか?
近くの部屋にあった化粧台から鏡を取ってきますので」
俺が部屋のドアに向けて一歩踏み出すと、勇者が腕で俺の道を遮った。
「なるほど、鏡ですか。
助言ありがとうございます。
ですが聖剣の力があれば化粧台の鏡は不要です」
そう言うと、勇者は聖剣の切先を天井に掲げた。
すると、虚空から無数の白剣が次々と現れ、あっという間に部屋中が覆い尽くされる。
それらの剣身が鏡のように煌めき、キョンシーの姿をあますことなく映し出した。
なるほど。
聖剣にはこんな使い方もあったのか。
俺が感心していると、勇者が目の前で呆然と佇むイレーネに聖剣を突きつける。
「マキナ殿以外は全員その場に身を伏せなさい!!
拒否する者がいれば即座に首を刎ねます!!」
勇者が声を張り上げると、怯えた顔をしたキョンシーたちが一斉に身を伏せ始めた。
やはり鏡の効果は絶大だったみたいだ。
さっきまで反抗的だったキョンシーたちが、今ではすっかり従順になっている。
気が付けば、立っているのはイレーネとその妹のルーシーだけになっていた。
「――どうしたのですか?
あなた方も早く身を伏せてください。
このあと帝都の騎士団に引き渡しますので」
勇者が再度要求するもイレーネは指示に従わない。
みかねたルーシーがオロオロとイレーネの袖を引き、身を伏せるよう促しはじめる。
「イレーネ姉さん……諦めましょう。
抵抗しても勝ち目がありません」
「…………忌々しい人間どもめ」
イレーネはルーシーを無視して吐き捨てた。
「私たちがなにをしたというのだ。
ただ空き家に身を隠し、ひっそり暮らしていただけではないか。
薄っぺらい正義をかざして、邪魔な存在を僻地へ追いやる。
お前たち人間はいつもそうだ。
その澄ました顔を私は絶対に忘れない。
いつかこの日の所業を後悔させてやる……!」
その言葉はまるで呪詛のように重く響いた。
イレーネの憎しみに満ちた視線に勇者も目を泳がせる。
俺には言われ慣れていない言葉を浴びせられ、口が詰まっているようにみえた。
俺も人間に迫害されてきた過去があるため、キョンシーの気持ちも痛いほど分かる。
まさか俺が人間側になるとは思いもしなかったが、どうにかならないものか。
キョンシーからすれば誰にも干渉されない居場所があればいいんだろうが…………待てよ。
あるじゃねーか!
空き部屋の大量にあるちょうどいい物件が!!
「え、え〜っと、少しよろしいでしょうか?」
思いきって言葉を切り出す。
「行き場所がないのであれば私の領にある魔王城で暮らすのはどうでしょう?」




