水曜日(1)
黒竜江省楊楼県下城子、在中国米陸軍前進連絡所
澄田小校とミヤシタ少尉の二人は腕を組んで壁のアジア全図を睨んでいた。その気迫に、谷口准尉はいつ穴が開くかと息を詰めている。
「危機的状況ですね」
「ああ、危機的状況だ」
中ソ国境にはソ連軍がびっしりと集結していた。ソ連極東軍管区は二個戦車師団と二十二個自動車化狙撃師団、それに二個空挺師団を持つが、東正面の綏芬河に戦車師団二個と自動車化狙撃師団八個、南の図們江対岸に自動車化狙撃師団六個を配置している。サバイカル軍管区は二個持つ戦車師団の一個と、八個持つ自動車化狙撃師団の三個をアルグン河対岸に並べている。新疆と国境を接する中央アジア軍管区は伊寧の山向こうに自動車化狙撃師団六個のうち二個を集結中であった。
「しかし、まだ足りない」
「ああ、まだ不足だ」
侵攻を開始するにはソ連軍の戦力はまだ十分でないと二人は見ていた。侵攻側は防御側の三倍の戦力が必須であると言われるが、ソ連の場合、五倍は用意する。また、極東軍管区とザバイカル軍管区はそれぞれ砲兵師団を一個持つが、前線には出揃っていなかった。奇襲が不可能な状況となった今、砲兵の事前射撃を抜きに侵攻が開始されることはない。
「最も重要なのはトラックです」
「そう、輸送用の自動車両だ。全く足りない」
ソ連軍管区のそれぞれの戦力見積もりは正しいと思われた。だが、すべてを鵜呑みにしている訳ではない。特に長大な国境線を持つ極東軍管区に二十二個もの自動車化狙撃師団は不可能だ。大戦中は膨大な軍需物資が米国から供給されて、トラックは修理する必要もなく新車を使い潰し出来た。しかし、終戦からもう二年が過ぎる。おそらく、自動車化狙撃師団と称しても、機械化されているのは一個連隊がやっとだろう。長駆できる機動力を持つのは四分の一、せいぜい六個師団相当でしかない。
「侵攻開始にはまだ準備不足ですね」
「陸戦にはな」
二人はテーブル上の作戦地図に視線を落とす。図們江河口沖では中ソ両艦隊の睨み合いが続いていた。
「佗美司令官は沈着冷静な方だったんですね」
残念そうにミヤシタ少尉が言うと、澄田中校も渋い顔で応じる。
「うむ。二日も辛抱されるとは意外だったよ」
「何かお手伝いできませんかね」
二人は顔を見合わせる。谷口准尉の緊張はさらに高まった。
吉林省長春市洪熙街、満映撮影所
第三スタジオの司令部では緊張が続いていた。今日は持久になると承知していたから前線に目立った動きがないのは許容できる。しかし、後方の情報がないと戦略的な判断ができない。飯島の焦燥感は司令部内に伝播する。
「問題はシベリア軍管区の動きだ」
「入信はありません」
ソ連シベリア軍管区は、対中国戦の場合、国境線を持つザバイカル軍管区や中央アジア軍管区へ不足兵力を補完するものと考えられていた。すなわち、シベリア軍管区の有力師団が西へ動けば中央アジア軍管区が大規模な軍事行動を起こす兆候である。今回の場合は東へ移動するものと見られた。ただ、国境を接しないということは、ソ連領内深くで中国領から遠いということであり、よほどのことでないと甘粕機関の要員も情報を発しない。
「極東軍とザバイカル軍だけで来るのか」
「いや、両軍管区を合わせて戦線は一つ。兵站司令部は澄田の見積もりを推しています」
「あれは澄田の願望だろう」
極東軍管区がザバイカル軍の全面的支援を受ければ、完全機械化の機甲軍団を四個編制できる。それは澄田の言う恐喝戦争、いや対米示威作戦に十分な戦力だった。
「英国は、何か情報があるか」
飯島の問いにアンドルーズはそっけなく答える。
「本件に関しては中立の立場であり、中ソ両国の自重を促す説得はするが介入も干渉もしない。英国は政治的・軍事的行動をとらない」
それは英国国連代表部が出した声明だ。飯島は無視して言う。
「情報活動、MI6は別だろう。梅澤は何と言っている」
アンドルーズは笑って舌を出す。
「中央アジア軍がアフガニスタン国境に張り付けていた部隊は撤収しました。みなさんにお礼を言うようにと」
飯島は拳を額に当て、一秒間だけ考える。
「あのジューコフがヴァシレフスキーに協力するとは信じられん。西だな。ソ連は欧州でまた戦線を広げようとしている」
アンドルーズは目を丸くした。
「だが、それは俺の仕事ではない。さて、本作戦だ。明日も持久とはいかんだろう」
飯島の呟きにアンドルーズは身を乗り出して言う。
「うちが先に動けば、向こうの手に乗ることになります。今でも十分、中国は戦略的に勝利している」
「戦機というものがある」
「ええっ」
飯島はアンドルーズに向いて舌を出した。
外蒙古チェチェンハーン部、ゴビ砂漠
月曜日朝にサインシャンドを出発した義勇日本軍五十万の隊列は三本に分かれ、ゴビ砂漠縦断の途上にあった。先に蒙古軍捜索連隊が斥候して進路を開削し、後続する機動連隊が燃料や水の補給点を設営、護衛兵を分駐する。次が先鋒の蒙古軍騎兵と自動車連隊である。最後に本隊が徒歩で延々と続いていた。斥候はスンベル近郊に達したというが、後尾はサインシャンドからまだ六十キロを踏破したばかり、その間はおよそ三百キロである。
各級部隊は作戦行動中の隊形を保って行軍していた。最小単位の分隊は、敵の一掃射での全滅を防ぎ、かつ咄嗟連携ができるほどに拡がった緩やかな二列縦隊だ。小隊は、四分隊を左右に配置した中心に指揮班が位置し、幅が六から十、長さが二十から四十メートルである。中隊では、第一小隊を左翼、第二小隊を右翼とし、下がって第三小隊が中堅、そして指揮小隊、後衛の第四小隊の順で隊列を組む。一個中隊の幅は三十前後、長さは百メートル前後となる。大隊も同じ様に組んで、一個大隊の幅は百、長さは五百メートルほどだった。
連隊では少し違って、右か左の雁行型となる。第一大隊に続く第二大隊は右に張り出し、第三大隊はさらに右に位置する。連隊本部と第四大隊は内側に着く。一個連隊の幅は四百メートル、長さは二キロ近くとなった。一個連隊は六千人だから十五万人なら二十五個連隊、五十キロの長蛇となる。歩兵の通常の行軍距離は一日に二十四キロであり、三本に分かれても出発するだけで三日もかかった。これでは先鋒の騎兵連隊や自動車連隊と間が開きすぎるから、健脚連隊や快足連隊を作ったり、トラックを戻して後列を前列まで送り込んだりする。
自動車連隊三百両のトラックは三交代二十時間勤務だ。最初の歩兵六千をハルアイラグで降ろすと、引き返して来る。次の歩兵六千がトラックを待っていた。
「本隊四十五万の歩兵に対して三個自動車連隊、トラック九百台では少なくないか。もっと動員できるだろう」
兵隊の一人が呟いた。隣の戦友が頷きながら囁く。
「トラックだけなら数万台も可能さ。しかし、三交代だと運転手も三倍必要になるぞ」
「ま、そうだ」
「それに燃料だ。二十時間稼働なら二百リットル、十日でドラム缶十本」
「荷台の三分の一がドラム缶で塞がってしまうのか」
「お偉いさんが計算したのだ。間違いないさ」
「わかっているが、これがな」
兵隊は手に持った携帯口糧を見つめる。戦友は深く頷き、ガリッと噛んだ。
「たしかに、輜重車両があれば米の飯が喰えるかも知れんな」
今次作戦の兵糧は乾パンやカンパンと呼称される乾麺麭であり、それだけだった。
召集された義勇日本軍五十万名は一ヶ月間の教育訓練を受けた。射撃や銃剣術もあったが、教練の中心は行軍だった。一週間の行軍訓練の間は乾麺麭しか配給されない。行軍は完全軍装で行う。日本陸軍の完全軍装は小銃と弾薬、糧食など二十八キロで、そのうち米が十日分で六キロだった。義勇日本軍の軍装もほぼ同じだが、今回は米六キロの代わりに十日分の乾麺麭十四キロを背負う。重くなった八キロ分だけ飯盒や被甲嚢、後弾薬盒、予備の靴などが減らされた。
乾パンは字の如く乾燥してパサパサだから一食分に対して湯呑み一杯の水が要るが、それを自分の唾液で代替できるように甘味の氷砂糖や金平糖が同包してある。最初は、昼はふらついたり、夜は頭がさえて眠れない者が多かった。栄養素を消化、吸収できていないのだ。しかし、大半の兵隊が三日目ぐらいで空腹を感じて目を覚まし、水や甘味なしに嚥下できるようになり、同時に排便に行かなくなった。七日目には全員がカンパンを好むようになる。
次の三日間は射撃演習と通常食、そしてまた行軍とカンパン食を繰り返す。三周が終わると、ほとんどの兵隊が少量の水とカンパンだけで一日に三十キロを歩けるようになり、同時に排便の回数と量が驚異的に少なくなった。一ヶ月の間、つきっきりだった軍医や衛生兵の評定を元に、中隊編成が組み直された。一日六時間で二四キロを歩く通常歩兵、三〇キロを踏破出来る快速歩兵、そして八時間で四〇キロを進出できる健脚歩兵である。
兵站司令部の計算は入念だった。六キロの米の炊飯には水が八キロ必要であり、米を研ぎ飯盒を洗うのにも同量の水が要る。すなわち、十日間で二十二キロの米と水が消費され、そのほとんどの二十キロが排便・排水される。一方で、カンパン食なら炊飯の手間も洗い水も要らない。米食なら十六キロ必要な水が、カンパン食に換えれば一キロで済む。砂漠乾燥地帯において七千トン近い水の節約は重大だ。米研ぎの水など許容されない。
さらに重要なのは排便の量である。玄米は完全食品で必要な栄養素をすべて含むが、排出される便も多い。それは、水分が多くねばり気があるから腸壁に粘りつき、腸粘膜や腸内菌などを引っ剥がして食滓と共に便と成すからだ。乾パンは水分も粘り気もないから排便も小量である。
奉天の兵站司令部は南京の最高司令部から最優先命令を受けていた。それは義勇日本軍の行軍の後に残す排泄物を極小にせよというものだった。昨年の西北研究所新疆探検隊には三万の新疆軍が同行して野外排便を行った。作物や牧草を枯らし、水源を汚したのだ。それに対して各地の住民から苦情が殺到していた。その十七倍の兵隊が今回の作戦に動員される。義勇日本軍五十万の行軍では一万数千トンの排泄物が発生するだろう。
兵站司令部の結論は明快だった。排尿はともかく排便は回収して持ち帰る。補給線の効率のために補給量を減らし、回収量も減らす。それがカンパン食への変換であり、一ヶ月間の教練だった。
「ああ、うまかった。念のために行ってくる」
そう戦友に告げて立ち上がった兵隊は、便器当番から大きな円筒の葛籠を受け取って背負うと、風下に歩く。今次作戦では排便の方法も決められていた。まず小便を済ます。早く蒸発するように乾いた場所で行う。大便は葛籠の中に入っている便器を使う。葛籠を縦に二つに開いて目隠しとする。取り出した便器は腰掛け式の洋式だ。上部が木製の蓋つき便座、下部がブリキのバケツで、中には防水セロファンの袋が入っている。便座を持ち上げて横に置き、洗濯ばさみを外してセロファン袋の口を広げると、もわっと臭いが漂う。
袋の上縁をバケツの口に折り被せ、便座を上に載せてバケツ便器の出来上がりだ。落とし紙も袋の中に落とす。用が済むと、また便座を持ち上げて横に置き、セロファン袋の口を丁寧に折り重ね、洗濯ばさみで閉じる。防水セロファンは高価だから交換品は支給されない。全員のそれを作戦が終わるまで持ち歩くのだ。便座を被せ、中に収めて、葛籠を閉じる。背負って帰って返却する。
便器当番は中を検査しながら問う。
「どうだった」
「四日目だ。屁も出ない」
当番はうんうんと頷いた。