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SR満州戦記4  作者: 異不丸
第1章 1947年5月
9/25

水曜日(3)


黒竜江省楊楼県下城子、在中国米陸軍前進連絡所


 東北軍司令部の警報をうけると、独立特科第六連隊本部は三十分で撤収の準備を終えた。谷口少尉は索引車との連結を確かめて、モービルホームに入る。

「報告、綏芬河正面のソ軍砲兵陣地に弾薬が積まれました」

「了解」

「少佐、第40歩兵師団の戦車連隊が牡丹江に入ります。いよいよです」

「うん」

 澄田少校とミヤシタ少尉は満面の笑顔でテーブルの作戦地図を見つめる。谷口には二人が何を考えているのかわかった。ソ軍がどの罠に嵌まるかだ。緩衝地帯の綏陽県と東寧県はただ放置されていたわけではない。極東軍の侵入に備えて入念な罠が仕掛けられてあった。地雷や有刺鉄線、落とし穴はもちろんのこと、遠隔操作の爆雷もある。ソ連軍は用心深いが、今回は時間の制約がある。罠にかかる可能性は高い。

 スターリンの声明が明朝九時に行われるとすれば、その二時間前には侵攻正面のソ軍有利が判明していなければならない。モスクワ時間七時は中国で正午、あと十八時間もない。その間にヴァシレフスキーは優勢を確立しなければならなかった。

「ここまでは進出してもらわないと」

「その後の進路こそ重要だからな」

 澄田とミヤシタは、東正面での目標は牡丹江前面への電撃進出だと看破していた。占領はない。攻撃し破壊するだけで、次に進む。谷口は納得していない。それは対米示威という侵攻目的が理解できないからだ。しかし、最高司令部の防衛計画は澄田少校の見積もりを基礎としていた。相当の蓋然性と合理性を認めているのだ。谷口には信じられないが、それだけ欧州での対立が深刻なのだと自分に言い聞かせていた。


「明朝のモスクワ放送こそが反撃の烽火だ」

「それまでは退いて、引き込むのだ」

 ソ連軍の兵站は脆弱であるというのが、満ソ戦争と独ソ戦を研究した二人の結論だ。完全に自軍の勢力圏でないと兵站線を構築できない。だから突出を嫌う。一点を突破し錐のように敵陣深く突進するという戦法はとらない。突破戦の集合に見える縦深攻撃は前線を維持した上での全線同時進撃なのだ。縦深攻撃が実現されたのは輸送車両が潤沢となった大戦後期であり、しかも中東欧平原においてだ。山地を越えなければならない東北国境では状況が異なる。

「極東軍とて戦訓は研究している」

「今回は電撃戦でくる」

 それくらいは自分にもわかると谷口は思った。国境に集結した極東軍の自動車化狙撃師団が一斉に侵入し、防衛線の間隙を探る。そこへ機甲師団を突入させる。破壊だけなら二個戦車連隊もあれば十分で、それなら完全に機械化された補給部隊を編成して同伴できる。国境から牡丹江市までは道を選んでも百六十キロしかない。一時間で十キロを進めばいいのだ。つまり、まもなく始まる。

「中国には大いなる警告となる」

「だが、米国の脅威とまではならない」

 対米示威の前提に立てば、ヤルタ密約を破棄した米国に再考と譲歩を迫るには清津港を占領して、米国民を捕虜に取ることが必要だ。国境から清津港は百キロほどしかない。正面は狭く、図們江の河口で中洲と湿地ばかりだ。渡河を連続するよりは内陸に迂回する方が早い。もちろん、ソ連軍なら両方ともやるだろう。さらに、空挺と海軍歩兵の着上陸作戦もある。すなわち、空戦と海戦だ。

「佗美司令官は陸軍少将だ。海上戦に引き摺られることはない」

「第3艦隊は陸軍の海軍なのだ」

 二人の哄笑が部屋中に響く。





外蒙古トシェートハーン部、ナライフ郊外


 浅野上校が率いる騎兵第一連隊は、ナライフ郊外で蒙古軍捜索連隊が敷いた警戒線に接した。外蒙古の首都ウランバートルの東からの入り口で、北から迫るヘンティー山地と南のボグドハーン山の間の狭隘な谷間だ。首都まで二十キロもない。連隊は大休止に入った。まずは軍馬の世話、水やりからである。

 第五中隊第一小隊長の野村少尉が連隊本部の呼び出しを受けたのは、自分の食事をはじめた時だった。駆け付けると、中隊長もいた。浅野連隊長が単直に言う。

「異状がある。外蒙軍幹部に連絡の取れない者がいるらしい」

「造反ですか」

 首都制圧と外蒙政府要人の捕縛は外蒙軍に任されてあった。叛乱勃発の合図で蒙古軍が行動を開始し、義勇日本軍が支援する。それが徳王の計画だ。満ソ戦争の時、興安軍官学校の日本人教官は蒙古人生徒に寝首を掻かれる寸前だった。その川島兄弟、カンジュルジャブ中将とジョンジュルジャブ少将が今回も参画している。『義勇日本軍にはただ入城してもらえばいい』と徳王は語ったらしい。

 蒙古の義、統一と独立の大義はなにものにも優先する。前回の外蒙による統一は侵攻失敗により封じられたから、今回は内蒙によるのだ。ソ連を排除し、かつ漢人を介入させない。そのため、軍事支援は中国軍でも米軍でもなく、義勇日本軍となった。蒙古における漢人への反感は東北のそれとは段違いに激しい。日本人はずっとましらしい。蒋介石は同意した。

 徳王は腹心の李守信を名代として派遣した。かつての興安省長のボヤンマンダフや駐日満州国大使館の参事官だったハーフンガーらも説得使として秘密裏に首都に入っている。大義があって五十万の兵が動くとなれば、叛乱は成就したも同然だ。軍と政府のほとんどが説得に応じた。そうしなければ、統一独立後の蒙古で立場がない。粛清されないためには、チョイバルサンとその一派を自ら仕留めるしかなかった。


 つまり政略なのだと野村は思う。今回の作戦の最初の肝心が軍令の及ばない外蒙の政府と軍にある。それが連隊長にはずっと不満だったようだ。

「すでに始まっていると見た」

「はい」

「第五中隊は連隊の最右翼となり山麓に沿って進め。トール川の支流を調べろ」

「はっ」

 浅野上校の勘がはじまったようだ。ソ連軍事顧問団が首都を脱出すると感じたらしい。造反した外蒙の手引きによるものか、顧問団自身の判断によるかはどちらでもよかった。連隊の任務の範疇ではない。

「中隊長、野村小隊を先行させろ」

「了解。第一小隊は準備が完了次第に出発」

「はっ。質問があります」

 野村には、出発前に明確にしておく問題があった。

「言え」

「民間人はどうしますか」

「軍事顧問団に民間人はいない」

「女子供の場合ですが」

「女か、考えてなかった。それがあるな」

 外蒙古の政軍幹部は全員がソ連に留学していたし、ロシア人と結婚した者もいる。なにより、チョイバルサンの妻がロシア人だ。家族を軍事顧問団と共に逃がそうと考える者は一人ではないはずだ。

「わかった、軍医をつけよう」

「ありがたくあります」

 野村は笑った。軍医のユーリ・グロメコは細君と一緒に従軍していた。浅野も笑った。野村の用が細君の方にあったと気付いたのだ。

「今から蒙古軍捜索連隊の指揮官と談判する。話がついたら後を追う」

 浅野は一呼吸おいた。

「こじれたら第一中隊と第二中隊の騎兵突撃で騒動を起こす」

「了解であります。野村少尉は戻ります」

 回れ右をした野村は小隊に向かって駆け出す。





中ソ国境、図們江河口沖、第3艦隊旗艦熊野丸


 ソ軍侵攻が開始されると受信する情報は膨大となった。その戦況を整理するため、佗美司令官と河野参謀長は作戦室に籠った。作戦地図を見ながら佗美が河野を問い詰める。

「東正面、ソ第16機甲旅団が綏陽を通過」

「さすがに今回は速いな。いや、我が陸軍は戦闘していないではないか」

「いえ、綏芬河北の山地では敵自動車化狙撃師団の浸透を防いでいます。健闘です」

「崖の発破と山崩れ。土木工事だ」

「いいえ、れっきとした工兵作戦です」

「陸戦はどうした」

「突入破壊部隊の分離突出を待っています。まだ部隊を絞り切れない」

「ふん」

 苦り切った佗美は煙草を咥えたまま、南の方を指さす。

「南、正面の図們江渡河は三度撃退しました」

「会戦か」

「いえ、機雷です。二個連隊は潰した模様」

「なに。こっちに流れて来たらどうするのだ」

「浮遊機雷は敷設後一時間で無害化するように国際法で決まっています」

「ふん、陸戦はやっておらんのか」

「北へ大回りした敵自動車化狙撃師団を火砲で制圧中です」

「夜明けまではもつか」

 佗美は煙草を消すと、ずっと北の方を見る。

「撫遠県に自動車化狙撃師団が一個侵入しているが」

「牡丹江を破壊した戦車部隊を出迎えるのでしょう」

「ずいぶんと悠長だな。舐められたものだ」

「囮です。本命はハンカ湖西岸かと」


「ほう。参謀長の判断か」

「もちろん、最高司令部の判定です」

 河野は澄まして答えた。

「げふん、げふん」

 佗美の咳ばらいに河野は目を瞬く。これからが本題だ。

「この長春からの情報はどうだ。蒙古では始まったのか」

「ほかならぬ浅野上校です。疑う余地はありません」

「一日早いぞ。どうなる」

 さすがに河野も一息おいて考える。

「異変の報は予定されている声明に影響を与えます」

「そうだろうな。同盟国が一夜にして敵国に変わるのだ」

 それだけではない。外蒙古はシベリア以東を分断し得る位置にあって、バイカル湖へはわずか百キロだ。極東ロシアが孤立する危機に侵攻を続けられるのか。難題だ。河野参謀長の額に汗が浮く。

「司令官、独裁下のソ連においては不都合な情報は遅く伝達する傾向にあります」

「たしかに。好い情報は一足飛びだが、悪い情報は何重も確認した上でないと伝わらない」

「正面の軍司令官が善後策を練るまでモスクワには達しません」

 今、浅野上校は情報封鎖に全力で、イルクーツクには林田少校の諜報網もある。ザバイカル軍管区とシベリア軍管区の両司令部に情報が上がるまでかなりの時間がかかるとみてよい。

「すなわち、第3艦隊は影響されない」

「はい。夜明けまでに極東艦隊を殲滅し、しかる後、清津防衛に向かいます」

 ようやく司令官と参謀長の戦況判断が一致した。



 第3艦隊は『即時戦闘開始』の具申電を打ったが、最高司令部の返電は『ソ連領海への侵入攻撃は認めず』だった。

「どういうことだ。侵攻されているのだぞ」

「防衛戦です。応戦はできますが、敵領内へは進入できません」

「明日の昼まで待てと言うのか」

「宣戦中止、ソ軍は撤収となる可能性も残っています」

「やられ損じゃないか。米軍が入っているからだな」

 河野は答えず、時計を見た。日付が変わろうとしている。血相を変えた艦隊参謀が入って来た。

「緊急、ソ連艦隊が撤退を開始しました」

 河野は確認する。

「見張りの目視か」

 リマン海流は間宮海峡から日本海北部に流れ込む寒流で、沿海州に沿うように南西へ進む。今の季節はまだ海水温が低く、かなりの流速がある。領海内に留まろうとする極東艦隊は常に舵を海流に向けて罐を焚いていなければならず、あたかも撤退するかのように見える。

「いえ、高雄のレーダーです」

「間違いないのか」

 佗美と河野は目を合わせる。

「極東艦隊のフネがなければ上陸作戦はない」

「補給品も海軍歩兵も運べない。捕虜にした米国人も乗せられない」

 佗美は腕を組んで呟く。

「退く、のか」

「止めるんですかね」

 二人が呆けたところに、通信が入った。

「米第7艦隊より警報。船団がウラジオを出港、貨物船四隻ほか」

 佗美は腕組みを解いて叫ぶ。

「やる気じゃないか。合流する前に各個撃破だ」

「司令官閣下。紛争で終わるかも知れない今、侵入してはいけません」

「笑止。兵は兵理だけで動く」

「え」

「『波』作戦発動だ」

「あ」

 河野の顔が弛む。

「第32戦隊へ命令。伊四〇〇、四〇一、四〇二、急速浮上!」

「宜候!」






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