第034話 呻きの洋館⑧
目の前でケロッとしているキョンシーをみるに少しもダメージを負っていない。
普通の人間であれば打たれた衝撃が浸透し、なにかしらの身体不調を引き起こすはず。
どんな装備で全身を覆っても俺の内向は防げないはずなんだが。
どういう体の構造してんだこいつ?
わけが分からず首を傾げていると、テイレシアスが頭の中で話しかけてきた。
『キョンシーは死んだ者の肉体を蘇らせた存在じゃ。
それゆえ肉体への打撃は無意味。
いくら内功を打ち込んだところであやつを倒せはせんぞ!』
なんだよそれ……ほとんど無敵じゃねーか!
ってか、そういう情報は早く教えろよな!
『まずは奴らの弱点である鏡をかざした方がいい。
キョンシーは鏡に映る自らの姿を見ることで弱体化する。
その状態のキョンシーであれば、おぬしの武術も通用するはずじゃ!』
「鏡って……あの化粧台のやつか!」
俺が部屋のドアに視線を向けると、キョンシーが慌てて目の前に回り込んできた。
「ど、どうして私たちの弱点が鏡だと分かったのですか?
ここは通さないですぅぅ!
人間たちに悪さをするつもりもないので私たちのことはほっといてください!!」
「あなた方は良くても、この洋館の持ち主が困っているのです!
私も報酬を受け取ったからには引き下がれません!
あなたには悪いですがここは押し通らせていただきます!」
有無を言わさず距離を詰めると、前手を払いのけ全体重を乗せた突きを打ち込む。
だが、素早く体を反転させたキョンシーにいなされ、逆に雨のような掌底が打ち込まれた。
およそ少女の繰り出すものと思えないほどひとつひとつが重い。
受け止めるだけで衝撃が体内に浸透し、体の節々が悲鳴を上げる。
おそらく、歩法や体の回転を巧みに使うことで俺の視界を外しているのだろう。
ありとあらゆる方向から繰り出されるため防ぎきれない。
小柄な見た目からは想像できない達人技だ。
たまらず距離をとるとキョンシーが必死な顔で訴えかけてきた。
「け、形意拳の直線的な動きは八卦掌に通用しません!
これ以上続けても時間の無駄です!
お連れの方と共に早く洋館から立ち去ってください!」
鏡を持ち出されるとよほど困るのか、キョンシーは後ろのドアを気に掛けながら俺を引き留めようとする。
こりゃなんとしてもここを突破しねぇと。
「確かにあなたの言う通りですね。
形意拳は直線的な動きが多いですから。
では、こんな型ならどうでしょうか」
俺はそう言って、両腕を円を描くように回転させ、爪を向ける構えを取った。
龍形拳――これまでとは違う新しい型だ。
形意拳の基本の型、五行拳から派生した十二形拳のうちのひとつ。
龍の動きから編み出されたこの型は、力強さに流動性を加えたもので、まさに八卦掌に通じる柔軟性を持つ。
形意拳の力強さに流動性を加えたこの型ならこいつにだって通用するはず。
見たことのない構えだったのかキョンシーは眉をひそめた。
先ほど無数の掌底を繰り出したせいか、少しだけ疲れの色も見える。
両者の間に緊張が強まった瞬間、キョンシーが息を整えるべく、ほんの一瞬体が弛緩したのを俺は見逃さなかった。
すかさず相手の懐に潜りこむと龍の尾がうねるように腹部を蹴り上げる。
寸前のところで両掌に遮られるも、衝撃を受け流しきれなかったのか顔をしかめている。
間髪入れず肘を打ち込み相手を宙に浮かせると、片腕をつかみ、背負い込むかたちで地べたに叩きつけた。
受け身も取れないまま床に打ちつけられ、キョンシーが声にならない呻き声をあげる。
「――勝負ありですね」
俺は手のひらに付いた埃を軽く払いながら勝ち名乗りを上げた。
こいつが復活する前に早く鏡を手に入れねぇと。
急いで部屋を出ようとしたその時、微かな風切り音が耳に届いた。
反射的に身を翻すと、細長い棒のようなものが目の前をかすめていく。
この形状――八卦棍か?
飛んできた方向を睨みつけると、そこには身の丈ほどある棍を手にした女が立っていた。
腰まで届く亜麻色の髪に青白い肌。
先ほどまで対峙していたキョンシーと同じ四角い帽子を被っている。
おそらく、今倒した奴の仲間だろう。
しかも只者じゃない。
魔力は感じないが、とてつもない気力を全身から漂わせている。
「大丈夫ですかルーシー?」
「は、はい、イレーネ姉さん。
私は大丈夫です」
倒れていたキョンシーが呼びかけに応じてヨロヨロと立ち上がった。
やりとりを聞くに現れたのはこいつの姉か?
気力だけに着目すれば、おそらくエミスと同等。
いや、それ以上の達人だ。
まさか、この一族にこんな強者が隠れていたとは。
しかも、この場で鏡を持っていなければ俺の武術も通用しない。
これはまずいことになった。
どう打開するか必死に策を練っていると、棍を手にしたキョンシーが優しく微笑みかけてきた。
「ご挨拶が遅れました。
私はこの一族を束ねるイレーネと申します。
まさか我々以外に内気功武術を心得た人間が居たとは驚きです。
良い師匠から教わったようですね」
「――そうですね。
私の師匠は変わり者でしたが魔族との混血である私を鍛えてくれた恩師でもありました。
今はもうこの世を去ってしまいましたけど」
無駄話にすぎないとわかっていても、少しでも隙を見つけようと言葉を交わす。
だが、イレーネはまるで隙を見せない。
戦闘を避けてこの部屋から出るのはおそらく不可能だ。
「さて、本題に入らせていただきます。
客人のご令嬢――」
イレーネは棍を軽く振り、淡々とした口調で呟いた。
「この案件から手を引いていただけませんか?
あなたも魔族との混血ならご存知でしょう。
人間とは違い私たちには行き場がないのです」
「あなたの言いたいことも分かります。
ですが、もし断ると言ったらどうするのですか?」
俺が再び構え直すと、イレーネは八卦棍をピンと突きつけてきた。
先ほどまでの微笑みは消え失せ、その瞳は鋭く殺気を放っている。
「私たちも武術を極めた同志を殺めたくはありません。
ですが、あなたがその気なら仕方ない。
もう少し利口なのかと思っていましたが残念です」
イレーネはわずかに口元を歪めた。
「先に断っておきますが、あなたが勝てる可能性は万にひとつもないですよ。
武術を極めた達人は私たちふたりだけではないのですから」
八卦棍を構えたイレーネが意味深なことを口走る。
どういう意味だ?
俺が眉をひそめると、どこからともかく何十人ものキョンシーがわらわらと姿を現した。




