第028話 呻きの洋館②
午前中の講義が終わると学生たちは昼休みに入る。
時間にして2時間程度だ。
この時間に昼食をとるわけだが学院内に併設された食堂では、いかにも貴族の好みそうな高価な食事しか提供されていない。
当然、俺の払える金額なはずもなく、俺はいつも適当なパンをひとつ持参して学院の裏庭で食べることが多かった。
今日もいつもと同じ銅貨1枚のパンを片手に裏庭へ向かうと、木漏れ日の降り注ぐ地べたの上であぐらをかきパンを口に運ぶ。
『ノブリージュ活動とは人間は面白いことを考えるのう。
少女の怨霊に呻きの洋館。
妾の知的好奇心がくすぐられるわい』
呻きの洋館のことをぼ~っと考えながらパンを頬張っていると、脳内でテイレシアスが喋りかけてきた。
「おいおい、まさかお前まで幽霊の類いを信じてるわけじゃないよな?
基本的に人間は魔物のいたずらを幽霊が現れたと勘違いしてるだけだぞ?」
『くく、バカにするでない。
妾も幽霊などという存在は信じておらん。
十中八九、レイスやリッチといった魔物が絡んでおるのじゃろう。
じゃが、魔力の痕跡が残されていない点が気になる。
どんな魔族や魔物でも魔力の痕跡をひとつも残さず潜伏するなど不可能じゃ』
「…………そこだよな〜、俺も同じ意見だ」
魔族や魔物は常に全身から微量の魔力を放っている。
人間に比べて心身に宿した魔力量が多いからだ。
そのため、建物に身を潜めるといった隠密活動が苦手でもある。
ただでさえ姿を隠すのに適した体質ではないのに、魔法で心霊現象を引き起こそうものなら確実になにかしらの痕跡が残るはず。
帝都の騎士団がそんな痕跡を見逃すはずがない。
となると、魔力を宿していない人間のいたずらになるが、そんなことがありえるだろうか。
帝都の騎士団を怖がらせてまで洋館暮らしをする理由などないはず。
一歩間違えれば重罪に課せられる可能性だってあるのに。
ってことは、実は魔力を宿していない魔物や魔族がこの世に存在するってことなのか?
「なぁ? 魔力を持たない魔族や魔物なんてこの世に存在すると思うか?」
『少なくとも、妾の知っている限りではおらん。
身体に魔力を宿していないのは一部の人間、つまり貴族階級でない庶民だけのはずじゃ。
魔力の有無は血筋で決まるからのう』
「だよなぁ……」
テイレシアスですら知らないのであれば、やはりそんな魔物はいないのだろう。
だとすれば呻き声の犯人は誰なんだ?
魔族でも人間でもないなら、もはやクレアの言っていた没落した貴族の幽霊しか残っていない。
幽霊なんて存在するはずないんだが。
とりあえずリアンにも聞いてみるとするか。
最後のひとかけらのパンを口に放り込み女子寮の自室に向けて立ち上がる。
学院の裏庭をまっすぐ抜けて部屋に戻ると、リアンが紅茶をすすりながら鏡面状態のジッポウを通してルシウスと駄弁っていた。
くそ、こいつらだけ楽しそうにしやがって。
こっちは男の姿に戻ってしまわないか常にビクビクしてるってのに。
俺の部屋は暇を潰すためのカフェじゃないんだぞ。
ジト目でふたりを眺めていると俺に気付いたリアンがキョトンとした顔を向けてくる。
「お〜珍しいあるね。
マッキーがこんな時間に戻ってくるなんて」
「ああ、ちょっと面倒事に巻き込まれてな。
リアンに聞きたいことがある。
魔力を体に宿していない魔族や魔物がこの世にいると思うか?」
「なにあるか藪から棒に。
そんなのいるわけないあるよ。
そもそも魔族や魔物の体を構成する因子は魔力ある。
魔力を宿し過ぎた人間が進化の過程で突然変異したのが魔族。
同じように魔力を宿した動物の突然変異が魔物あるね。
つまり魔力を宿していない魔族や魔物なんて進化論上ありえないある。
妖狸の里の秘匿資料にそう書かれていたあるよ」
「そ、そうか……やっぱりいないか」
いつものアホっぽさを感じさせない博識ぶりを披露するリアンにたじろぎつつ、その場で腕を組み他の犯人を考えてみる。
少なくとも魔物や魔族ではない。
魔力を宿していない階級の低い人間、もしくは信じたくないが貴族の幽霊の2択だ。
どちらもありえない選択肢だが。
とりあえず、午後の講義が終わったら呻きの洋館とやらに行ってみるか。
解決した時の報酬も期待できそうだし、毎日パン生活もそろそろ限界だぞ俺は。
「魔、魔王様? ちなみに面倒事とは?
どんなことに巻き込まれたのでしょうか」
「例の筆記試験の補習だ。
ノブリージュ活動とかいう訳分からん活動をやらされることになった」
「…………ノブリージュ活動ですか?」
「ああ、人間社会では優れた能力を持つ者はその力を社会に還元する義務を負うらしい。
この考えをノブレス・オブリージュというらしく、学院ではその活動を略してノブリージュ活動というそうだ。
まぁ一種の奉仕活動みたいなもんだな。
そんで最初の活動が帝都にある呻きの洋館の調査になった。
なんでも夜な夜な呻き声をあげる幽霊がでるらしい。
ちなみに勇者もなし崩し的に巻き込まれて俺と一緒に調査することになったぞ」
「なるほど……奉仕活動ですか。
しかも幽霊とはまた眉唾物の噂を調べることになりましたね。
ですが、勇者も一緒ならオペレーション・クロスドレッシングを進めるチャンスですよこれ!」
「確かにそうだな。
講義が終わったら毎日とある部屋に集まることになってる。
同じ活動を通してなら積極的に喋りかけても怪しまれないはず。
さっそく親睦を深めるチャンス到来ってわけか。
あの勇者が毎日部屋まで来るのか知らねーけど」
「となると、すぐにでも親交を深める作戦を考えなければいけません!
呻きの洋館に幽霊の噂。
これを利用しない手はありませんね……」
鏡面の向こうでルシウスが顎に手を添え、なにやら意味深なことを呟いた。
嫌な予感がするぜ。
この流れは上目遣いの時と同じだ。
また勇者を硬直させるような事態にならなければいいが。
しばらく待っていると突如ルシウスがカッと目を見開き声を張り上げた。
「作戦が決まりました魔王様!!
名付けてオペレーション・スケアブリッジです!!」
「オペレーション・スケアブリッジ?」
唐突に決まった作戦名に思わずぽかんとしてしまう。
なんだよそのオペレーション・クロスドレッシングの親戚みたいな名前。
また訳分からんネーミングの作戦立てやがって。
「さっそくですが詳細を説明します。
オペレーション・スケアブリッジとは吊り橋効果を狙った作戦です」
「…………吊り橋効果?」
「はい! 吊り橋効果とは古くから伝わる一種の心理学用語です。
吊り橋を渡るような恐怖や緊張をふたりで体験するとお互いに好意を抱いてしまう現象を指します。
つまり、この心理学を呻きの洋館で利用すればいいのです!」
「ほんとかよおい! めちゃくちゃ胡散臭いぞ!!」
「大丈夫です!!
私も心理学に詳しいわけではありませんが実験の末に実証された効果だと文献で読んだ記憶があります。
呻きの洋館内で一夜を共に過ごせば勇者は確実に魔王様に好意を寄せるはず。
さらに魔王様が幽霊を怖がる素振りを見せれば気の強そうな外見を逆手に取ったギャップ受けも狙えます。
我ながら完璧な作戦です!!」
自信満々に作戦の概要を語るルシウス。
なんだかよく分からないが心理学を応用した凄まじい作戦のように思えてくる。
もはや狐につままれたような気分だ。
ルシウスの作戦を訝しんでいると、脳内で押し殺したように笑うテイレシアスの声が聞こえてきた。
「なんだよ? なんで笑ってんだよ?」
『ふふ、少しばかり吊り橋効果を勘違いしてるのかもしれんと思ってな。
あとで教えてやるから待っとれ』
テイレシアスがそう告げるのと同時にジッポウの鏡面状態が解除された。
いつものように覇気のない顔色で宙を漂うジッポウ。
ふと壁に備え付けられた時計に目をやるといつの間にか午後の講義の時間が迫ってきていた。
やべぇ急いで講義室に戻らねぇと。
ジッポウの介抱をリアンに任せて部屋を飛び出ると、急いで午後の講義室へ向かうのだった。




