第016話 朝のひと時
翌朝。
俺は部屋を訪れたハクアのために紅茶を淹れる準備をしていた。
ティーポットに茶葉を入れると瞬く間に芳醇な香りで満たされる。
――確かこんな手順だったか?
あらかじめ温めておいたティーカップに紅茶を注ぎ、椅子に座って待っていたハクアに差し出した。
「ありがとう、とても良い香りだわ。
紅茶の淹れ方なんて誰に教わったの?」
「ルシウスから教わりました。
彼は紅茶を淹れるプロでもあるので」
ルシウスに習っていた時は半信半疑だったが、まさか本当に紅茶を淹れるタイミングが来るとは。
これが貴族のお茶会ってやつなのか?
いずれにせよ、あの時練習しておいて良かったぜ。
「そういえば、どうしてあなた達3人は魔王サタンを裏切ったの?
魔王城で話しを聞いていた時からずっと気になってはいたけど……」
紅茶を口に運びながらハクアが尋ねてくる。
「…………裏切った、というよりは復讐という言葉の方が合ってますね。
エミスという私たちの育ての親をサタンに殺されたのが一番の理由になります。
話せば長くなるので、これ以上喋りたくありませんが」
そこまで言いかけて俺はハクアから目を逸らした。
正直、俺もあまり思い出したくない記憶だったからだ。
エミスは俺とルシウス、リアンの3人を鍛え上げてくれた魔族の師匠だ。
人間と魔族の混血というどっちつかずな俺たちを育ててくれた母親同然の存在であり、同時に魔国領の第一塔主を任せられていた魔王サタン軍の幹部でもあった。
そんなエミスに重大な極秘任務が課せられたのがおよそ数年前。
当時の任務の内容は俺たちにも明かされていない。
ただひとつ明確なのはエミスが敵を前にして逃亡を図ったという事実だけだ。
魔王軍にとって敵前逃亡は重罪であり万死に値する。
それなのに第一塔の全勢力が壊滅させられた中、エミスはひとりだけ魔国領に戻ってきたのだ。
投獄された牢屋の前で理由を尋ねてもエミスは俺たちに謝るだけでなにも答えてはくれなかった。
他の魔族幹部にエミスの助命を懇願しても当然聞き入れて貰えず、エミスの処刑は即日魔国領にて実施された。
大雨の降りしきる悪天候の中、断頭台の上に虚しく転がったエミスの頭部を魔王になった今でも鮮明に覚えている。
「そうなの……ごめんなさい。
変なこと聞いちゃったわね」
暗い顔を覗かせる俺を見て何かを察っしたのか、ハクアはティーカップをテーブルに置いて謝罪した。
「いえ、構いません。
あまり思い出したくない記憶だったものでつい。
他のことであれば構わないので何でも聞いてください」
「――それじゃあお言葉に甘えて。
ルーカスの大剣を指で受け止めた魔法だけど。
あれって身体強化魔法のバフィカルよね?
基礎魔法であるバフィカルだけで、どうしてあんな芸当ができたの?
私も魔法を熟知している聖女のクラスなだけにあの時の光景にはひどく驚かされたわ。
なにか秘密でもあるわけ?」
「バフィカルの秘密ですか?
え〜っと、私のバフィカルは世間一般で使われているバフィカルと少し異なるのです。
私は魔導師ではなく武闘家のクラスなので。
ちなみにハクア様はバフィカルの仕組みについてご存知でしょうか?」
俺が質問を投げ返すとハクアは首を横に振った。
どうやらエミスに習ったバフィカルは帝国内でも浸透していない魔法だったようだ。
「バフィカルは体内にある気力を高める魔法です。
気力を上げると一時的に身体の強度を高めたり瞬発力を向上させられます。
ただ、気力で高められる身体能力には限度がある。
これが一般的なバフィカルの仕組みですが、私の扱うバフィカルはさらにもう一歩先に進んでいるのです。
具体的には気力と魔力を混じり合わせ、体内で内功を生み出しています」
「…………内功?」
「はい。
内功とは魔力と気力を合わせることで生み出せる第3の力です。
武術の真髄となる力であり体外に放出することで攻撃や防御に転用することができます。
内功を全身の経絡に巡らせ至高の境地に達した武闘家は敵のいかなる攻撃に晒されても傷つかず、素手で剣を受け止めたり、手刀で鉄の鎧を貫くことも可能になります。
まぁ実際には日頃の地味な鍛錬も必要になってくるんですけどね」
俺の説明を聞いて目を丸くするハクア。
戦士や魔導師、僧侶が一般的な人間社会だと内功は日の目をみない力なのだろう。
内功を鍛えるにはそれこそ長い鍛錬が必要となる。
さらに元々の才能にも左右されるため、魔力のある者は強力な魔法を扱える魔導師を目指すのが一般的だ。
それこそ泥臭い武闘家など誰も目指すはずがない。
「へぇ〜知らなかったわ。
魔力と気力以外に別の力があったなんて」
「魔族でも内功を扱える者は極一部ですよ。
結局のところ誰しも強力な魔法に憧れますから」
俺は頭をポリポリと掻きながら補足を入れた。
極一部という情報も少し盛ってるくらいだ。
身に付くかどうかも分からない眉唾ものの力を求める魔族などいないに等しい。
実際、俺も最初はかっこいい魔導師を目指していた。
身体に宿した魔力量が少なすぎて、結局エミスに内功を鍛える修行をさせられたわけだが。
「私だけがあれこれ尋ねてもダメよね。
せっかくだし、マキナも私に質問していいわよ?
私に答えられることなら何でも教えてあげる。
帝都のこととか貴族社会のこととか」
バフィカルの仕組みを聞いて満足したのか、ハクアが屈託のない笑顔を向けてくる。
なんでもか――
こりゃ勇者の裏に顔について聞ける願ってもないチャンスだ。
ここで情報の信憑性を見定めておかねーと。
「では、私もひとつお尋ねしていいですか?
勇者殿の噂に関してなんですけど。
ハクア様は辻斬りランセルという言葉をご存知でしょうか?」
俺が勇者の蔑称を口にすると、ハクアの顔色が瞬時に変わった。
どこか思い詰めたような、それでいて困ったような表情でもある。
反応を見るに何かしら知ってるのは確実だろう。
わずかな沈黙のあと、ハクアは肩をすくめ俺の顔をじっと見つめ返した。
「ええ、もちろん知ってるわ。
マキナはその話、誰から聞いたの?」




