第032話 呻きの洋館⑥
突然なに言ってんだこいつ?
ぼそぼそした声で聞き取りづらかったが、お化けが怖くないかだって?
いや、そんなこと勇者が尋ねてくるはずねぇし、俺の聞き間違いだよな。
「え、え〜っと……もう一度仰ってもらえますか?
少々聞き取りづらかったもので」
「す、すみません。
お化けが怖くないのかと、先ほどは尋ねました……」
尻すぼみに小さくなる声で勇者が同じ問いを繰り返す。
俺の聞き間違いじゃなかったのか……
でも、なんでまたそんなことを急に?
さっぱり分からん。
「う〜ん、怖いかと聞かれましても。
今まで考えたことがなかったですね。
そもそもお化けなど私は信じていませんし、こう見えても当代の魔王なので。
これといって怖いものなどありません」
「そ、そうですよね。
すみません、変なことを尋ねてしまって。
正直に言うと私は小さい頃からずっとお化けが苦手なんです。
今でも暗闇に目が慣れず足がすくんでしまって」
そう口にする勇者の足元に目を向けると、微かに膝が震えていることに気付いた。
まじかよ。
まさか数多の人間から選ばれた勇者がお化けなんかにビビってるとは。
ってか、どうすんだよオペレーション・スケアブリッジの作戦は?
頃合いを見計らって幽霊を怖がる素振りでも演じようと思ってたのにさっそく破綻したぞ。
「呻きの洋館に入ってしまえば大丈夫と心の中で念じていたのですが、やはりダメでした。
変ですよね。
勇者がお化けを怖がるなんて」
困惑する俺を尻目に勇者が沈痛な面持ちで俯く。
いや、別にそこまで引け目を感じなくても。
ルシウスなんてあがり症を拗らせ過ぎて、ちょっとしたことでカチコチになるってのに。
対象が幽霊に絞られるだけまだマシだぞ。
そう考えると段々可哀想に思えてきた。
「いえ、誰にでもひとつくらい苦手なものがありますよ。
それが勇者殿の場合はたまたまお化けだっただけでは?
そこまで気になさらなくてもいいと思います。
足がすくんで動けないのなら私がおんぶしますから。
武闘家ゆえ足腰の強さには自信がありますので」
そう言って、俺は背中を向けてしゃがみ込み、勇者におぶさるよう促す。
だが、勇者は黙って俺の背中を見つめるだけだった。
まぁ、勇者も男だし同年代の女におぶられるのは思うところがあるんだろう。
俺なら絶対に嫌だし。
「…………どうしてマキナ殿はそこまで懇意にしてくれるのですか?
辻斬りランセルという蔑称を含め私の前科を既にご存知なんですよね?」
かすかな沈黙の後、勇者が思い詰めた顔で切り出した。
想定外の問いかけに俺の動きが一瞬固まる。
――なんで勇者の噂を知ってることがバレてんだ?
まさかジッポウの存在が勇者に漏れてる?
いや、そんなはずはない。
仮にジッポウの隠密調査が勇者に筒抜けであれば、その場で拘束されているはず。
それにハクアの姉御が話したとも考えにくい。
おそらく勇者が想像で口にしてるだけだろう。
平静を取り戻し背後を盗み見ると、勇者はもの寂しげに肩を震わせていた。
これは知らない振りを装っても、見抜かれる可能性が高そうだ。
ここは正直に話すか。
「ええ、知ってます。
帝都で噂を耳にしました。
罪のない町娘の首を刎ねた事件ですよね?」
「はい……そうです。
やはりご存知でしたか」
「ですが、信じているわけではありません。
私は眉唾物の噂話しより自分の目で見た直感を大切にしていますので。
すくなくとも勇者殿はそんなことをするお方にみえない」
勇者に向き直り自分が思っていたことを正直に伝える。
すると勇者は驚いたように目を見開いた。
「し、信じないと仰られても私は本当に――」
「本当に首を刎ねたのですか?
なにか話せない事情があるのではなく?
私もこれ以上深く追求するつもりはありません。
そもそも信じるも信じないも私の自由ですから。
私は私の直感に従う。
ただそれだけです」
実際の光景を見てもいない奴が噂を信じて相手を忌み嫌うなど魔族を毛嫌いする連中と同じだ。
俺はそんな奴らと一緒くたにされたくない。
目の前で呆気に取られている勇者を尻目に再び背中を向けるとおぶさるよう促した。
「さ、無駄話しはこれくらいにして出発しましょう。
あれだけの金銭を受け取ったからには早く原因を特定したいので。
これ以上嫌がるならこの部屋に置いていきますよ」
俺の催促に観念したのか勇者が背中にそっと寄り掛かってくる。
「あ、ありがとうございます……」
その声はまるで消え入りそうなほど小さく、聞こえてくるかどうかもわからないくらいだった。
寄りかかってきた勇者の金髪が頬に触れ、シャンプーの香りがふんわり鼻をくすぐる。
なんだよこのなんともいえない良い匂い。
それにめちゃくちゃ軽いなこいつ。
ほんとに男なのか?
勇者の体重に違和感を覚えつつ部屋を出ると、目的地の角部屋に向けて歩き始める。
窓から見えたあの人影は魔力を漂わせていた。
確実に魔力を宿した何者かがあの部屋に潜んでいるはず。
角部屋までたどり着くとドアノブに手をかけゆっくりとドアを開ける。
辺りを警戒しながら中に入ると天井までそびえ立つ重厚な本棚が目に映った。
本棚には色褪せた背表紙の古書がずらりと並んでいる。
ここは書斎かなにかか?
それにしてはやけに広い部屋だな。
部屋の隅には革張りのソファーとデスクがあり、デスクの上にはインクの瓶と羽ペン、そして大量の紙が無造作に散らばっていた。
ひとまず勇者をソファーにおろしデスクの上に散らばった紙に目を向ける。
この紙って、帝都の帳簿だよな?
なんでこんなところに?
怪訝に思い一枚だけ手に取ってみると、帳簿は羽ペンで書き殴った文字でびっしり埋め尽くされていた。
『ルーシー……ルーシー……ルーシー……ルーシー……ルーシー……ルーシー……ルーシー……ルーシー……ルーシー……ルーシー……ルーシー……ルーシー……ルーシー……ルーシー……ルーシー……ルーシー……ルーシー』
なんだよこれ気持ちわりぃ。
他の帳簿に目を通しても全てルーシーという汚い文字で埋め尽くされいる。
なんのためにこんなことを?
帳簿の異常な光景に眉をひそめていると、ふと目の前の窓から差し込む明かりに気付いた。
とっくに日は暮れて深夜だったはず。
どうして夕日が差し込んでんだ?
窓にかかったカーテンを捲り外の様子を伺うと、洋館に近づいてくる3人の人影が視界に入った。
初老のおっさんに金髪の男、それに赤髪の女がひとり。
全員どこかで見たことのある容姿だ。
目を細め凝視するとその3人がハワードと勇者、そして性転換している自分自身なことに気付く。
「ど、どうなってんだ?
あれって、洋館に入る前の俺たちじゃねーか」




