第020話 勇者の秘密
謁見の間から自室に戻ったランセルは髪を束ねていたヘアゴムを外し、鏡に映る自分の姿をじっとみつめていた。
窓からさし込むそよ風にサラサラとなびくブロンドの髪。
ヘアゴムをとったその姿は男性というより女性の外見に近い。
「私はこれからどうすればいいのだろうか……」
鏡に映る自分の姿を眺めながらぽつりと呟く。
そう思うのにも理由がある。
数年前、帝都にある離宮で魔族の襲撃があった。
公には皇帝の婚外子である第一皇女が亡くなったことになっているが実際は違う。
魔族の襲撃によって命を落としたのは第一皇子のランセルの方なのだ。
そして生き延びたのは第一皇女であるライラ、つまり私だ。
こうなった経緯には複雑な事情が絡んでいる。
兄であるランセルは妹であるライラを慕っているように演じていたが、その裏では毎週決まった日に離宮を訪れ私に乱暴を加える狂人だった。
殴る蹴るの暴行は当たり前。
毎週のように暴言を吐かれ、生きていることすら否定され続けてきた。
理由は単純明快。
私と兄の顔が似ていたから。
血統主義者の兄は婚外子である私のことが気にいらなかったのだろう。
幼い頃に母を亡くした私を守ってくれる者などひとりもいない。
父親であるコルキスにさえ存在を疎まれ離宮に隔離されたくらいだ。
離宮で私の世話をしていた侍女たちも兄のことを恐れるあまり私と関わるのを避け素知らぬふりをしていた。
あまりの日々に男性恐怖症になった私は今でも殿方を前にすると手が震える。
だが、そんな兄の最期は意外にもあっさり訪れた。
兄によって首を刎ねられた町娘の父親が裏で魔族に情報を流したからだ。
流した情報は毎週決まった日の夜に兄がひとりで離宮を訪れること。
情報を受け取った魔族は密かに勇者抹殺の計画を企て、とある満月の夜に襲撃を実行した。
もちろん兄も聖剣に適合した勇者なだけあり簡単にはやられない。
あるひとりの魔族を除き、逆に全員返り討ちにしたくらいだ。
だけどその最後のひとりに兄は敵わなかった。
兄を倒した魔族は腰まで届くほどの真紅の髪を持つ美しい女性の魔族だった。
名前はエミス。
エミスは勇者である兄を殺した後、残された私のことも手に掛けるため近づいてきた。
絶望的な状況だったが不思議と怖くなかったのを覚えている。
むしろ地獄のような日々からようやく解放されると安堵さえしていた。
エミスが私の前まで来て手のひらを向けたその時、私の運命を変える転機が訪れた。
なぜか兄の持っていた聖剣が私の手元に向かって一直線に飛び込んできたのだ。
そのまま私の手の内に柄が収まると膨大な魔力が溢れ出すのを感じた。
きっと、あれが聖剣に適合した瞬間だったのだろう。
一連の出来事を見ていたエミスは目をパチパチさせたあとニヤリと笑い、ある提案を私に持ち掛けてきた。
その提案とは私が兄に成り代わり魔王サタンを倒すこと。
エミス曰く、私の魔力量は兄であるランセルを遥かに凌ぐものであり、鍛錬を続ければ確実に魔王サタンを倒せるとのことだった。
聞けば魔王サタンの暴虐な悪政により魔国領は崩壊の一途を辿っているらしく、エミスは密かにサタンに叛逆する方法を模索していたんだとか。
それから朝日が昇るまで私はエミスと色々な話しをした。
私の境遇や兄から受けてきた仕打ち、皇帝に疎まれひとり離宮に隔離されていたことまで。
そんな私の退屈な話しをエミスは嫌な顔ひとつせずうんうんと頷きながら聞いてくれた。
魔族とは思えないほどとても優しい目をしていたのを覚えている。
エミスは最後に魔王軍にいる魔族と人間のハーフの助命を私に嘆願し、魔王城に向けて去っていった。
それ以来、私は現在に至るまで兄のランセルに成り替わって過ごしている。
中身がすり替わっても誰も気付かないくらいだ。
兄はよほど周囲から嫌われていたのだろう。
父親であるコルキスにさえ未だに気付かれていない。
結局、兄も親に愛情を注がれないが故に歪んだ性格に育ってしまった犠牲者なのかもしれない。
昔のことを思い出していると、ふとマキナ殿の顔が脳裏をよぎった。
どことなく雰囲気がエミスに似ている新しい魔王。
彼女がサタンを倒してしまったため、私が直接手を下すことなくエミスの野望は果たされた。
同時に私の生きる目的も無くなってしまったわけだ。
マキナ殿は魔国領を立て直そうと試みているようだが、先ほどの父の反応を見る限り難しいだろう。
父はマキナ殿を都合の良い駒として飼い慣らそうとしている。
彼女が私に敵わないことをいいことに重税を課し、隣国には魔族の兵力を匂わせ、戦の時は帝国の兵ではなく魔族の軍団を向かわせるつもりだ。
謁見のあとで父に尋ねてみて分かったが、辺境伯の爵位を与えたのもそのためらしい。
そして父は私にマキナ殿を監視するという新たな使命を言い渡した。
彼女と同じ学院に入学し、日々の様子を監視するようにと。
少しでも謀反を企てる素振りを見せたらすぐに密告することになっている。
はたしてこれで良かったのだろうか。
父に属領を言い渡された時のマキナ殿の顔がいまだに脳裏から離れない。
これがエミスの望んだ魔国領の未来なのだろうか。
「私はこれから何のために生きればいいのだろう……」
再び鏡を見つめながらぽつりと呟く。
兄のランセルに成り代わっているため領民からは嫌われたまま。
罪のない町娘の首を刎ねた前科が尾を引き仲のよい友人もできない。
ひとたび城下町を歩けば冷ややかな視線を浴びせられ生き苦しい日々が永遠と続く。
それに謁見の間に案内する時に向けられたマキナ殿のあの目つき。
きっとどこかで彼女にも私の兄が犯した罪を聞かれてしまったのだろう。
つまり相手が帝国外の者だとしても私は友好な関係を築けないわけだ。
サタンを倒すという目的を果たした私にこんな息苦しい日々が耐えられるのだろうか。
軽くため息をついたところで机の引き出しにしまっていたジュエリーボックスを取り出し蓋を開けた。
亡くなった母が私に残してくれた唯一の形見だ。
中身はすずらんの花を模した髪飾り。
すずらんの花言葉は『再び幸せが訪れる』だと言い残し母はこの世を去っていった。
髪飾りを頭に付けた私は鏡に映る暗い自分の顔を静かに眺め続けるのだった。
第1章はここまで。
次話から第2章に入ります。




